生物の驚きの知恵が地球を救う! 自然に学ぶ技術開発
2019年09月04日
生物の能力を医療やモノ作りに生かす研究開発が熱を帯びている。
体長1ミリの線虫が持つ嗅覚を利用し、1滴の尿でがんのリスクを判定する技術が、2020年1月から実用化される。
フェロモンを追うカイコガを利用して違法薬物や化学物質を探知する技術は「センサ昆虫」として登場している。
ともに長い進化の過程で身に付けた生物の優れた能力を活用する。高額な検査機器に比べてはるかに安く、消費する資源やエネルギーは少ない。しかも高効率だ。
生物の活用はSDGs(持続可能な開発目標)にも適うため、自然に学ぶ専門部署を設ける企業が増えている。
線虫を使うがん診断技術を実用化したのは、大学研究者だった広津崇亮氏が設立したベンチャー企業の(株)HIROTSUバイオサイエンスである。
線虫は土の中に生息し、大腸菌を食べて繁殖する。目や耳がない代わりに嗅覚が発達しており、1200種類もの嗅覚受容体遺伝子(犬は800種類)を持っている。
広津氏は、線虫ががん患者の尿の匂いに強く誘引され、健康な人の尿からは遠ざかる性質(化学走性)を持っていることを発見。全国の大学や病院と協力して、がんの有無を調べる1次スクリーニング用の検査キット「N-NOSE」を開発した。
検査できるがんは、胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん、肝臓がん、すい臓がん、前立腺がん、子宮がん、食道がんなど15種類。
広津氏は「1滴の尿で全身のがんを一度に検査できる。検査精度は85%と高く、ステージ0や1の早期がんも発見できる。線虫は1匹が300個の卵を産むため飼育コストが非常に低く、人工の機器を使う他の検査法に比べて安価。集団検診にも適している」と言う。
次の課題は、がんの種類を特定する2次スクリーニングである。遺伝子組み換えによりがん種別に反応する線虫を使う検査法を開発中で、2022年に実用化したいという。
一方、カイコガの嗅覚を使って「センサ昆虫」を開発したのは、東京大学先端科学技術研究センター所長の神崎亮平教授である。
オスのカイコガは触角がフェロモンを感じとると、電気信号が脳に流れ、脳は本能的にフェロモン源を探索するよう行動指令を出す。メスが遠くにいても、オスはジグザグしながら追いかけていく。
センサ昆虫は、オスの嗅覚受容体の遺伝子をフェロモン以外の化学物質に反応するよう改変したカイコガ。空港などで麻薬など違法薬物や、その所有者を探知する。
探知用の機器や探査犬が数千万円するのに対し、カイコガは1匹わずか5円。マツタケを見つけるカイコガも作製されている。
人の脳は推論や未来予測、計算をする認知機能の部分が発達しているが、昆虫は進化の過程で生き抜くために本能的に反応し行動する部分が発達した。カイコガの脳は1ミリほどの大きさで、神経細胞の数は約10万個。1000億個ある人の100万分の1にすぎないが、その情報処理は実に素早く低エネルギーである。
昆虫は、地球の全生物180万種のうち50%以上を占める。神崎教授は「昆虫はAI(人工知能)にもできないことを本能的に簡単にやってのける。優れた問題解決能力の活用はSDGsにも適う発想だ」という。
人類は石油・石炭・天然ガスなどの地下資源を採掘し、膨大なエネルギーや鉱物資源を消費して生活を豊かにし、科学技術を発展させてきた。
しかし、19世紀半ばの産業革命以降、大気中の二酸化炭素濃度は急激に上昇し、温暖化を招いている。南北極やグリーンランドの氷は解けつつあり、このまま平均気温が上昇すれば、そう遠くない未来に地球は生命が暮らせる環境ではなくなることが危ぶまれる。
SDGsは、その危機的な状況に歯止めをかけようという運動である。多くの資源を投入するのをやめ、エネルギー消費を抑えた生物の賢い知恵や能力を活用する発想を重視する。
トヨタグループや積水化学は最近、「自然に学ぶモノづくり」を研究する部署を設置した。AIやIoTの開発に偏ってきたイノベーションが行き詰まる今、未開拓の領域である生物の研究に目を向けようという気運が産業界に生まれている。
この研究領域は「バイオミメティクス」(生物機能の模倣・再現)などと呼ばれ、2000年代半ばから注目を集めてきた。
下村政嗣・千歳科学技術大学教授の資料を基にいくつかの成功事例を紹介しよう。
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