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みんな英語がペラペラになって何をするのか?

インド、ケニア、アメリカで学んだ英語の「使い」方

吉岡友治 著述家

英語論⑦拡大イメージ写真 Creativa Images/shutterstock.com

 語学というと「まず英語!」、しかも、その「できる」という基準は「ペラペラとしゃべる」。そういう世間的な基準で言えば、英語には、今でもかなり苦手意識がつきまとう。

 たしかに、勉強だけはやったつもりだ。中学校からNHKラジオの英会話番組も聞いたし、読み切れなかったけれど英字新聞を購読した。挙げ句の果てには、アメリカの大学院に行って、英語で論文を書いて学位も取った。それでも、「ペラペラとしゃべる」はできない。文法もいちいち気にかけて話すし、発音もいい加減だ。「ネイティヴ」には及びも付かない。だから、どうしても臆病になる。

バイリンガルとは何か?

 そういう私が、アメリカに行ったとき、一番ビックリしたのが「あなたはバイリンガルなのね、すごいわ!」と褒められたことだった。ちょっと待ってくれ。私はハーフではないし、アメリカで幼少期を過ごしたこともない純ジャパニーズだ。あなたたちの話すレベルなんか、とても……と言いかけて「だって、あなた英語と日本語ができるんでしょ? 私なんか英語しか出来ないから」と返された。

 たしかに「バイリンガル」とは2つの言語を話すことができるという意味でしかなく、そのレベルがどの程度か、示していない。アメリカ人は普通英語以外の言葉が苦手なので、他の国の言葉ができることには、素直に感心する。「英語ができない」という思いに半生の間苛まれていた身にとって意外な解釈だった。

 彼女に従えば、たとえ片言でも、英語以外の言語で自分の意思を通じさせたり会話したりさえできれば、とりあえずバイリンガルなのである。何という簡単な定義か⁈ 帰国子女でなくちゃハーフでなくちゃ、などと余計な含意を付け加えて凝り固まっていたのは私の方だったのだ。

英語論⑩拡大イメージ写真 Eiko Tsuchiya/shutterstock.com

言語が上達するとは何か?

 実際、言語の習得にはいろいろな上達レベルがある。日常会話ができるレベルと新聞が読めるレベルは明確に違う。前者は語彙も伝達内容も限られている。私は、インドネシアにも家があるので、仕方なく10年程前からインドネシア語を始めたのだが、お手伝いさんと話すには難しい単語も構文も必要ない。「朝ご飯は卵が欲しい」程度の内容でまったく問題はない。

 しかし、そこにトラブルが発生して、外の世界が入ってくると、とたんに言葉が違ってくる。たとえば、水道屋に来てもらって水漏れを修理する。大工が来て床板を張り替える。シロアリ業者を呼んで薬品を散布する。それだけで使う語彙も内容も変わってくる。そんなわけで、インドネシア語で家のパーツや害虫の名前をいろいろ覚えた。だが、それらにあたる単語は、英語では言えない。

英語論③拡大イメージ写真 f11photo/shutterstock.com

 実際、シカゴの大学院に入学したとき、ときどき息抜きに外出したが、困ったのは、街中の言葉が分からないことだった。大学の周囲は黒人街だが、そこで声をかけられたり笑いかけられたりしてもさっぱりわからない。大学の講義は問題なく分かるのに、生活の言葉は分からない。白人の知識階級の言葉は理解できても、黒人の庶民階級の言語が聞き取れない。いったい、私はアメリカで何を学んでいるのだろう? 言語の中に、人種問題や階級が入り込んでいることを実感した。


筆者

吉岡友治

吉岡友治(よしおか・ゆうじ) 著述家

東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学修士課程修了。演劇研究所演出スタッフを経て、代々木ゼミナール・駿台予備学校・大学などの講師をつとめる。現在はインターネット添削講座「vocabow小論術」校長。高校・大学・大学院・企業などで論文指導を行う。『社会人入試の小論文 思考のメソッドとまとめ方』『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術』など著書多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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