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努力についての不都合な真実

自己責任はどこまで認めるべきか

吉岡友治 著述家

 21世紀になってから、社会格差については「自己責任」のタームで語られることが多くなった。たとえば、最近、ある人が、自分の給与が勤続12年でたった14万円だと嘆き「日本終わってますよね?」とツイートした。そうしたら、間髪を入れず、事業家の堀江貴文氏が「日本がおわってんじゃなくて「お前」がおわってんだよwww」とツイートした。

 安月給なのは自分の努力・能力が足りないせいだから、文句を言うなと言いたいらしい。さらに追い討ちをかけるように自ら動画に出演し、ツイ主のような考え方は「いい子ちゃん」「親とか先生がいってることを鵜呑みにして非常に保守的」と批判した。堀江氏は、情報が民主化されたネット時代に生き方を最適化できなかった人間とツイ主を罵倒し、動画投稿などを使えば「今や14万円手取りで稼ごうと思ったらすごい簡単です」とも言っている。

成功者は失敗を語れない

拡大堀江貴文氏

 経済的成功者に、貧困問題を語らせると、たいていこういう結末になる。彼らが異口同音に言うのは「努力せよ。さすれば、貧困は解決せん」というシンプルなご託宣だ。

 こういう言葉の背景には、自分は努力して「成功した」のだから、他の人も同じように努力すれば成功できる、成功していないのは、その人の努力が足りないせいだ、というロジックがあるらしい。

 だが、こういうロジックは、根本的に間違っていると思う。まず、努力すれば、たしかに、当該の人の給料が上がるかもしれない。競争力が増し、他人に勝って、よりよい地位を得て給料も増すからだ。しかし、その人が競争に勝つということは、逆に言えば、あらたに「競争に負ける」人も生み出すことでもある。

 たとえば、冒頭のツイートをした人の給料が、懸命に努力をしたおかげで給料14万円から20万円になったとしたら、その人との競争に負けた誰かは20万円から14万円に下がるだろう。そうしたら、その人は、また「自分の給与がたった14万円。日本終わってますよね?」とツイートする羽目になる。これでは元の木阿弥で、何の解決にもならない。

 このようなことにならないためには、何が必要なのか? 競争の結果として効率が向上し経済全体も成長し、競争に負けた人も、その恩恵を受けて給料が上がる、ないし、現状維持できるという状況だろう。しかし残念ながら、日本では、ここ2〜30年程、そのような経済成長は起こっていない。むしろ、ここ数年は賃金が下がり続けている。だとしたら、誰かが努力して給料を上げたとしても、社会全体としてみれば、他の誰かの給料が下がるに決まっているのである。

 成長がない状態では、誰かの経済的成功は、必然的に他の者の経済的失敗、ひいては貧困をも生み出す。だから、逆説的なようだが、経済的成功者に経済を語らせてはいけないのである。彼らは「努力すれば貧困から逃れられる」と繰り返す。それは、言われた当人を発憤させて、目先の問題を解決させるかもしれない。しかし、それは別な人に貧困を転嫁するだけであり、社会全体としては何の解決にもなっていないのである。

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筆者

吉岡友治

吉岡友治(よしおか・ゆうじ) 著述家

東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学修士課程修了。演劇研究所演出スタッフを経て、代々木ゼミナール・駿台予備学校・大学などの講師をつとめる。現在はインターネット添削講座「vocabow小論術」校長。高校・大学・大学院・企業などで論文指導を行う。『社会人入試の小論文 思考のメソッドとまとめ方』『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術』など著書多数。

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