武田淳(たけだ・あつし) 伊藤忠総研チーフエコノミスト
1966年生まれ。大阪大学工学部応用物理学科卒業。第一勧業銀行に入行。第一勧銀総合研究所、日本経済研究センター、みずほ総合研究所の研究員、みずほ銀行総合コンサルティング部参事役などを歴任。2009年に伊藤忠商事に移り、伊藤忠経済研究所、伊藤忠総研でチーフエコノミストをつとめる。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
アメリカの「勝利条件」、中国の「3条件」から見えてくるものは……
こうしたアメリカの動きに対して、中国側はトランプ大統領の判断を批判、報道などではレアアースの輸出規制や中国内での米国系企業への圧力などが、可能性としては指摘されている。ただ、今のところアメリカからの農産品の輸入を停止した以外の目立った反応を見せていない。
その背景の一つとして、既に中国がアメリカとの貿易摩擦において、不用意に動かない方針を固めたことが指摘できよう。
これまで中国は、トランプ大統領の「ちゃぶ台返し」にたびたび翻弄(ほんろう)させられ、そのつど、米国に押し切られる苦い経験がある。そこで、中国政府は、合意のための三つの条件を明示した上で、それが満たされなければ長期戦も辞さない構えに戦略を変更したようである。
三つの条件は、6月に中国政府が発表した白書「中米経済貿易協議に関する中国の立場」にも示されている。具体的には、①全ての追加関税の撤廃、②現実的な輸入拡大規模、③合意文章のバランス確保、である。
①については、追加関税について中国は「全ての即時撤廃」を求めているが、アメリカは「段階的な引き下げ」を主張、今のところ平行線である。
②に関して言うと、輸入拡大は、言うまでもなく中国のアメリカからの輸入であり、その規模を中国は当初、年平均2000億ドル程度としており、アメリカにとっては対中貿易赤字が半減するので悪い話ではなかったはずである。ところが、アメリカは協議の途中で「非現実的」な水準への大幅上積みを迫ったようである。
③の合意文章については、アメリカから中国への一方的な要求ではなく、双方の「合意」という形を取るべきだという趣旨だと考えられる。
中国に目立った動きが見られないもう一つの背景に、「北戴河会議」において対米方針が定まるのを待っていることもあろう。北戴河(ほくたいが)は北京から東に300キロほどのところにあるビーチリゾートで、毎年8月上旬、長老と呼ばれる中国トップ経験者や現役指導部が集まり、重要な政策の方針を議論するための非公式会議を行っているとされる。
権限の集中を着実に進めているとされる習近平国家主席ではあるが、対米政策については、景気の悪化という実害が発生していることもあり、党内の意見を幅広く集約し慎重に進める必要があるのだろう。
「不動の策」に出た中国に対して、トランプ大統領のとった一連の措置は、9月からの通商交渉本格化という決戦を前に、中国の本心を探るための「威力偵察」であると考えれば理解できるのではないか。すなわち、相手の戦意や陣立ての様子を確かめるため、あえて攻撃されることを狙って、敵陣近くに「部隊」を送り込んだのである。
実際、第4弾の追加関税を最近の人民元の下落幅と同程度の10%にとどめて悪影響を抑制、為替操作国の認定も現実的にダメージを与えるわけではない。あくまでも、中国の動揺を誘う程度のものである。
そのうえで、アメリカは中国の反応を見ながら決戦における戦術を練り、必要に応じて自らの陣立てを修正するのであろう。協議中止の可能性まで口にしたトランプ大統領であるが、こうした見立てが間違っていなければ、本心は協議をやる気満々だということである。来年に大統領選を控えて、そろそろ大きな戦果を得たいはずのトランプ大統領が、貿易問題に決着をつけ得る機会を見送るとは考え難い。