強行離脱派のジョンソン氏への懸念は少なく、環境改善への期待も根強い
2019年07月21日
ヨーロッパの政経情勢についてヒアリングするため、7月初め、ロンドンへ出張した。昨年後半以降、減速が明確な景気の実態や金融政策のスタンス、EU議会選でも確認されたポピュリスト政党の台頭とその影響、EU首脳人事など、話を聞きたいテーマは数多あったが、なんといっても気になるのはイギリスのEU離脱、すなわちブレグジットの行方であり、その重要なカギを握る次期首相の人選だった。
日本同様、議員内閣制をとるイギリスでは、首相には与党の党首が就く。メイ首相が6月7日、党首を辞任したことを受け、与党の保守党では現在、後任の党首選びが佳境を迎えている。
10人の候補で始まった党首選は、5回の議員投票を経て、ボリス・ジョンソン前外相とジェレミー・ハント現外相の2人にまで絞り込まれており、7月22日の週には約16万人の保守党員による決選投票を経て、新党首が決まる予定。新党首はエリザベス女王の任命により、新首相に就任する。ここまでジョンソン前外相が圧倒的なトップを維持していることから、ハント外相の追い上げも及ばず、ジョンソン新首相の誕生となりそうである。
と、ここまでは、日本でも報道されている通り。だが、今回のロンドン訪問で抱いたのは、ジョンソン氏は「合意なき離脱」(No-deal Brexit)も辞さない強硬離脱派で、彼の勝利はイギリス経済にとってリスクだという見方が一般的だと思っていたロンドンで、そうした懸念を感じることが少なかったことへの意外感だった。
ロンドンではなぜ、ジョンソン氏への懸念がさほどでもないのだろう。現地で聞いた話を整理すると、その理由はおおむね以下の二つの集約できる。すなわち、
1、強硬派のジョンソン氏も、首相になれば現実路線に転じて円滑な離脱を目指すはずだ
2、「合意なき離脱」でも悪影響は案外大きくないだろう
である。
1について、もう少し詳しく説明すると、党首選におけるジョンソン候補の「合意なき離脱も辞さない」とする主張は、あくまでもEU離脱派の保守党議員向けであり、首相になり離脱派と残留派が拮抗(きっこう)する国民世論を前にすれば、より現実的な道を選ばざるを得ないだろう、というのである。実際、党首選が進むにつれ、ジョンソン氏は10月末の離脱を目指すという目標は変えないものの、「合意なき離脱」ではなく、EUとの交渉による円滑な離脱の可能性を探る姿勢を強めている。
ジョンソン氏は、ロンドン市長時代の左派的なスタンスからEU強硬離脱という右派的なスタンスへと立ち位置を変化させており、特定の主張に固執せず、柔軟だという指摘もある。こうした彼の特徴が、やや根拠に欠ける安心感を国民に与えているのであろう。
2の「合意なき離脱」でも影響はないという見方の根拠としては、
1、悪影響の試算がマイナス面だけであり過大
2、予測不能な部分が多いため、思ったほど悪くならない可能性がある
3、事前に悪影響をある程度織り込んでいるため、事後に反動でプラスとなるものがある
の3点が挙げられる。
確かに、1の過大推計はこの手の試算によくあることである。たとえば大イベントの経済効果試算などでは、プラス要因ばかりを積み上げ、消費者がイベント参加で使うお金を捻出するために、実は節約するといったマイナス面を十分に考慮しないことが多い。
2の予測不能に関しても、予想から大きく上振れすることも下振れすることもあるということであり、上振れにのみ注目すれば、そういう考えもできるのだろう。
3の反動についても、不透明感から投資は抑制気味のようであり、離脱後に動き出すものはあろう。とすれば、思ったほど悪くはならないという程度は言えるのだろうが、希望的観測の域を脱していないようにも見えないではない。
また、ブレグジットはそもそもイギリスが抱える課題を解決するために実施するのだから、一時的に混乱しても、長い目で見れば悪いはずがないという声もあった。これは、日本人など部外者が見落としがちな視点なのかもしれない。
もともとブレグジットを目指した背景には、移民の流入で生活が圧迫される層の存在があり、移民流入をもたしたと彼らが考えるEUルールへの根強い反発がある。裏返せば、EUルールから解放されることが自らの生活改善につながるという期待感が、ブレグジットの原動力になっている。
現地のエコノミストからは、移民流入は経済成長にはつながったものの、同時に貧富の格差拡大をももたらしたとも指摘された。移民という外からの労働力に頼り過ぎると国内の労働力のレベルが上がらず、全体として生産性の上昇が抑制されて国際競争力が下がるという声も聞かれた。
こうしてみると、楽観論の根底に、ブレグジットによってもたらされるであろう環境改善への期待があるのは確かだ。離脱やむなしとなったからには、それを信じる。円滑な離脱であればなお良しということなのだろう。
ただ、こうした楽観論は、あくまでも一つの見方に過ぎないことは言うまでもない。最大のリスクは、ジョンソン新首相が仮に円滑な離脱を目指しても、上手くいくとは限らないことである。
その一方で、メイ首相が議会を通せなかった現行の離脱協定案のままでも、ジョンソン氏なら議会の理解を得られるのではないか、という見方もある。強硬派最右翼のジョンソン氏ですら現行案での妥協やむなしと判断するのなら仕方がない。あるいは、離脱協定案の修正に代わる何らかのものを約束してくれるなら、議会で過半数の賛同を得られるのではないかという見方である。
確かに、離脱協定案はこれまで議会で3回否決されたが、反対と賛成の差は回を重ねるごとに縮小している。とはいえ、今のところ、過半数の賛同が得られるメドが立っているわけではない。
EU離脱自体が阻まれる可能性もある。ジョンソン新首相がEUとの交渉、ないしは議会の説得に苦戦し、期限切れで合意なき離脱が避けられないという状況になった場合、野党がEU残留を旗印に掲げてジョンソン内閣の不信任案を議会に提出、可決されるというシナリオである。こうした流れで総選挙となれば、不信任案を通したEU残留派が勝利する公算が大きく、ブレグジットは撤回されるだろう。
現地の産業界では、当初は3月末にブレグジットが見込まれていたこともあり、「合意なき離脱」も視野に入れた対応を進めてきている。準備が進んでいるという意味では、楽観論も見当違いではないのかもしれない。
しかしながら、合意なき、つまり移行期間のないブレグジットは、これまで良きにつけ悪しきにつけEUルールに守られていたイギリスの経済が、最低限のルールしかない状況に放り出されることを意味する。そうした非連続な制度の変更には、想定外の事態が起こるリスクそのものである。楽観論に欠けているのは、そうした視点ではないだろうか。
マクロ的に見れば、短期的には欧州におけるイギリスの地位の低下は避けられない。規制の関係もあって、すでに一部の業界は欧州の統括拠点を大陸に移し始めており、関税や対象市場を考慮してサプライチェーンからイギリスを外す業界も出てくるだろう。イギリスはこれまでEU主要国の一角であり、欧州の窓口としての役割も担っていたが、今後はスイスのように、欧州の特異な先進国になるかもしれない。
ただ、イギリスは現在、欧州におけるスタートアップの一大拠点であり、経済面での活力に優位性があるのも事実である。ブレグジットによってEUルールから解放されるという「成果」を発展の原動力に変えられれば、自由で開放的な市場を好む資金を引き続き集めて、大英帝国の復活も夢ではない。そう考えると、ブレグジット後のイギリスは、大胆な規制緩和もアジアとの同化も拒み続けているように見える日本にとって、大いに参考になるかもしれない。
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