吉岡友治(よしおか・ゆうじ) 著述家
東京大学文学部社会学科卒。シカゴ大学修士課程修了。演劇研究所演出スタッフを経て、代々木ゼミナール・駿台予備学校・大学などの講師をつとめる。現在はインターネット添削講座「vocabow小論術」校長。高校・大学・大学院・企業などで論文指導を行う。『社会人入試の小論文 思考のメソッドとまとめ方』『シカゴ・スタイルに学ぶ論理的に考え、書く技術』など著書多数。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
二重生活で得られる利得とは?
12月初めからインドネシア・バリ島の自宅に来ている。年末年始とこちらで過ごすのが、ここ数年の恒例になっている。今の家は、約8年前に作った。初めは地主が作った狭い小屋が建っていたのだが、風呂場など地元仕様だったので使いにくい。それで建て替えたのだ。
建築を頼んだのは、マデ・ウィジャヤ、本名マイケル・ホワイトというオーストラリア人の有名建築家・造園家。彼のデザインしたプチ・ホテルには、それまで何度か泊まっていて、その雰囲気が気に入っていたので頼むことにしたのだった。
家とは、人生を美的に楽しむ経験の原点だと思う。自分が生きやすく、快適に感じる空間を作る。人間が生まれ落ちるのは、所詮この世界の中の部分空間なのだから、一生のうちで一度くらい自分好みの環境を作って悪いはずはない。むしろ、そういう空間を作れないまま、他者が作った環境で何とか工夫してやり過ごす、というのは、本来なら不幸の極みのはずだ。
とはいえ、日本でそういう空間を作ろうと思えば、莫大な費用がかかる。それが10年くらい前のバリ島なら、比較的手軽な金額で作れた。だから、貧乏著述業の筆者でも、多少無理すれば可能だったのである。
まず、空間が広い。24アールつまり60m×40m。ちょっとした都会の公園より大きいかもしれない。子どものときの愛読書が井伏鱒二訳『ドリトル先生航海記』だったこともあり、主人公Dr. Dolittleの「大きな庭のある小さな家」というイメージが好きだった。だから、こんな広い土地を借りられるかもしれないと思った時は、子どもの頃からの夢が叶うと思ってちょっと興奮したものだった。
以来、ここに居を構えて、毎年断続的に4〜5カ月ほどを過ごしている。もちろん観光地だからといって、毎日遊び暮らしているご身分ではないし、そんな生活など面白くもない。私のメインの仕事は原稿書きと文章添削なのだが、インターネットを活用して、東京と同じようにこなしている。
むしろ、原稿など、日本にいるときより勤勉に書いているかもしれない。毎朝8時に起きて、とりあえずデスクに向かう。まず、朝食が出来るまでの1時間。朝食後も、昼まで3時間。これだけ出来れば、半日に進める量としては十分である。
ポイントは、雑用から解放されることであろう。東京の自宅では、朝起きると、とりあえず昨夜使った食器を洗い、朝食を作って、3日に1回ほどは掃除機もかける。家事は嫌いではないのだが、時間と手間がバカにならない。その手続き抜きで、思ったときにすぐ書き出せる。
雑用はpembantuつまりお手伝いさんがやってくれる。近くの村の女性が朝やってきて、起きると珈琲を入れてくれて、掃除もざっとやってくれる。洗濯も頼める。手間賃は高くない。その間、こちらはただただ書いていれば良いのだから、集中できなかったら嘘である。
そういえば、東京では書き出すというレベルに達するまで、外部環境から身を引き離すための儀式をいろいろ経ねばならなかった。実際、我が高校の先輩だった劇作家井上ひさしは「遅筆堂主人」と自称し、原稿用紙に書き出すまでに、机の上の整理をし、ついでに蔵書を眺め、さらには書斎の掃除までしないと書き出せなかったらしい。
それが昂じて、芝居の初日になっても台本が書き終わらず、上演延期になったこともしばしば。私も同様で、まずメールを確認し、ツイッターを見て、ネットで新聞を見て…とやっていると、あっという間に2時間近くたってしまう。
だが、ここではそういう言い訳が効かない。雑用はすでに終わっているし、日常からも切り離されている。眼の前は熱帯のジャングル。だから、書けないのは「自己責任」ということになる。これはこれで、けっこうプレッシャーが強いから、仕事をしないでは居られない。