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福島と嫌韓~映画『一陽来復』尹美亜監督に聞く

被災者、こころの再生の軌跡/韓国公開と在日韓国人であること

原真人 朝日新聞 編集委員

ドキュメンタリー映画『一陽来復 Life Goes On』予告動画

東日本大震災の被災者たちの「6年後」

 東日本大震災の被災者たちの「6年後」を追ったドキュメンタリー映画『一陽来復 Life Goes On』。昨年、劇場公開が終わったあとも、全国各地で自主上映会が開かれている。多くの人に受け入れられ続けるのはなぜか。

 最近も甚大な台風被害が各地に広がっているように、この国では自然災害と日常的に向き合わざるをえない現実がある。被災地でのインフラや家屋などの復興はかんたんではないが、もっと難しいのが大切な人を失った人々の「こころの再生」だろう。

 被災者たちの再生の軌跡をフィルムに収めたこの作品は、だから色あせず普遍的な問いかけを観る者に発し続けている。『一陽来復』の尹美亜監督に作品の狙い、映画公開後の反響などを聞いた。

景色だけでなく、人の気持ちもどんどん変わっていく

――昨年の劇場公開が終わったあとも、各地で自主上映会が続いているそうですね。

 2018年3月に公開され、半年間で全国39の劇場で上映されました。その後DVDも出しましたが、いろんな方から自主上映会の要請があります。企業の会議室、自治体のホールや図書館、お寺など上映場所はさまざまです。ボランティア団体や東北の復興支援に行っていた方たちからの要請も多いですね。東京電力の本社でも公開前に試写会を開きました。東電の福島本社の方たちが呼びかけてくださって、各地の支社の幹部クラス70~80人に観ていただきました。

――ナレーションやテロップが少なく、被災者たちの日常にそっと寄り添いながらカメラを向け続けている印象があります。

 被災した方々のためにならなければ映画を作る意味がない。そう心がけて撮りました。撮られる側が少しでも嫌だと思う撮影や編集は一切しないぞ、可能な限り自然な姿をそのまま伝えよう――。そう思いながら撮りました。だから撮影では、あえて制作者の存在感を消したのです。実際に撮影をするためにお会いすると、皆さん温かく迎えてくれ、喜んでくれました。そんなに喜んでもらえるならどんどん作品を役立てようという気持ちになって、出演者が広がり、100人ほどに。その方たちの名前は全員を映画のエンドロールに記しました。

――撮ろうと思ったきっかけは?

 宮城県女川町を取材したドキュメンタリー映画『サンマとカタール 女川つながる人々』(2016年公開)の制作プロデューサーとして女川に行ったことです。このとき、1本の映画では伝えきれないほど、入れたいことがたくさんありました。実は、はじめ女川を訪ねていった時には、復興工事が進み、土地がまっさらになっていて、ああ来るのが遅すぎたな、と感じたのです。

 ところが映画が完成すると、撮影した1年でも景色がすごく変わっていて、やはりあの時から記録に残しておいて良かった、毎年撮る意味はあるな、と思ったのです。

 景色だけでなく、人の気持ちもどんどん変わっていきます。たとえ同じ人を撮ったとしても、映画で撮った表情や言葉はもう2度と撮れません。同じ人でも時間とともにぜんぜん違う人生の位置に立っている。あのときは目をギラギラさせて『復興するんだ』と力説しながら朝までお酒を飲んで、朝イチで仕事に行く、という超人的な生活をしていた人が、復興が進むにつれ次のステージに移っていく。人の気持ちも一年一年でこんなに変わるのだな、と感じました。

 テレビの報道番組は節目の時は被災者に注目しますが、そうでないときは番組ではとりあげません。だからそうでない時を映画として記録に残す意味は絶対にある、と考えたのです。

映画『一陽来復 Life Goes On』
東日本大震災から5年余りたった2016年初夏から10カ月間の被災者たちの素顔を記録したドキュメンタリー映画。のべ30回・60日間にわたって被災地を回り、被災者の「いま」の姿にカメラを向けた。撮影地は、宮城県石巻市、南三陸町、福島県川内村、浪江町、岩手県釜石市。登場するのは、津波で3人の子ども全員を亡くした夫婦、震災5日前に結婚式をあげた夫を失った妻とその4カ月後に生まれた娘、原発事故で避難区域になった土地でただひとり稲の作付けをした農家、殺処分の指示が出ても見捨てられずに牛の世話を続ける牛飼いなど。2018年春公開。DVDを同年11月に発売。

人は人とのつながりの中で生かされている

――被災地を取材したNHKや民放のドキュメンタリー番組はたくさんありました。6年たってからでもそれらと違う作品にできる、という確信はあったのですか。

 なかったです。でも違うものを撮らなければいけないとも思いました。『サンマとカタール』のとき、女川町ではテレビ取材に対する住民の反応は必ずしも肯定的なものばかりではありませんでした。なぜかというと、報道番組というのは事前にこの問題を採り上げようとストーリーをおおかた決めてやってくる。大多数の住民は問題にしていないのに、メディア側は問題視して何かあぶり出そうとする。たとえば『復興住宅の闇』といった具合に。実態とかけ離れた報道をされるのは本当に腹が立つ、と住民たちは言っていました。

 だから、あらかじめストーリーを作っていくのはやめよう、意図をもって撮るのはやめよう、と思いました。映画の場合、DVDにもなって何十年も残ります。彼らが何年もたってから改めて観たときに、不快になるようなことは絶対にしたくないと心に決めました。

