メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

努力についての不都合な真実

自己責任はどこまで認めるべきか

吉岡友治 著述家

勝者が敗者を忘れる仕組み

 成功者たちが、いつも同じことを言うのは、彼らの生き方が「競争に勝つ」という一点に集中し、そこで生み出された敗者を忘れてしまうことで、自分の人生を成り立たせてきたからだろう。もちろん、競争は一回ではない。家庭で、学校で、職場で何度も続く。それをひとつひとつ勝ち抜いて、やっと「成功者」になれる。一回成功しても、そこで終わりではない。成功した者同士の中で、また競争が始まり、そこで次の勝者が決まる。

 成功者たちは、これを何度も繰り返してもへこたれず、また次の競争に挑んで、次々に勝者になっていくようなタフな人間なのである。もちろん、前の競争のことはさっさと忘れて、次の競争に集中しないと、次の勝負に立ち向かう気力が削がれて全身全霊で当たれない。当然、途中で敗者になった人間のことなど、気にかける余裕などない。彼らのタフさは、そういう鈍感さと裏表なのである。

 彼らは「敗れた者は、さっさと市場から去れ!」と叫ぶ。ならば、生み出された敗者は、市場から去ってどこに行けばいいのか? もう日本には居場所はないだろう。グローバル化で世界がすべて市場になっているのなら、そこにもいられないだろう。実質的には「競争に負けた奴は死ね!」と言っているのである。

 そういえば、実際に部下に「仕事が出来ないのなら、ここから飛び降りて死ね!」と叫んだ経営者がいたらしい。だが、事業家の生き方としては正解かもしれないが、こういう態度で、貧困や経済全体について発言するのは、ちょっと無責任すぎやしないだろうか?

拡大ApinBen4289/Shutterstock.com

成功者は社会のフリーライダーか?

 こういう人々は、社会全体に責任を感じていない。「市場」で生きる能力のない人たちが、どこに行ったら生きていけるか、まで考えてはいない。きっと、どこかの誰かがケアしてくれるだろう、面倒を見てくれるだろう、と他人に下駄を預けているか、いっそのこと邪魔だから、消えてなくなって欲しいと願っているだけなのである。

 こういう「生き残る価値のある奴だけ生き残れ!」という「スパルタ式」人生観に共感する人は少なくない。「甘えたことを言うな! 人生は厳しい!」と胸を張るのだが、見方を変えれば、自分が引き起こした事態のケツ持ちを放棄しているのだから、無責任きわまりない。

 自分が原因となって犠牲が発生したのに、それに配慮するのは自分ではなく、他の誰かなのである。甘えているのは、いったいどっちの方なのだろう? こういう「成功者」たちは、敗者も引き受けてくれる社会に甘えて、ただ乗りして自己利益を得る、たんなるフリーライダーなのである。

 自分が原因となって出てきた「ゴミ」は、社会のどこかで処理しなければならないので、他の人にむやみと押しつけるわけにはいかない。こういうシステムを、経済学では「クローズドシステム」つまり

・・・ログインして読む
(残り:約4493文字/本文:約6973文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

吉岡友治

吉岡友治(よしおか・ゆうじ) 著述家

東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学修士課程修了。演劇研究所演出スタッフを経て、代々木ゼミナール・駿台予備学校・大学などの講師をつとめる。現在はインターネット添削講座「vocabow小論術」校長。高校・大学・大学院・企業などで論文指導を行う。『社会人入試の小論文 思考のメソッドとまとめ方』『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術』など著書多数。

吉岡友治の記事

もっと見る