星のや軽井沢にはテレビがありません/売れ筋を追っていると価格競争を抜け出せません
2019年07月21日
「ないものはナイ」と言われている昨今の成熟市場の中で、新しいものを生み出すことはとても大変なことです。
商品やサービスを作る側は、市場調査などのマーケティングを行って、顧客の「あれが欲しい」「これをなんとかしたい」というニーズを探り当てたとしても、顧客がイメージできる範囲にあるものは、実は市場をくまなく探せば、大抵、どこかに存在しているのではないかと思います。
例えば、パソコンやスマートフォンが存在しなかった時代を考えてみましょう。
その時代にはパソコンの概念がなかったので、いくら市場調査をしても顧客アンケートの結果の中からは「パソコンが欲しい」とは出てこないのです。
革新的(イノベーティブ)な商品の多くには、開発に至るまでのどこかに論理の飛躍(ジャンプ)があると思います。
論理的な経営戦略を構築することは企業にとってとても重要です。しかし、それだけでは競争優位となる革新的な商品やサービスを作ることは難しいのではないでしょうか。
革新的な商品やサービスを作るためには「ニーズにない」という発想が必要なのです。
その発想でもの作りを行えば、成長が鈍化してしまった企業や伝統であることにしばられて身動きが取れなくなってしまった伝統工芸でも、新たな市場を創造できると思います。
星野リゾートが運営する「星のや軽井沢」にはテレビを置かないということが魅力の一つになっています。
正しく言えば、魅力をお客様に堪能していただくための「仕掛け」と言ったほうが良いかもしれません。テレビを置かないというのが戦略の一つなのです。
テレビが当たり前になっている方からすると、高級リゾートなのにサービスが行き届いていないとか、むしろ大画面のテレビを置くべきではないか、と思われるかもしれません。ですが、テレビを見てしまうことで、商品である「ここにしかない魅力」の一つを楽しんでもらえないことが多々あるのです。
「星のや軽井沢」の敷地内には、川が流れ、ムササビが飛び交う森に囲まれ、朝などにテラスにでてたたずんでいると霧が山から山に緩やかに移動していく様やシラサギが優雅に羽ばたいている光景を目にすることがあります。これはテレビ以上の魅力ではないでしょうか。
お客様に、そういった豊かな自然を楽しんでいただきたい。このような、こだわりが強くあれば「よろしければテレビを消して外をご覧ください」という控えめな提案ではなく、テレビをなくしてしまうことで、来館されたお客様に都会とは全く異なるまれな景色があることを発見し、楽しんでいただけると思います。
仮に「どんなサービスがあればいいですか?」と顧客に聞いても、「テレビを置かないで欲しい」というニーズはどう切り込んでも出てこないでしょう。
温泉旅館のような日本に古くある成熟した産業でも、ニーズにないものを提供することで「圧倒的な非日常感を満喫できる場所」という市場を生み出して、需要を促すことができるのです。
しかし、「ニーズにないもの」とはどうやったら発想できるのでしょうか。
私が星野リゾート在職中、代表の星野さんは時折「ニーズにないもの」という言葉を口にしていましたが、あるアーティストも同じ言葉を使っていたので興味を持ったことがありました。
彼は、国内外で活躍しているアーティストで、「アートな温泉旅館」を作るプロジェクトの企画で一緒に仕事をしました。彼はアート活動以外にアルバイトもしているというので、ふと、アートだけで生計を立てるのは大変なのだろうなと思い、次のような質問をしました。
「アートに、資本原理とか市場原理は働くのですか?」
「アートってもうかるのですか?」ということを回りくどく聞いただけなのですが、彼は笑いながら答えてくれました。
「働かないでしょうね。なぜならばアートはニーズにありませんから」
しかし、「アートはニーズにない」と言われても、日本には数多くの美術館があり、有名な展示会であれば行列ができるほどなので、ニーズはたっぷりあるように見えます。また、絵画の取引も様々な形態で執り行われています。そこで、こう聞いてみました。
「資本主義の日本において、アートのニーズはどうあると思いますか?」
すると、こう答えてくれました。
「ニーズに応えているだけでは、世の中を先に進めることはできないと思います。アートは世の中を先導する役割があり、『市場の先』にあるものだと考えているからです。アーティストの役割は問題提起をすることです。僕個人としては『アート』と『スポーツ』が政治と経済をひっぱっていけるのではないかと思っています」
