福島と嫌韓~映画『一陽来復』尹美亜監督に聞く
被災者、こころの再生の軌跡/韓国公開と在日韓国人であること
原真人 朝日新聞 編集委員
景色だけでなく、人の気持ちもどんどん変わっていく
――昨年の劇場公開が終わったあとも、各地で自主上映会が続いているそうですね。
2018年3月に公開され、半年間で全国39の劇場で上映されました。その後DVDも出しましたが、いろんな方から自主上映会の要請があります。企業の会議室、自治体のホールや図書館、お寺など上映場所はさまざまです。ボランティア団体や東北の復興支援に行っていた方たちからの要請も多いですね。東京電力の本社でも公開前に試写会を開きました。東電の福島本社の方たちが呼びかけてくださって、各地の支社の幹部クラス70~80人に観ていただきました。
――ナレーションやテロップが少なく、被災者たちの日常にそっと寄り添いながらカメラを向け続けている印象があります。
被災した方々のためにならなければ映画を作る意味がない。そう心がけて撮りました。撮られる側が少しでも嫌だと思う撮影や編集は一切しないぞ、可能な限り自然な姿をそのまま伝えよう――。そう思いながら撮りました。だから撮影では、あえて制作者の存在感を消したのです。実際に撮影をするためにお会いすると、皆さん温かく迎えてくれ、喜んでくれました。そんなに喜んでもらえるならどんどん作品を役立てようという気持ちになって、出演者が広がり、100人ほどに。その方たちの名前は全員を映画のエンドロールに記しました。
――撮ろうと思ったきっかけは?
宮城県女川町を取材したドキュメンタリー映画『サンマとカタール 女川つながる人々』(2016年公開)の制作プロデューサーとして女川に行ったことです。このとき、1本の映画では伝えきれないほど、入れたいことがたくさんありました。実は、はじめ女川を訪ねていった時には、復興工事が進み、土地がまっさらになっていて、ああ来るのが遅すぎたな、と感じたのです。
ところが映画が完成すると、撮影した1年でも景色がすごく変わっていて、やはりあの時から記録に残しておいて良かった、毎年撮る意味はあるな、と思ったのです。
景色だけでなく、人の気持ちもどんどん変わっていきます。たとえ同じ人を撮ったとしても、映画で撮った表情や言葉はもう2度と撮れません。同じ人でも時間とともにぜんぜん違う人生の位置に立っている。あのときは目をギラギラさせて『復興するんだ』と力説しながら朝までお酒を飲んで、朝イチで仕事に行く、という超人的な生活をしていた人が、復興が進むにつれ次のステージに移っていく。人の気持ちも一年一年でこんなに変わるのだな、と感じました。
テレビの報道番組は節目の時は被災者に注目しますが、そうでないときは番組ではとりあげません。だからそうでない時を映画として記録に残す意味は絶対にある、と考えたのです。
映画『一陽来復 Life Goes On』
東日本大震災から5年余りたった2016年初夏から10カ月間の被災者たちの素顔を記録したドキュメンタリー映画。のべ30回・60日間にわたって被災地を回り、被災者の「いま」の姿にカメラを向けた。撮影地は、宮城県石巻市、南三陸町、福島県川内村、浪江町、岩手県釜石市。登場するのは、津波で3人の子ども全員を亡くした夫婦、震災5日前に結婚式をあげた夫を失った妻とその4カ月後に生まれた娘、原発事故で避難区域になった土地でただひとり稲の作付けをした農家、殺処分の指示が出ても見捨てられずに牛の世話を続ける牛飼いなど。2018年春公開。DVDを同年11月に発売。