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サントリー鳥井信吾氏、小林一三氏から学ぶ

アイデアと創意工夫、そして逃げずに実行。私どもの会社で言えば「やってみなはれ」

諏訪和仁 朝日新聞オピニオン編集部記者

インフラとソフト・エンターテイメント

 この本で初めに読んだのは、東京テアトル会長の吉岡重三郎氏の「二階A列零番席」という文章。長くなりますが、引用します。

 幕があくまで客席を、幕が昇ると舞台を、翁(小林一三氏のこと)は熱心にご覧になる。作者の名、出演生徒の名等、質問があれば一々お答えする。質問が切れ、静かな気配に、フト気がつくと、音楽を楽しみながら、ウツウツと半睡の御様子(中略)しかしそれも極く短かい何分かで、直ぐ御目覚め、又、質問が続く。
 小林翁が歌劇をご覧になるのは、初日は勿論、平日でも度々来られる。宝塚歌劇を愛し育てる事が天命の様に見える其の御熱意には、誰もが圧倒される。
 特に宝塚歌劇は小林翁が熱愛せられ、その草創より御逝去まで四十数年間、眼に入っても痛くない可憐な数百の生徒のために、夜も日も其の成長のために心を使われた事業であり……
 四十数年、側近を勤めた私にとって、翁らしい御様子を見受けるようになったのは、恐らく御逝去前四-五年の事で、それまでは常に元気で潑剌と若い者も及ばぬ程の日常であった。
 小林翁は何か事業を始める時は、必ず綿密な基礎調査をせられ、これなら大丈夫と見極めを付けなければ決して発足せられぬ。電車、百貨店、劇場、みな然り。而してこれならよしと極まると、電光石火、グングンと其の事業に打ち込まれる。其の事業もすべて小林翁の創意によるもので、決して前人のあとを追わない。世間は小林翁のこの各界に於ける成功を見て、奇才縦横と拍手する。がしかし、事前に於ける非常な努力と万全の調査を見のがしている。真に「小心胆大」の尊いモデルである。

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 小林一三氏の仕事を見ると、阪急電車がまず第一、これはインフラ事業ですね。それに、東京電灯という東京電力の前身の会社を立て直すために社長になっています。

 鉄道、電力という非常に硬いインフラ事業を手がけながら、デパートやレストランを作りました。それどころか、宝塚歌劇を始め、映画会社の東宝を起し、帝国劇場をやって、エンターテイメント事業を幅広くやっています。

 まったく性質が異なる両方の分野にまたがって事業を展開しますが、両方に共通しているのは、大衆のために、大衆に向けた事業ということです。

 インフラとソフト・エンターテイメントという全く異なる事業の両方をやれたのは明治、大正、昭和という日本の資本主義の黎明期、都市が勃興する経済大発展の時期だったからと思われるかもしれません。

 確かにそうも言えるのですが、かたく固定されたインフラの世界にソフト・エンターテイメントつまり文化を吹きこむことは、現代のIT産業GAFAがやってきたことと同じではないかと思います。

 スマートフォン、エレクトロニクス、コンピューターは機械にすぎない。そこに「文化」を吹きこむのは、21世紀にGAFAがやっていることで、小林一三氏はそれを100年前に日本でやったのであって、万人が参考とすべきでしょう。

小さくやってみて、うまくいきそうなら本格的にやる

 その両方を手がけた小林氏の根底にある考え方は、創意工夫です。

 事業のアイデアを思いついたら、それが間違えているかも知れないので、ビジネスとして成り立つのかを徹底的に調べます。事業を成功させるまでには並外れた調査をしているのです。

 自ら調べたら、次に社内の若手チームに同じことを調べさせるんですね。自らと社内チームの結果が一致したら、やっとゴーサインを出すぐらいです。

 初めから大ぶりにやったりはしない。小林一三氏は、阪急梅田駅で日本で初めてのターミナルデパートである阪急百貨店を始めました。これもいきなり始めたのではありません。まず、小さな建物の1階に白木屋という小売りのお店を入れ、2階は直営の食堂にして、しばらく客の入りをじーっと観察して、数年後に建て替えて本格的なデパートを出すのです。

 用意周到に調査研究をして、小さくやってみて、うまくいきそうなら本格的にやるというように、創意工夫、アイデアを実行に移すためのステップを知っているのです。まさに「小心胆大」です。

 サントリー創業者鳥井信治郎は「やってみなはれ。やってみなわかりまへん」と言いました。やってはじめてわかる。だから前に進める。鳥井信治郎も小林一三も、まさに小心胆大の精神です。

 創意工夫の実現を妨げるのは、行き過ぎた規制です。

 自由主義経済を支えるのは、アイデアや創意工夫であることはアダム・スミス以来の資本主義の精神です。規制がまったくいらない訳ではありません。

 しかし小林氏は「規制がアイデアや前向きの事業をつぶすことがあってはならない」という考えを終生貫いています。アイデアや創意工夫を大事にした徹底した自由主義者でもありました。

 そんな小林一三氏は政治家に請われて、戦前に商工大臣、戦後直ぐに国務大臣戦災復興院総裁を務めますが、大失敗だったと振り返っています。法律や規制をつかさどる政治や役所とは意見が合わなかったのでしょうね。

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筆者

諏訪和仁

諏訪和仁(すわ・かずひと) 朝日新聞オピニオン編集部記者

1972年生まれ。1995年に朝日新聞社入社、東京経済部、大阪経済部などを経てオピニオン編集部記者。

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