てっきり「情操教育」とか「感受性を豊かにするため」といった言葉が返ってくるものと思っていたので、さらに興味がでました。
「では、どうやってニーズにないものを形にするのですか?」
この質問には、こう答えてくれました。
「ニーズを外に求めるのではなく、自分の内なる声に耳を傾けるのです。そうして、自分の中にうちでてきたものを形作っていくのです。アートに『正解』はありません。消費者のみなさんはアートの中から『正解』を見つけてるのではなく、好きなものを選べばいいのです。『好き』ということに『正解』や『間違い』はないのです」
その時に、星野さんが経営者として口にしていた「ニーズにないもの」を求める意味がようやく理解できました。ニーズに応えているだけでは、革新的な商品やサービスを作ることはできない。ニーズにないものを見出して、まだ見ぬ「市場の先」にあるものを作らないといけない、ということだと解りました。
しかし、アーティストにはもともと「才能」という先天的な能力がありますが、そういった特別な才能を持たない人が「アート的な発想」をして「ニーズにないものを作る」ためにはどうしたらよいのでしょうか。
話はそこからさかのぼること約10年前のことです。
私は、16年間外資系コンピューターメーカーでマーケティングを担当した後、星野リゾートの広報に転職しました。
広報という職業は、商品の魅力や開発背景をメディアに説明しなければなりません。16年もコンピューターを相手にしていた仕事から一転、オシャレで素敵な婦人雑誌の編集長たちを相手に日本文化や歴史的なこと、そして、新しい日本旅館のあり方を伝える仕事になりました。「何が魅力で」「それはどうしてなのか」、こういったことをどう語ればよいのかわからず、借りてきた言葉を駆使して、お話しするのが関の山でした。
このままでは真意をお伝えすることができないと思ったので、独特の哲学と美学を持ち、マーケティングの研究家でありながらも、美術にも詳しい大学時代の恩師に聞いてみました。
「感性を磨くためにはどうしたらよいですか?」
恩師は、こうアドバイスしてくれました。
「今ある食器を捨ててみてはどうですか?」
「気に入っているもの以外の器を捨てるのです」
私は驚いて「そんなことをしたら、そばちょこ1個くらいしか残りません」と答えると、「では、そのそばちょこで、みそ汁もパスタもごはんも食べるのです」と言いました。そして、こう説明してくれました。
「自分が気に入っている器だったら、丁寧に扱うでしょう? そういった日常の振る舞いが、あなたの所作を美しくするのです。そして、こだわりを語ることで言葉が磨かれて会話が生まれる。自分の目にかなったモノ、自分が気に入ったモノに囲まれて生活してみてはどうですか?」
早速、恩師に言われた通りに気に入っていない器をひとまずは押し入れに突っ込み、食器棚を半分空にしました。そして、出張に行くたびに、各地の職人や店員の話に耳を傾け、一皿一皿集めるようになりました。
ある時、器と感性には深い関係があるのではないかと思ったことがあります。
器は服のように、人に見せる「外的」な目的はほぼありません。基本的には自分の近しい人たちだけが関係する「内的」な存在です。そのためか、器にはその人本来のこだわりがでやすいのではないでしょうか。器にこだわりがある方は感性が豊かな方が多かったので、器と感性は比例すると感じています。ただし、この逆は必ずしもそうだとは言えないようです。つまり、感性があるからと言って、器にこだわりがあるとは限らないとも思っています。
「アートに正解はない」という言葉でさらに勇気をもらったこともあり、自分が気に入った器だけを買うようにしてから10年が経過しました。感性が磨かれた気はしませんが、ガサツな振る舞いは減ったようで、お皿が欠けたり割れたりすることはほとんどなくなりました。また「好きなものを好き」と言えるようになりました。簡単なようで、これができない人は意外と多いようです。
そんな器との関係性が芽生えたころ、星野リゾートを退職し、偶然にも器の総本山とも言える、あの有田焼のブランディングに携わることになりました。
器業界は超成熟産業で縮小産業です。日本で最もブランド力がある、あの有田焼でさえ、経済規模は20年前の8分の1にまで落ちこんでいました。
何軒かの窯元にどういった商品を作っていたのかを尋ねてみると、おおむね三つのパターンに集約できることがわかりました。
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