 とはいえ、どんな映画になるかわかっていたわけではありません。最後の編集作業のときまで模索を続けました。結果的には、絶望を生き抜いた方々が教えてくれることを描く作品になったのではないかと思っています。

――映画で一番伝えたかったのはどんな点ですか。

 喪失に向き合ってとことん悲しむ。弔いながら人生を再構築する。人間にはいざとなればそんな力がある、ということ。(東日本大震災のような)究極の事態に直面しても、人には生きていく力があって、人と人がつながることでその力がわいてくるということです。

 映画にも登場していただいた宮城県石巻市で木工の仕事をしている遠藤伸一さんが、こんなことをおっしゃっていました。「自分を助けてくれたのはお金でもなく、避難所やハコモノでもなく、人の気持ちだけに励まされて、自殺もせず、こうして生きて来られた」と。

 遠藤さん夫妻は3人のお子さん全員を津波で亡くされました。絶望のなかで、たぶん本当に死のうと考えたこともあったのだと思います。でも夫妻がいた避難所にはたくさんのお年寄りがいて、若手だった夫妻に食料・水の調達、トイレの始末、ケガや病気の人の世話など、毎日やらなくてはならない役割をたくさん与えたそうです。あとで振り返ってみれば、夫婦がよからぬことを考えないように忙しくさせよう、けっして一人にさせないようにそばに誰かがいようと、お年寄りやボランティアが考えてくれたのだろう――そう遠藤さんは言います。

 きょう一日生き延びるために集中することで最初の数カ月が過ぎ、いろんな方たちとつながっていくうちに何年も時がたつ。たどりついたのは「人は人とのつながりの中で生かされている」という理。遠藤さんが生きてそのことを伝えてくれるということは、なんと貴いことだろうと、私は身震いします。

 遠藤さん夫妻の笑顔に接するとき、人が背負うものの大きさ、自分が生かされている意味を考えずにはいられません。そして、きっと似たような境遇の方々が大勢いるにちがいないと思ったのです。

尹美亜(ユン・ミア)監督  
監督 尹美亜(ユン・ミア)
1975年生まれ。長野県佐久市出身。津田塾大学国際関係学科卒。大学時代にカナダ留学。卒業後はインドのタゴール国際大学でデザインを勉強。帰国後、広報代理店やIT企業の広報担当を経て映画の世界に入り、日米合作映画で日米を往復してプリプロダクションを担う。NHKのドキュメンタリー番組の制作に参加後、2010年から平成プロジェクト(『一陽来復』の制作・配給元)に参加。被災後の宮城県女川町を描いた『サンマとカタール 女川つながる』には制作プロデューサーとして参加。監督作品は本作が初めて。

原因は無知にあり、デマを信じ切っている

――撮影は長期に及び経費もかかって、たいへんだったのではないですか。

 『一陽来復』の撮影は10カ月間に30回、のべ60日にのぼりました。

 復興庁の補助金事業の対象となったことも大きかったですね。復興庁は震災後の最初の5年間はインフラ事業に力を入れましたが、次の5年は『心の復興』をうたっていました。その最初の年のプロジェクトに映画とワークショップの2本立てで応募したら、採用されたのです。

 復興庁もまだ手探りの時期だったので、映画も事業に採用してみようということだったのだと思います。1980万円の補助金をもらったおかげでスポンサーのプレッシャーもなく、記録を残すことに没頭できました。

――日本公開から1年後の2019年3月、韓国でも劇場で公開されました。韓国語で「春は、来る」という意味の「ポムン オンダ」というタイトルがつけられたそうですね。

 この映画に感動してくださったある日本人女性が、韓国の知り合いに熱心に話してくれたことがきっかけで、韓国の大手配給会社がついて公開が実現しました。現地では大手新聞などいくつもの媒体が記事に採り上げてくれました。東日本大震災の復興に力を貸したい、という多くの日本人や韓国人が無償で協力してくれたおかげです。

 でも韓国では東日本大震災以降、福島の放射線被害について現実以上に被害や影響を深刻に伝えるニュースやデマが広がり、イメージが悪化していました。東京以北は被ばくの危険がある、行かないほうがいい、と誤った認識を持つ韓国人が多いのです。

 そこに頭を悩ませていたソウルの日本大使館が、映画の宣伝に全面的に協力してくれることになりました。大使館主催で上映会とレセプションをソウルの映画館で開くことになりました。『一陽来復』には福島の放射線被害以外の東北の日常が描かれており、その点を評価してくれたようです。

 上映イベントには石巻の遠藤伸一さん、綾子さん夫妻と私が招かれました。長嶺安政大使のあいさつで始まったイベントは日韓親善関係者で満席となり、たいへんな熱気に包まれました。

――韓国では福島の風評被害がやんでいないのですね。

 そういう話を聞くと、福島の方たちの顔が浮かんで涙が出るほど悔しかったです。でも、落ち着いて考えると、これは日本で嫌韓を叫ぶ人たちと同じ思考構造ではないかと思いました。どちらも原因は無知にあり、デマを信じ切っている。噓を何回も語られているうちに本当だと刷り込まれてしまう。そんな危うさがいずれにもあります。

 お互い顔が見える関係にないというところも共通しています。個人的に顔が見える関係がないから、集団化したイメージばかりがふくらんで、恐怖心や嫌悪があおられているのだと思います。だから、風評被害について私ができることは、とにかく現地から情報を発信し続けることだと考えています。

国籍というのは為政者のために存在するようなもの

――日韓での映画公開では、尹さんが在日韓国人3世だということに何か反応はあったのでしょうか。

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