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「身の丈」発言を機に「学生の貧困」に視線を

若者に広がる自己肯定感の低さと身の丈意識

木代泰之 経済・科学ジャーナリスト

教育行政の基本方針に反する「身の丈」発言

 今回、野党や教育現場は、貧富の格差と地域格差を理由に、早くから英語民間試験の再検討を求めていたが、文科相はTV番組で、まるで反対論を蹴散らすかのように語った。おそらく一度決めたことを貫く強さを見せようと、頭がいっぱいだったのではないか。

 身の丈発言は、文科相に就任約1か月後の出来事とはいえ、戦後一貫してきた教育行政の基本方針にも反している。

 憲法は「すべての国民はその能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する」(第26条)、教育基本法も「すべて国民は、等しく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、門地によって差別されない」(第4条)と定めている。

 すなわち憲法や法律は、個人の経済的地位に関わらず、等しく教育を受けられるよう最大限努める義務を政府に課している。2020年4月から実施される大学無償化(授業料減免と給付型奨学金の充実)も、その方針に沿ったものだ。

高等教育はイノベーションや経済成長に不可欠

 文科省が平等な教育を強調してきた背景には、産業のイノベーションや経済成長のためには、所得の高低を問わず、すべての階層に高等教育を施すことが必要だという別の考え方もある。

 下のグラフは、1875年(明治8年)から2017年までの高等教育機関(大学など)の学生数の推移を示している。

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 明治維新のあと、学生は数千人ほどで推移していたが、日清・日露戦争によって産業が発達すると、専門教育を受けた人材が必要になり、学校・学生数は増加に転じた。

 更に第一次、第二次世界大戦を経る中で産業側の人材需要が高まり、学校・学生数は急速に増えた。日本の高等教育の歩みは、国力増強という目的のもと、よくも悪くも時々の戦争とともに発展した歴史だった。

旧い社会秩序を根底から覆したことが活力を生んだ

 戦前、大学で学ぶのは地主、経営者、公務員ら富裕層の子弟が主だったが、戦後は、それまで高等教育に縁がなかった家庭の子供たちが大挙して進学した。この人々が産業・経済社会に入って既成秩序を覆したことが、この国に新鮮な活力を生みだし、高度成長を実現する原動力になった。

 例えば、ホンダ創業者の本田宗一郎(1906年生まれ)は、静岡県の鍛冶屋に生まれた尋常高等小学校卒という学歴で、戦前にエンジンのピストンリングの生産を始めた。しかし、学問的な壁に突き当たり、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)の聴講生になり、3年間金属工学をしっかり学んだ。これが事業発展の基礎を作った。

 戦後、宗一郎は「事業が大きく花開いたのは高等教育のおかげだ」として、研究者や学生らに匿名で奨学金を与え続けた。

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筆者

木代泰之

木代泰之(きしろ・やすゆき) 経済・科学ジャーナリスト

経済・科学ジャーナリスト。東京大学工学部航空学科卒。NECで技術者として勤務の後、朝日新聞社に入社。主に経済記者として財務省、経済産業省、電力・石油、証券業界などを取材。現在は多様な業種の企業人や研究者らと組織する「イノベーション実践研究会」座長として、技術革新、経営刷新、政策展開について研究提言活動を続けている。著書に「自民党税制調査会」、「500兆円の奢り」(共著)など。

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