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経済の先にも煩悶はある

中高年が人生に迷う必要について

吉岡友治 著述家

経済問題だけが人生か?

 「人生の問題」の80%以上は、経済問題だと言われる。たしかにそうかもしれない。お金があれば簡単に解決できることは少なくない。とりあえず、衣食住は手に入るし、後は好きなことをやればいい……とよく言われる。

 そういえば、社会学者の清水幾太郎だったと思うが「人生の煩悶のほとんどは就職問題だ!」と述べる文章を読んだことがある。「人生とはなんぞや、などと悩んでいる若者達も、いったん就職が決まると、実に晴れやかな顔をして、前の煩悶はどこにいったか、という顔になる。人生の悩みなど、結局経済問題、つまりお金に帰着する」というような文章だった。読んだ当初は、社会学者らしい「冷静な見方」という感じがした。

 たしかに、人生に煩悶するのは主に若者である。大人になると煩悶する暇もなく、必死に仕事する。結婚をして子どもを育て上げ、子どもが成長して巣立ち、定年になる。仕事を辞めて、さっさとこの世を去る。清水の時代には、それがリアルな人生だったのかもしれない。

経済問題が解決した後の問題

 だが、現代のように寿命が長くなると、彼のような考えは、必ずしも「リアリズム」とは言えなくなる。なぜなら、ある程度年を重ねて、経済問題が一応解決したと思いきや、バランスを崩して危機を招いて自滅する、というパターンがかなり一般的に見られるからである。お金が手に入った後がけっこう難しく、たいていの人が、その扱い方を誤るのだ。

「金ピカ先生」として人気予備校教師だった佐藤忠志さん=1993年2月12日

 最近、かつて人気予備校講師だった「金ピカ先生」こと佐藤忠志氏が68歳で孤独死したという。彼の年収は一時2億あったと言われるが、最近は生活保護を受けていたらしい。人の生き方はそれぞれなので、私には何の論評をする資格もない。しかし、彼は飛び抜けた存在だったから、たまさかニュースにもなっただけで、多々ある事例が表面に出てこないだけだということは、容易に想像が付く。というのは、私も、ちょっと遅れて予備校で仕事をし、結局20年ぐらい断続的に関わって、そこでの人々が、どういう生き方をしたか、身近に見ているからだ。

波に乗り続けるのは難しい

 私の入った頃の予備校は、ベビーブーマーの子どもたちの世代が大挙して押し寄せた時代は一段落ついていたが、それでも景気が良かった。大教室は100人以上の生徒であふれ、講師の月収が100万円を超すこともざらだった。年収1,000万円は「普通」で、2,000万円を超さなくては「一流」とは言われない。佐藤氏に限らず、他の講師の生活ぶりも、スポーツカーを乗り回したり、毎日高級バーに繰り出したり、高級マンションをいくつも買ったり、と見るからに派手だった。

 だが、その栄光が長く続かないのも共通していた。ある国語講師は、東京・札幌・仙台などで90分講義を一週30個も担当し、いきなり年収が1,500万円になって毎夜飲み歩いた。私も、一度誘われてついて行ったのだが、女の子が横に座ってお酒をついでくれるだけで、本の話も映画の話も出来ず、会話をどうつづけていいか分からない。横に座るだけのことに、なぜこれほどのお金が要るのか、どうして彼は楽しめるのか、ついに理解ができなかった。数年後、毎夜の豪遊がたたって予習をおろそかにしたためか、人気が低迷して収入も半減したという。東京の一等地にあった自宅を売って借金を払い、それから中央線に飛び込んだ。

 ある歴史の講師は、小さな塾の人気講師で、Y予備校に引き抜かれた。そこでも評判が良く、すぐに「専任になれ!」と言われて塾を辞めた。私には「時給がいきなり2倍になってヤッターと思いましたよ。Y一本に絞って本当によかったです!」と嬉々として言っていた。だが、翌々年、担当した生徒に性的暴行事件を起こして馘首された。

 「バカだな。生徒に手を出すなんて。風俗に行けば良いのに」と、彼をあざ笑っていた数学の講師は、奥さんもその系統の人を選んだ。だが、結婚した途端におかしくなって、昼休みに講師室で雑談している間に同僚相手に数学の授業を始めだしたと聞いた。意識がもうろうとして、何をやっているのかよく分からなくなったらしい。数週間後に自宅で事切れているのが見つかった。「毒を盛られたのでは?」ともっぱらの噂だった。

 英語の講師は毒舌で有名で、いつも「こんな知的ぶった土方仕事なんてクソだ。早く金を貯めて推理小説を書く生活に入りたい」と言っていた。バーでウイスキーを飲みながら小説を読むのが楽しみという洒落た人だったが、なかなか小説は書き出すことができない。ストレスが溜まったのか、突然、授業で生徒を罵倒した挙げ句、傘で殴るという挙に出た。今、推理小説を書いているのだろうか?

