メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

就職氷河期世代が求めた「三方良し」の働き方

三菱地所で稀有なキャリアを歩む井上さん。人生を変えたのは1冊の本とルーツだった。

岩崎賢一 朝日新聞記者

ライフシフトジェネレーション③拡大親子での通勤風景=井上友美さん提供

 自分は何者なのか。こう悩み考えた末に出会った1冊の本が、その後の人生を切りひらいた。自身のルーツを振り返ることで、自分の中では点でしかなかった意識や思いがつながり、ビジョンが生まれた。三菱地所が丸の内の街づくりの一環として取り組む「食育丸の内」をプロデュースしてきた井上友美さん(40)が、その人だ。世間からは「古い」「堅物」とイメージされがちな三菱地所株式会社の中で、稀有なキャリアデザインを切りひらいている。

私を変えた一冊の本

 「学生時代は、ただ漠然と就職することに疑問を感じていたものの、やりたいことが見いだし切れていなかった時期がありました」

 井上さんは、こう振り返る。

 「もう少し自分と向き合う時間が欲しい」

 こう考え、内定した就職を辞退し、在学中からやっていたモデルの仕事を続けていくことにした。

 2001年9月12日、現場で出会った若手俳優の人からこんな言葉を言われた。

 「チャレンジするなら、一度、東京に出ないとダメだよね」

 アメリカ同時多発テロ「9.11」の翌日だった。

 「一度しかない人生だから」。こう考え、翌週には上京した。モデル事務所に所属したものの、オーディションでは「モデルという自身が商品なので、生き方自体が否定されることもあった」。

 マネージャーに「芝居を学んでみては?」と言われて通ったスクールの演出家に勧められたのが、ライフ・シフトするきっかけとなった1冊の本だった。

 「『死ぬ瞬間』と死後の生」(エリザベス・キューブラー・ロス博士著)

 演出家からは、本読みや演技の前に、自身の親と向き合えといわれた。目からうろこだった。親への感情や関係、生い立ちやこれまでのルーツをひもとく作業が自身の価値観の再確認をする時間となった。沖縄で暮らす母方の祖母の影響を強く受けて育ったこと、それは、医食同源や自然への感謝、「人に生かされていることに感謝しなさい」という祖母の価値観に自身が深く影響を受けていることに気づく。その価値観と思考とビジネス、それらを結び付けてくれるビジネスワード「ロハス(持続可能なライフスタイルを目指す)」に行きついた。

ライフシフトジェネレーション③拡大沖縄移住時代=井上友美さん提供

 「私が求めていた表現とはモデルではなく、価値観を作ったり、提供したりするプロデューサー的な仕事の方が向いていると思った」

 自分で作った造語「ロハス・スタイリスト」が生まれた瞬間だった。その後、三菱地所へ入社。その後退社し、沖縄移住し、出産。再び拠点を東京に戻し、三菱地所へ再入社するキャリアをたどる。

モノよりヒトのつながりに関心寄せる就職氷河期世代

――おおざっぱに井上さんのキャリアを説明すると、大学在学中からモデル活動をして、2005年から「ロハス・スタイリスト」に、そして2007年に三菱地所で会社員として仕事をしてきたということになります。関西の大学に通っていたそうですが、学生時代、キャリアデザインをどのように考えていたのですか。

 私たちの世代は、就職氷河期といわれた世代です。社会課題にアクションを起こしていくことに燃える世代でもあります。モノより人とのつながりに関心がありました。だから、納得をしてモデルをしたいというよりも、何かを模索している感じでした。

 そんなとき、スクールの演出家に勧められたのが「『死ぬ瞬間』と死後の生」でした。著者のエリザベス・キューブラー・ロス博士は、緩和ケアや遺族ケアに影響を与えた精神科医です。むちゃくちゃ感銘を受けましたね。人の死ぬ瞬間は、もっと仕事をしておけばよかったなということではなく、日々の生活のささやかな喜びや思い出を振り返り、日々に満たされていたことが自分の支えとなるということに、納得感がありました。

 母方は沖縄で、その価値観に影響を受け、大事だと思ってはいましたが、それがビジネスと結びついたのが当時出てきた「ロハス」という価値観でした。

ライフシフトジェネレーション③拡大旅する時間を大切にしている、トルコの旅先で=井上友美さん提供

 私のやることは、モデルではなく、価値観をつくったり提供したりする仕事の方が向いている――。

 ロハス・スタイリストを名乗りだし、ある企業のプロモーションのため、三菱地所の旧本社ビルで仕事をしていたとき、2007年にオープンする「新丸ビル」の企画を手伝って欲しいと頼まれたのがきっかけでした。

 新丸ビル7階には、三菱地所が直接企画・運営をするスペースが設けられるということでした。

 いいですよ、とお手伝いする感じでいたら、入社ということでした。巡り合わせですね。当時、個人で活動していましたが、個人でやれることは限られます。大きな力がないと社会は変えられないし、多くの人に届かないと思っていた時期でもありました。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき けんいち) 朝日新聞記者

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで医療や暮らしを中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当を経て、現在はオピニオン編集部で「論座」編集を担当。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)。 withnewsにも執筆中。

岩崎賢一の記事

もっと見る