英国首相は北アイルランドと英国本土の間に国境を引く選択をEUに飲まされた
2019年10月18日
現地時間10月17日10時半ころ、ボリス・ジョンソン英国首相とユンカー欧州委員会委員長がともにイギリスとEUとの合意を発表した。合意内容、合意に至るまで何が争点となったかという経緯とこれを踏まえた現時点における今後の見通しを述べたい。
10月31日のEU離脱期限が近付いてブレグジットの交渉が切迫した。10月中旬になって、合意なき離脱でも10月31日に離脱すると主張してきたボリス・ジョンソン英国首相が、合意ある離脱を真剣に模索し始めた。
メルケル独首相がジョンソンの提案は受け入れられないと主張したと伝えられた際には、合意への機運はしぼんだ。しかし、その後のジョンソン首相とアイルランド首相の会談で、北アイルランドの国境問題についてのジョンソン首相の新提案をアイルランド首相が評価したことから、この提案をEU側が真剣に検討し始め、イギリスとEUとの交渉が深夜に及んでまで行われるようになった。
私は10月11日からイギリスに来ているが、BBCなど現地の報道は合意への期待と失望の繰り返しで、荒海の中の小舟のようだった。
16日の深夜になって、事務的には、ようやく原則では大筋の合意ができた。しかし、これがEU首脳会議で正式に承認されるためには、法律文書として協定案に落とし込まなければならない。
今決まっているスケジュール通りだと、17~18日に開かれるEUの首脳会議でイギリスとEUの合意案が了承され、その後19日にイギリス議会が承認すれば、10月31日に合意ある離脱、そうでなければジョンソン首相はEUに3か月の離脱期限の延長を申し出ることになる。この延長をEUが認めなければ、10月31日に合意なき離脱となる。
しかし、EU首脳会議まで協定案が間に合わなければ、首脳会議では合意のアウトラインを記した政治的な合意文書だけが承認され、これが19日にイギリス議会で多数の承認が得られれば、月末のEU首脳会議とイギリス議会で法律文書として協定案が了承され、合意ある離脱が実現する。
なお、合意ある離脱の場合には2020年末までの移行期間が認められることから、10月31日にイギリスが離脱するわけではない。
これまで私は、ブレグジット問題の本質は、真の離脱(ブレグジット)のためには国境における通関処理などが必要であるのに対し、それを行うとアイルランドと英領北アイルランドとの間のヒトやモノの移動が制限されアイルランド紛争の再発の恐れがでてくることだと解説してきた。ブレグジットをしようとすると国境管理が必要になり、アイルランド紛争の再発を防止しようとすると国境管理をすべきではないという両立不可能な課題を処理しなければならないというものである。どちらかを採ると、他方を捨てるしかない。
ジョンソン首相の前の首相だったテレーザ・メイがEUと合意した協定案は、アイルランドとの国境問題を重視・優先して、ブレグジットを二の次にしたものだった。具体的には、2020年末までの移行期間までに新たな関係についての合意が得られない場合には、イギリス全体がEUの関税同盟(域内の関税をゼロにするという点では自由貿易協定と同じだが、域外に対する関税を統一する点が異なる)にとどまるうえ、域内の基準や規則をEUで統一し、ヒト、モノ、カネの移動を自由にする単一市場の原則を北アイルランドには今まで通り適用し、イギリス本土にはEU類似の基準や規則を適用しようとするものだった。
これが“バックストップ”と言われるものである。
アイルランド紛争の再発を防止し、EUの関税同盟と単一市場を守るという、EUの立場を受け入れたものだった。イギリスが離脱をお願いするという立場からすれば、当然の帰結だった。
ブレグジットについてはイギリスの動向が報道されるが、主導権を握っているのはEUである。イギリスでも取材の対象としてテレビなどに出てくるのは、EUの首席交渉官のミシェル・バルニエばかりで、イギリスの交渉官はほとんど出てこない。
しかし、イギリス国内では、二つの立場からバックストップに反対が表明され、メイの協定案は3度に亘りイギリス議会で否決され、承認が得られなかった。
一つは、ブレグジット派からの、これはブレグジットではないという当然の批判である。EUから抜けたのに、EUの規則に縛られてしまう。ブレグジットでEUの外に出たイギリスが、一切の決定権を持たなくなったEUが作る規則に従うことになる。これでは主権を回復しようとして、かえって主権を制限してしまうことになる。
また、EUとイギリスが域外国に対しては共通の関税を適用する関税同盟にとどまるということは、対外的な関税の決定権はEUにあるので、イギリスが自国の関税を下げてほかの国と自由貿易協定を結ぶことはできなくなる。これまた関税の自主決定権を取り戻すという目的に反してしまう。イギリスと自由貿易協定を結びたいトランプも反対した。
もう一つは、北アイルランドでイギリスとの結びつきを重視するプロテスタント系のDUP(Democratic Unionist Party)という政党からの反対である。
これは単一市場の原則の取り扱いがイギリス本土と北アイルランドとでは異なることを問題にした。DUPは10しか議席を持たない少数政党であるが、与野党の議席数が伯仲している中では、議決を左右する力を持った。DUPは保守党と連立与党となっているのに、3度の議決のいずれでも反対票を投じた。
こうした中で首相になったボリス・ジョンソンは、当初合意なき離脱でも構わないと判断し、まともな提案をEUに行ってこなかった。それが、離脱期限が迫るようになって、合意なき離脱による混乱を恐れたのか、ようやく真剣に提案を行うようになった。
最初の提案は、北アイルランドにはモノの流通を中心に単一市場の原則を適用するが、通関処理は国境ではなく別のところで行うというものだった。EUの規則の適用という点では、北アイルランドにもEUの規則、単一市場の原則が適用されるので、北アイルランドとアイルランドの国境管理は必要ではない。しかし、関税については、国境はあるのだが、そこでは通関処理を行わないという提案だった。DUPに配慮して、北アイルランドへの単一市場の原則の適用については、北アイルランド議会が拒否権を持つとした。
しかし、このような通関処理のやり方についてはEU側の納得が得られなかった。国境では通関処理だけ行うのではない。麻薬がイギリスに入り、そこから北アイルランドを通じてアイルランドに入ることを規制できなくなる。また、北アイルランド議会の拒否権についても、EUに拒絶された。これでは、EUとして交渉・合意しても、ご破算にされてしまうおそれがあるからである。
北アイルランドとアイルランドの間に国境は引くのだが、そこでは国境管理をしないという苦肉の提案が、EUに通じるはずがなかった。結局、北アイルランドとアイルランドの間に国境を引かないという選択肢しか残されない。
しかし、これではブレグジットにならない。メイのバックストップと同じことになる。
このためジョンソンは、EUが要求しメイが拒否した北アイルランドとイギリス本土の間に国境を引くという選択を飲まされることになった。
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