ナイーヴなよい人々の夢

 どの人も、多少底抜けなところがあったにせよ、皆ナイーヴで「よい人」だったと思う(暴行事件は論外としても)。講師たちは、大学院には行ったけど研究者になるのには見切りを付けて来た人が多かった。それまで学問に一生懸命で、お金の扱い方に免疫がなかったのかもしれない。急に裕福になって、やることもだいたい似ていた。スポーツカーを乗り回す、女の子にお金を使う、マンションを買いまくる、とか、やや子供じみた楽しみを全開にして、お金を使いまくる。

 私はと言えば、残念ながら、そういうあり方にはまったく乗れなかった。収入が「普通」以下の部類だったこともあるが、そもそも、仕事の対価として得られる「快楽」に興味が持てなかったからだ。スポーツカーやゴルフは好きではないし、バーの女の子たちと色っぽい会話をするのも苦手だった。マンションを買って大家になるのも面倒くさかった。それより、本を読んだり音楽を聴いたりが好きだった。何に彼らが夢中になるのか、まったく理解できなかったが、それでも、彼らは必死になって遊び、必死になって仕事する。いったい、そのエネルギーはどこから来るのか?

価値についてのコペルニクス的転回

Alexander Kirch / Shutterstock.com

 経済的に豊かになることで得られるのは、金である。ということは、その金を使って得られるものも、金で買えるモノに限られる。マルクスはモノ=商品には「使用価値」と「交換価値」があると言ったが、そもそもモノは使えなければ価値はない。だが、モノを使うということは、これはこれで結構大変な作業であり、何に使うと自分が満足できるのか、その見極めが分からなくなる。

 そもそも、モノを買い続けるにはお金も稼ぎ続けなくてはならない。当然、モノを堪能している時間は少なくなる。金持ちになってポルシェを買ってはみたものの、肝腎の乗り回す時間がない。使わなければ、ポルシェも埃まみれ。初めは、金を使うこと自体が面白くて、今まで買えなかった高価なものをいろいろ購入しては悦にいる。しかし、買っても十分に使えなければ、価値を感じられない。

 そこで、我々はモノ=商品の使用価値を享受する代わりに、交換価値を享受する方向に転換するのである。実際、お金で買えるものは話題にしやすい。「何千万もするスポーツカーを買った!」と言えば、車を乗り回さない人も「すごーい!」ととりあえず言ってくれる。その承認の言葉が聞きたくて、また必死に稼いで、必死に次のものを買い込む。そうしている内に、新しいモノを買うことと他人から承認されることの区別がなくなるのだ。

記号の消費のとめどなさ

 フランスの思想家ボードリヤールが言うように、我々が消費するのはモノそれ自体ではなく、記号なのである。モノは消費したら満足する。満足したら、それ以上は欲しくならない。たとえば、食べ物は、お腹いっぱいになったら、それ以上どんなに美味しいものでも苦痛なだけである。その限界が悔しくて、ローマ人たちは、孔雀の羽で喉の奧を擦って、今まで食べたものを吐き出しても食べ続けた。

 だが、ローマ人達の所業は、まだ可愛い方であった。我々はモノを享受するのをほったらかしにして、記号を享受するだけで満足しはじめたからだ。記号なら「腹一杯」にならないから、いくらでも誰とでも享受/共有できる。美味しさという快感は食べた本人にしか感じられずとも「5万円のスペシャル・ディナーだよ」と言えば、とりあえず、その「豪華さ」だけは他人に伝えられる。5万円という値段に驚いて、聞いた者が勝手に自分の「美味しい」イメージを思い浮かべるからだ。食事の美味しさはどこかにすっ飛び、値段だけが「美味しさ」の記号となる。

 こんな風に、交換価値=金額の多寡で他人に認めてもらえたという快感に取り憑かれた人間は、とめどなく記号を消費するサイクルに入る。さらに金がかかる「快楽」や「買い物」にのめり込み、その金額を言って他人を驚かせ、「すごいことができる人だ」と思ってもらう。そういえば、佐藤氏も、最後に残った自宅を売って「1億円のクラシックカー」を買ったことが死に

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