メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

合意なきブレグジットは怖いのか

ブレグジットによる最大の被害者はイギリスだ。大英帝国は解体するかもしれない

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

安倍晋三首相を表敬訪問するため、首相官邸に入る英国外相時代のボリス・ジョンソン氏(右)=2017年7月21日、首相官邸

“合意なき離脱”しか道はない

 EUからの離脱強硬派のボリス・ジョンソンがイギリスの首相になってから、“合意なき離脱”の可能性がますます高まっている。

 まず、EUから離脱するとしても前任のメイ首相がEUと合意した協定案をベースとすべきであるとする穏健派の閣僚たちを更迭(または本人たちが自ら辞任)し、離脱強硬派を主要閣僚に任命した。

 さらに、ボリス・ジョンソンは、10月31日には、いかなることがあろうともEUから離脱すると宣言する。また、メイ首相がEUと合意した協定案の中のバックストップ(アイルランドとの国境検問所を設置しないために、イギリスは離脱後もEUの関税同盟・単一市場にとどまる)は認めないと言明する。

 他方の当事者であるEUは、メイ首相がEUと合意した協定案を再交渉する余地はないとし、特に北アイルランド紛争を再発させないためにもバックストップは必要だとする立場をはっきり述べている。離脱時期を延長してもよいではないかと述べた新欧州委員会委員長に就任したフォン・デア・ライアンも、バックストップを含め協定案を変更しないという立場は明確にしている。

 つまり、ボリス・ジョンソンの主張では、EUと合意することは困難となる。

 EUの側では、欧州委員会委員長などの首脳人事を決定する過程で、ドイツのメルケル首相の影響力が低下し、EUに不満を持つイギリスは切り捨てEU統合を積極的に進めるべきだとするフランスのマクロン大統領の影響力が高まっている。メルケルはドイツや自身が推薦した欧州委員会委員長候補をマクロンに否定され、委員長候補として下馬評にも上らなかったフォン・デア・ライアンをマクロンに推薦され、同意せざるを得なくなった。

 イギリスのEUへの加盟申請を二度にわたり拒否したドゴール元フランス大統領を尊敬するマクロンは、イギリスが離脱したいなら、何でもよいから早く出ていけという考えである。

 北アイルランド紛争を再発させないためにはバックストップを入れた協定案でイギリスに離脱させることが望ましいが、バックストップなしの合意なき離脱によって紛争が起きるとしても、それは北アイルランドを含むイギリス領土内であって、EU域内ではない。EU大統領のトゥスクを押し切って、10月31日までという短い期限を設定したのはマクロンであり、彼は合意なき離脱でも構わない。

 論理的にも、“合意なき離脱”しか選択肢は残っていない。

 イギリス議会はメイ首相がEUと合意した協定案を3度にわたり否決したうえ、他の複数の選択肢のいずれについても多数で可決することはできなかった。他方、EUはメイ首相と合意した協定案のお化粧直し程度の修正には付き合ってもよいと考えているかもしれないが、イギリスの離脱強硬派が要求するバックストップの修正や撤回など重要な要素について譲るつもりは全くない。

 つまり、イギリスとEUがともに納得する協定案はありえない。逆に言うと、“合意ある離脱”がない以上、“合意なき離脱”しかない。

 離脱の再延期という手もあるではないかと考えられるかもしれないが、離脱するなら再延期をしてEUが要求する協定案に合意することが前提である。“合意ある離脱”がない以上、これも選択肢とはならない。何より、10月31日離脱には、ボリス・ジョンソンとエマニュエル・マクロンという両当事国の首脳の奇妙な一致がある。

 昨年までなら、二回目の国民投票を行い、離脱を取りやめるという可能性もあった。しかし、首相となった離脱強硬派のボリス・ジョンソンがこれを採用することは考えられない。それだけではない。

 ボリス・ジョンソンが保守党首になれたのは、5月の欧州議会選挙でファラージ率いるブレグジット党が大きく躍進し、保守党が惨敗したという背景がある。保守党はブレグジットを強硬に主張する人を党首に掲げなければ、将来の選挙でブレグジット党にお株を奪われて惨敗する恐れが強くなったのである。ボリス・ジョンソンが変節しようとしても、保守党がそれを許さない。

 時間的な制約もある。ボリス・ジョンソンはEUと再交渉すると言っている。しかし、8月は、EUの欧州委員会は一斉にバカンスに入っていて仕事にならない。イギリスとEUの協定再交渉は9月になってようやく開始される。10月31日まで2か月しか残されていない。

 しかし、上記のように、イギリスとEUが合意することはありえない。交渉決裂してから、野党が提出した内閣不信任案を保守党の残留派などの離反も得ながら可決して総選挙をしたり、また、それを踏まえて二回目の国民投票を行ったりすることを、10月31日の離脱前に行うことは時間的に不可能である。

Melinda Nagy/Shutterstock.com

“合意なき離脱”は悪いのか?

 では、“合意なき離脱”は、どれだけ悪いのだろうか?

 “合意なき離脱”を批判する人たちは、“合意ある離脱”と比較して悪いと主張しているはずである。

 では、その場合の“合意ある離脱”とは何か? 何となく“秩序ある離脱”だと考えられているだけではないだろうか?

