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バリ島ノマド生活事始め

二重生活で得られる利得とは?

吉岡友治 著述家

 12月初めからインドネシア・バリ島の自宅に来ている。年末年始とこちらで過ごすのが、ここ数年の恒例になっている。今の家は、約8年前に作った。初めは地主が作った狭い小屋が建っていたのだが、風呂場など地元仕様だったので使いにくい。それで建て替えたのだ。

 建築を頼んだのは、マデ・ウィジャヤ、本名マイケル・ホワイトというオーストラリア人の有名建築家・造園家。彼のデザインしたプチ・ホテルには、それまで何度か泊まっていて、その雰囲気が気に入っていたので頼むことにしたのだった。

 家とは、人生を美的に楽しむ経験の原点だと思う。自分が生きやすく、快適に感じる空間を作る。人間が生まれ落ちるのは、所詮この世界の中の部分空間なのだから、一生のうちで一度くらい自分好みの環境を作って悪いはずはない。むしろ、そういう空間を作れないまま、他者が作った環境で何とか工夫してやり過ごす、というのは、本来なら不幸の極みのはずだ。

 とはいえ、日本でそういう空間を作ろうと思えば、莫大な費用がかかる。それが10年くらい前のバリ島なら、比較的手軽な金額で作れた。だから、貧乏著述業の筆者でも、多少無理すれば可能だったのである。

 まず、空間が広い。24アールつまり60m×40m。ちょっとした都会の公園より大きいかもしれない。子どものときの愛読書が井伏鱒二訳『ドリトル先生航海記』だったこともあり、主人公Dr. Dolittleの「大きな庭のある小さな家」というイメージが好きだった。だから、こんな広い土地を借りられるかもしれないと思った時は、子どもの頃からの夢が叶うと思ってちょっと興奮したものだった。

バリ島の仕事場で朝食

ノマド生活の実態とは?

 以来、ここに居を構えて、毎年断続的に4〜5カ月ほどを過ごしている。もちろん観光地だからといって、毎日遊び暮らしているご身分ではないし、そんな生活など面白くもない。私のメインの仕事は原稿書きと文章添削なのだが、インターネットを活用して、東京と同じようにこなしている。

 むしろ、原稿など、日本にいるときより勤勉に書いているかもしれない。毎朝8時に起きて、とりあえずデスクに向かう。まず、朝食が出来るまでの1時間。朝食後も、昼まで3時間。これだけ出来れば、半日に進める量としては十分である。

 ポイントは、雑用から解放されることであろう。東京の自宅では、朝起きると、とりあえず昨夜使った食器を洗い、朝食を作って、3日に1回ほどは掃除機もかける。家事は嫌いではないのだが、時間と手間がバカにならない。その手続き抜きで、思ったときにすぐ書き出せる。

 雑用はpembantuつまりお手伝いさんがやってくれる。近くの村の女性が朝やってきて、起きると珈琲を入れてくれて、掃除もざっとやってくれる。洗濯も頼める。手間賃は高くない。その間、こちらはただただ書いていれば良いのだから、集中できなかったら嘘である。

 そういえば、東京では書き出すというレベルに達するまで、外部環境から身を引き離すための儀式をいろいろ経ねばならなかった。実際、我が高校の先輩だった劇作家井上ひさしは「遅筆堂主人」と自称し、原稿用紙に書き出すまでに、机の上の整理をし、ついでに蔵書を眺め、さらには書斎の掃除までしないと書き出せなかったらしい。

 それが昂じて、芝居の初日になっても台本が書き終わらず、上演延期になったこともしばしば。私も同様で、まずメールを確認し、ツイッターを見て、ネットで新聞を見て…とやっていると、あっという間に2時間近くたってしまう。

 だが、ここではそういう言い訳が効かない。雑用はすでに終わっているし、日常からも切り離されている。眼の前は熱帯のジャングル。だから、書けないのは「自己責任」ということになる。これはこれで、けっこうプレッシャーが強いから、仕事をしないでは居られない。

インターネットは何を可能にしたか?

 もちろん、10年前のバリでは、インターネットにアクセスすること自体が大変だった。最初は近くのネットカフェまで車で出かけた。それから、隣村から延々とジャングルの中2km電話線を引いた。

 電柱を立てる費用もなかったので、椰子の木に巻き付けたり竹竿に結んだり、呆れるほどのローテク。おかげで、大雨が降る度にケーブルが切れて、電話会社の作業員を呼び出して引き直す羽目になった。接続ルーターも、大きな雷が鳴ると過電流で壊れるので、2カ月にいっぺんは取り替える。

バリ島、ウブド周辺では少なくなった田んぼ風景

 それでも、ネットにアクセスできることで、企画書や原稿、添削を送ることができた。それどころかDTP化した著書だって送れるし、スカイプを使えば東京、ニューヨーク、シンガポールを結んで打ち合わせもできる。検索すれば、たいていの情報も手に入る。福島や九州とスカイプで個別授業もできる。ときどき、電波が乱れることさえ我慢できれば、ほぼ日本にいるときと同様に活動できるようになった。

 その意味で言えば、今更ながらインターネットとは偉大な発明だったと感じる。たしかに、その効果は、当初「これで人間は都市に集住する必要がなくなる」と喧伝されたほどではなく、相変わらず我々は都市に寄り集まって暮らしている。それでも、ここ10年で、右に述べたような仕事環境も工夫すれば実現できるようになった。旅先の方が集中できるなら、これほどいい仕事法はない。

場所を移動するメリット

 こんな風に場所を移動しながら、仕事するスタイルは、数年前から「ノマド」と呼ばれるようになっている。「放浪の民」という意味らしい。場所を決めずに仕事できるというスタイルが当初は斬新に感じられたようだが、所詮都市生活の中での話なので、日本では、カフェとか喫茶店とかで、WiFiを使いながら仕事して小金を稼ぐというややけち臭いスタイルに落ち着いた。

 ここバリ島ウブドでも、そういう「ノマド」たちは大勢いるが、日本よりちょっとばかりスケールが大きい。HubUbudという全体が竹で出来た共有オフィスもあって、そこに欧米人の若者たちが集まって、ネットを駆使して株のトレーディングなどをしている。

 そういえば、利益と社会貢献を両立させる「社会企業家」が世界で最も多いのはウブドだとか。物価が比較的に安いので、必死になって稼がなくても、ある程度の生活はできる。だから、余裕を持って社会的意義のある「仕事」もできるのかもしれない。私が若かったら、週に3日ぐらいネットで株式投資でもして、後はゆったりと「環境運動」でもしながら暮らすのもいいかもしれない。

 もっと高齢者向きのやり方としては、金利生活も比較的手軽にできる。何せ、こちらの定期預金の金利は7%以上のところもある。預金するのに手数料が必要になる、というどこかのバカな「衰退途上」国よりよっぽどましである。1500万円も預けておけば、贅沢さえ言わなければ何とか生活できそうだ。もっとも、それをねらって、事情を知らない日本人相手にあやしげな投資を勧める会社も暗躍

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