移住、地域活性化……地域の価値観を共有できるか、試されているかもしれません
2019年08月21日
その多くが慣習や風習に関わるもので、経営改革(改善)を目指している場合は、それを尊重すべきか、見直すべきかの見極めが必要になります。
ちなみに、「習慣」は個人的な行動様式であるのに対して、「慣習」は特別なグループ内で引き継がれてきた行動様式を言います。「風習」は、正式には「風俗習慣」といい、行為伝承のひとつです。地理、歴史、その地域の産業の違いによって顕在化し人々の行動や思考パターンに影響を与えるものなので、お盆や祭りの類は「風習」の一つになります。
地域の経済を牽引する源は、土地に根付く、礎(いしずえ)のようなもので、それは、その土地の土、地形、歴史から醸成されます。それらは、やがて時間の経過とともに文化や風習になると考えています。
文化や風習は、その土地で生活する人々の知恵や経験が活かされています。従って、人間の想いの集積が文化や風習になったとも言えるでしょう。それは歴史が長ければ、長いほど、容易に穿つことができないほどに神格化し、よそ者はそれと対峙した時に、どう向き合うのかが問われることになります。
私個人の経験から言えば、それらの中の、とりわけ、神仏にまつわることは、何よりも尊重すべきことだと思います。
この記事を書いているのは終戦記念日であり、お盆真っ最中の8月15日。私は、海上自衛隊の潜水艦艦長だった父を持ち、広島県の呉市で生まれました。今回は、先祖や亡くなった人があの世からこちらの世界に戻ってくるという特別な日に、経済的価値とは異なる「価値観」について考えてみました。
今から4年前、私は、有田焼で有名な佐賀県有田町の何軒かの窯元と一緒に仕事をしていました。
ある日、翌月のスケジュールを立てていると、老舗窯元の奥様から、こう言われました。
「すみません。その時期は『お盆』なので働けません」
てっきり、どこかに遊びに行くのか思い「いいですね! 夏休みを取られるのですね。どこに行くのですか?」と聞きました。すると、奥様は驚いてこう答えられました。
「ご先祖様があちらの世界から帰ってこられるのに、家を空けるなんでとんでもありません。お盆はご先祖様をお迎えする準備と、ここで過ごしていただくために色々しなければいけないことがあるので、窯仕事ができないのです」
「もちろん大丈夫です。どうぞ、お盆に専念されてください。ところで、一つお願いがあるのですが、ぜひ、そのお盆の状況をレポートしてもらえませんでしょうか?」
奥様がご承諾してくださったおかげで、有田の知られざる風習を知ることができました。
有田のお盆は、7月13日から15日までです。お盆のお作法は有田町内すべて同じ訳ではありませんが、ここでは、その窯元の奥様から教えてもらったものを簡単に紹介しましょう。
仏壇の飾り付けを見ると、御膳が二つあります。聞くと、一つは「ご先祖様」のもの、もう一つは「餓鬼じょうろ様」のものだそうです。
「餓鬼じょうろ様」とはなんでしょうか。
そのほかに、「お迎えダゴ」というものを用意したり、「初物」をお出しするきまりがあるそうで、そのために1カ月前から家伝の奈良漬を準備されていました。この窯元さんは創業250年以上。つまり、こんなにも手間暇がかかることを250年以上も絶やさずに毎年続けられているのです。
この地域では、初盆(今年亡くなった方がいる家で行う初めてのお盆のこと)の家を回る習慣があり、小さな町ながらも、毎年10人~20軒の家々を喪服を着ておまいりをします。黒い服の人たちが町中をぞろぞろと歩く姿は、他県から来た人たちから見れば、なかなか異様な光景なのではないでしょうか。
ともかく有田では、お盆の準備だけではなく、初盆のおまいりをしなくてはならないので、日常的な仕事ができなくなるのです。私は当時、どちらかというと仕事優先の人間だったので、仕事でも遊びでもない行事に専念する期間があることがとても新鮮に思えました。
有田だけではありません。経済活動よりも行事を優先する地域はほかにもあります。
住民が400人にも満たない八重山諸島にある竹富島では、島民あげての祭りがあり、住民はほぼ全員参加しなくてはならないという不文律がありました。この期間は、大人は仕事を休み、島を離れている人の中には休暇をとって戻ってくる人もいました。子どももお祭りを手伝うため、学校も休みになります。個人や有志レベルではなく、島全体が、経済よりも学業よりも、祭りが優先されるのです。
よそ者が地域に行くと驚きの連続です。しかし、観光で訪れているわけではないので、驚いているだけではなく、その地域に飛び込んで地域の人たちと一緒になって働かなくてはなりません。その時に、異なる価値観と対峙することになるのです。
今思えば、異なる価値観を目の当たりにしたよそ者の振る舞いや言動から、それをどう受け止めるのか、果たしてこの人と一緒に仕事をしていけるのか、それらを見られていたのかもしれません。
前職である星野リゾートの広報担当時代、前述した竹富島にリゾートホテルをオープンすることになり、密着取材の対応をするために島に3週間ほど滞在したことがありました。
ある晩、ディレクターと夕食を食べていたら、島で文化的な活動をしている若い男性が、私を訪ねてきました。私を見つけると、私にではなく、ディレクターに向かって、こう言いました。
「すみませんが、南雲さんをお借りしてもいいですか?お話ししたいことがあるのです」
当時、島にはリゾート施設の建設に反対する外部圧力もあり、若干のピリピリモードがありました。その人は反対者ではなく、歓迎してくれていた人でしたが、ここにきて、何か気になることでもあり、怒られるのかもしれないと、不安に思いました。しかし、断れる感じではなかったので、ディレクターに「1時間で戻らなければ探しに来てください」と耳打ちをして席を外しました。
真っ暗な森の中で唯一光っているのは月と足元の白砂だけ。足元を見ていないと歩けないほどの暗闇の中を彼と歩きながら話をしたのは、私の価値観についてでした。
彼は私に二つの質問をしました。
一つ目は、暗闇をどう思うか?
もう一つは、神さまはいると思うか?
私の考えをお話ししたところ、合格点をもらえたようで、うなずきながら最後にこう言われました。
「あなたは企業の宣伝をする広報ですが、これからは島の広報もすることになります。分からないことがあれば、何でも聞いてください。島のために一緒に頑張ってください」
その時つくづく思ったのは、地域で仕事をするということは、企業人という枠を超えて地域経済の一端を担う役割があるということです。怒られるのではないかと、びくびくしていた自分が恥ずかしくなり、背筋を正した瞬間でした。それから、広報という仕事を通して、自社のことだけではなく、地域のことも一緒に考えるようになりました。
日本は狭いようでも多様な価値観があります。南北で育つ作物は異なりますし、海沿いか山間かといった異なる環境下で生活をしていれば当然のことでしょう。
その土地を訪れて、視覚だけではなく、嗅覚や聴覚などで実感することは論理を超えた理解が得られると思います。
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