 そもそも、“合意なき離脱”は地震や台風などの災害のように突然発生するものではない。

 3月が当初の期限で、これが10月に延長された。企業としては、EUから輸入される商品・部品の在庫積み増しや通関手続きへの対応など十分に事前の準備を行っているはずである。

 離脱後にEUとの間の関税は引き上がるが、適用される関税は現在EUが域外国に適用しているものとなる。これも企業にとっては明らかだろう。10月からの消費税の引き上げに対応して、日本の企業がいろいろな準備をしているのと同じである。

 “合意なき離脱”は“秩序ある離脱”なのである。

 しかも、イギリスの企業も、日本やアメリカなどこれまでEU以外の国と行ってきた貿易(通関手続きなど)をEUと行うようになるというだけのことである。

 つまり、すべては“想定の範囲内”なのに、“合意なき離脱”はイギリスを突然嵐の中に投げ込むようなものだと誇張して報道され、これが一般に信じられている。

 では、短期的な準備はともかく、中長期的には、どうだろうか?

 メイ首相がEUと合意した協定案のバックストップなら離脱後もEUの関税同盟・単一市場にとどまるので、今まで通りである。しかし、これはブレグジットではないと与党の保守党や議会に反対されたものである。これがイギリスとEUの間で合意される可能性はない。

 そもそも“合意ある離脱”がありえず、比較するものがない以上、“合意なき離脱”が悪いとはいえない。

 ブレグジットになると、日本が世界の他の国から独立していると同じように、イギリスは通商関係でもEUを含め世界の他の国から独立する。それだけのことである。また、これに伴う様々な問題もイギリスにとっては、覚悟の上のことである。

 EUとの間に関税が復活して、イギリス国内で野菜・果物やワインなどの価格が上昇したり、自動車をEUに輸出するときに10%の関税がかかるようになるという問題が指摘される。

 しかし、EUと自由貿易協定を締結すれば、この問題は解決される。我々が漠然と“合意なき離脱”の反対の“秩序ある離脱”として考えているのは、この自由貿易協定ではないだろうか?

 自由貿易協定交渉に時間がかかると考えられるかもしれない。

 しかし、日EU経済連携協定など、ひな型となる自由貿易協定はたくさんある。イギリスも他のEU諸国もこれらの協定の当事者なので、これら協定を参考にしてイギリスとEUの自由貿易協定を締結すればよい。

 さらに、自由貿易協定交渉で最も問題となるのは、物品の関税削減・撤廃交渉であるが、イギリスはEUの関税同盟の中にあるため、イギリスと他のEU諸国の関税はゼロになっている。ゼロの関税について、削減・撤廃する交渉は要らない。今まで通りの扱いとすればよいだけである。

 他方で、国境管理が復活して、通関に時間がかかり、イギリスの企業がヨーロッパから部品を調達することが困難になるという問題(逆にヨーロッパの企業がイギリスから部品を調達する場合も同様の問題が起こりうるが、大きな問題とはとらえられていない)も指摘されている。しかし、これはイギリスが望む通り、EUの関税同盟・単一市場から独立する以上当然のことである。

 すでに述べたとおり、この問題は、イギリスがEUと自由貿易協定を締結したとしても解決しない。自由貿易協定を結んで関税をなくしても、原産地証明の観点から国境管理は必要となる。また、離脱後のイギリスとEUとの間で貿易される物品について、その規格や基準が輸出先の規則にあっているかどうかの審査も国境で必要である。(『ボリス・ジョンソンとは何者か?』参照)

Fabio Berti/Shutterstock.com

“合意なき離脱”で日本企業は?

 我々が考えなければならない、より大きな問題は、“合意なき離脱”に問題があるとしても、誰が被害を受けるかである。

 日本の企業は影響を受けるのだろうか?

 すでに、イギリス(ロンドン・シティ)に進出している金融機関は、その機能の一部をフランクフルト、パリ、マドリッド、ブラッセルに移していると言われている。あるEU加盟国はブレグジットを見越して、昨年経済閣僚や財界関係者を日本に派遣し積極的な誘致活動を行っている。

 ホンダは今年イギリスからの撤退を公表した。自動車などの製造業にとっては、ヨーロッパ大陸との間のサプライチェーンが国境管理で影響を受けるとすれば、短期的にはブレグジット前の在庫積み増しなどで対応し、中長期的には生産拠点をイギリスから他の地域に移そうとするだろう。

 なにより、将来の生産や販売について不確実性があることは、その地で投資を行う企業にとって大きなマイナス材料である。

 ブレグジットを巡る混乱で、イギリスは企業が投資を行う上で大きなリスクがある国であることを証明してしまった。海外の企業がイギリスに投資する場合どころか、現在イギリスで活動している企業もイギリスから脱出しようとするだろう。現在イギリス経済は失業率も他のEU諸国に比べて相当低く、ブレグジットのもたらす困難を想像できないのかもしれないが、イギリスからの企業のエクソダス(国外脱出)は、将来イギリス経済に深刻な打撃を与えることになろう。

 企業だけではない。ヨーロッパで活動しているイギリス市民も“合意なき離脱”を恐れて、ドイツやフランスなどEU域内の市民権を獲得しようとしている。また、イギリス人がアイルランド国籍を獲得しようとして、親戚にアイルランド人がいないかと探しまわっているという話も聞く。

スコットランド独立、アイルランド統一の可能性

 さらに、ブレグジットは大英帝国の解体をもたらす可能性もある。

・・・ログインして読む
(残り:約861文字/本文:約5737文字)