丸の内にコミュニティーが必要な理由
日本一のビジネス街は、なぜ「働くだけの街」から変わらなくてはいけなかったのか?
井上友美 三菱地所商業施設運営事業部マネージャー
再開発が進み、街の様相が昭和時代と比べると様相が変わってきた日本一のビジネス街「丸の内」。夜や週末はシャッター街でしたが、今はショップや飲食店で回遊したり、オフを楽しんだりできる街になってきました。そんな丸の内で今、コミュニティーづくりが進んでいます。会社中心から、人中心、テーマ中心に様々な動きがでてきています。なぜ、ビジネス街にコミュニティーが必要なのでしょうか? 三菱地所の井上友美さんに寄稿してもらいました。(「論座」編集部)
無機質な街ではだめなのか?
再開発を推進する三菱地所は、1998年から約20年をかけて丸の内の再開発を進めてきました。
目標の一つが「働くだけの街」からの脱却でした。

丸の内仲通り。平日、休日を問わず多くの人でにぎわうようになった。石畳にケヤキ並木の美しい陰影を落とす=三菱地所提供
現在、大手町・丸の内・有楽町(以下、大丸有エリア)の約120ヘクタールに、約4300社の企業が集積し、約28万人が働いています。その大丸有エリアの約3分の1を所有もしくは管理運営をしているのが三菱地所です。オフィスビルの機能性を高め、東京駅前という利便性を強みにして日本を代表するビジネスセンターへと成長を遂げてきました。
再開発では、これまで無機質な印象だった街が、「歩いて楽しい街」へと生まれ変わってきています。全長約1.2キロに及ぶ丸の内仲通りには、お洒落なカフェやレストラン、ファッションブランドが立ち並びます。道路は、車だけではなく人が歩きやすいように歩道の幅も変更し、路面を石畳に替え、木陰が生まれるように街路樹が植えられています。街の中にほっと一息つけるようなポケットパークや美術館も配しています。
2002年に誕生した丸ビルを皮切りに、商業施設の集積が進んでいますが、歩行者数は丸ビルの開業前と比較すると約3倍になっています。
キーワードは「オープン」「ネットワーク」「インタラクティブ」
丸の内は、高度成長を支えたオフィス需要に答えた結果、働く以外の選択肢がない街になってしまっていました。90年代後半には、デフレ経済や金融機関の統合、IT化が進み顧客ニーズの変化に古いオフィスビルが対応できなくなり、企業が丸の内から離れてしまったことを、当時のメディアに「黄昏の街、丸の内」と揶揄された苦い経験があります。
再開発に向け、当時、社内で議論され、導き出されたキーワードが三つありました。
「オープン」
「ネットワーク」
「インタラクティブ」
再開発を成功させるためには、多様な価値観や多様な人々を受け入れることが重要だったわけです。

2006年9月、オフィスビルの再開発が進むJR東京駅周辺。手前は八重洲、奥は丸の内=朝日新聞社ヘリから
ライバルとつくるフロア・コミュニティーが強みに
私はちょうど新丸ビルが開業した2007年に、三菱地所に入社しました。その年は、丸の内再開発の第1ステージ完成のタイミングでした。
配属された商業部門で驚いたのは、飲食店誘致のこだわりです。店舗とオフィス複合型のビルの場合、飲食店はビルのテナントの約20%程度といわれていますが、丸ビルでは約50%、新丸ビルでは約40%を飲食店が占めていました。ブレイク前の若手シェフや下町の名店を誘致し、丸の内ならではのオリジナリティのある飲食店に、共に育てあっていくという空気がありました。
その中でも、新丸ビル7階にある「丸の内ハウス」というフロアでは、複数の飲食店がコミュニティー化されています。共同で空間を形成し、個店という「点」ではなく、フロア全体の「面」で来街者を迎えることに取り組んでいるのが特徴です。本来ライバルでもある他店舗とパートナーシップを組むということは、当時とても画期的な仕組みでした。フロアでの集客やブランディングを行う。互いに目指すべき施設について議論し、そのコンセプトが共有されることで、結果的に息の長い愛されるフロアとして、多くの人々が訪れ、深夜までの賑わいが続いています。