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日本の法律的・政治的骨格を作った7年の占領時代

実権は民政局(GS)から参謀第二部(G2)へ。占領時代の遺産を修正すべき時

榊原英資 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

拡大片山哲内閣の初閣議。楕円状に座った中の一番奥のメガネの人物が片山哲首相。右隣りが斎藤隆夫国務相、左隣りは芦田均外相、その左が西尾末広内閣官房長官= 1947年6月1日、首相官邸

民政局(GS)の時代

 1945年から1952年まで、日本は米国を中心とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下にあった。

 当初、力を持っていたのが民政局(GS)。局長はダグラス・マッカーサー司令官の腹心といわれたコトニ―・ホイットニー准将。その下にニューディーラーだったチャールス・ケーディス大佐、アルフレッド・ハッシー中佐、マイロ・ラウエル中佐等がいたのだった。

 現在の日本国憲法はこの3人が中心となって1946年2月4日から2月12日の9日間でつくられたのだった。

 この時の日本側の総理は弊原喜重郎(1945年10月9日~1946年5月22日)、外務大臣は吉田茂、厚生大臣は芦田均だった。

 占領下でもあり、日本政府はGHQ案を受け入れざるをえなかった。ただ1点、いわゆる芦田修正(自衛のための軍隊を持つことを可能にした)はケーディス大佐によって受け入れられたのだった。

 後日、ケーディス大佐は受け入れた理由を「個人に人権があるように、国家にも自分を守る権利は本質的にあると思った」からだと述べている。

 そして、芦田修正を含んだ憲法草案は貴族院、衆議院で可決され、日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌1947年5月3日に施行されたのだった。

 憲法公布・施行の時の日本側は第1次吉田内閣、外務大臣は吉田茂が兼務している。

 ただ民政局(GS)は保守主義者吉田茂を好まず、日本社会党の片山哲総理を実現し、外務大臣には芦田均が民主党代表(総裁)として参加している。

 片山内閣は1年弱の短命で終わり、1948年3月10日には芦田均が総理大臣に任命されたのだった。

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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

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