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続・あなたの知らない農村~酪農は過重労働?

酪農は保護者が必要なよちよち歩きの乳児ではない。政府が補助すべき分野はほかにある

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 日米貿易協定が1月1日に発効した。すでに、TPP11と日EU自由貿易協定は実施されている。これで、牛肉については、アメリカ、オーストラリア、豚肉については、アメリカ、カナダ、デンマーク、スペインという主要な輸出国に対して関税が削減されることになる。

 これに対して、地方紙では農家への影響を懸念する記事が掲載されている。また、政府は毎年行ってきた3000億円の対策を上乗せし、2019年度補正予算に3250億円の対策を計上している。

民間平均年収を上回る畜産の所得

 前回記事『あなたの知らない農村~養豚農家は所得2千万円!』では、これによる影響は大きなものではなく、高い所得水準にある農家に対して対策も必要ではないと論じた。

 その中で、養豚農家の所得が2000万円だと述べたことが、少なからず読者を驚かせたようだ。同時に昔の農業を知る人からの反発もあるようだ。

 しかし、これは農林水産省の公式統計に基づくデータである。昨年末に2018年の数値(第一報)が公表されたので、これを元に、少し観点を変えながら、さらに分析を加えたい。

 今回も、自由化対策の対象となった畜産を中心に、その振興の歴史や現在の特徴も踏まえながら、説明する。なお、統計の出典は、農林水産省の農業経営統計調査(このうち営農類型別統計、農産物・畜産物生産費統計)である。農林水産省のホームページから簡単にアクセスできる。

 畜産の場合には、農家の個別経営に加え、農家が法人なりしたような経営(組織法人)も多いため、これをトータルした全農業経営体で、その平均農業所得(年金や農外所得を含まない)を見よう。

 酪農で全平均1463万円(1698万円)、100頭以上層で4138万円(4792万円)、繁殖牛(子牛を生産する比較的規模の小さい農家)で376万円(530万円)、肥育牛(子牛を購入して成牛まで肥育する農家)で801万円(967万円)。

 養豚で全平均1876万円(3148万円)、2000頭以上層で4472万円(7843万円)となっている。いずれもカッコ内は前年2017年の数値である。

 繁殖牛の農業所得については、2018年度は減少しているが、その個別経営について農業所得に農外所得や年金収入を加えた農家所得は637万円となっている。これを考慮すると、いずれの畜種でも2019年の民間平均年収の441万円を大きく上回る。

 また、2017年と2018年で酪農家の所得が安定しているのに対し、養豚農家の所得が大きく変動しているのがわかる。酪農の場合、乳価は毎年の変動は少ない。安定した価格で販売できる。これに対して、豚肉価格の変動は大きい。

 さらに、今の畜産はアメリカ等から輸入される穀物の加工品といってもよいが、特に養豚はその性質が強い。費用(物財費)に占める購入飼料の割合は、草地も活用する酪農の場合44%であるのに対し、養豚の場合には72%にも上り(2018年)、変動が激しい国際穀物価格や為替レートによって、養豚農家のコストは大きく影響を受ける。

 所得は、価格に販売量を乗じた売上高からコストを引いたものだが、養豚は価格もコストも変動するため、所得もこれに左右されやすい。豚肉価格が上昇し、穀物価格が低下すれば、所得は大きく増加する。その逆の場合には、所得は大きく減少する。

 稲作の場合には、ほとんど週末しか農業を行わない兼業農家が多いので、農家規模は小さく、平均農業所得は72万円に過ぎない。しかし、主業農家で構成される20ヘクタール以上層では、農業所得は1720万円(2017年は2247万円)となっている。

 数年前に人口減少でほとんどの自治体が消滅するというショッキングなレポートが出された。なかでも、秋田県は1つの自治体を除いて秋田市も含めすべてが消滅されるとされた。残るとされた自治体は、全戸が農家である大潟村である。

 一農家の規模が19ヘクタールで稲作所得が1700万円程度もあるため、子供は東京の大学に行っても、大企業には目もくれず、村に帰る。すべての農家に後継者がいるので、村は消滅などしないのだ。

広大な水田が連なる秋田県大潟村

労働時間当たりでも高い農業所得

 畜産のように規模が大きい農家が多数を占める場合では、農家経営や農作業は複数の従事者で行われることが多く、またそれぞれの農業従事者が均等に作業を行っているわけではない。したがって、他産業の勤労者所得と農家所得を単純に比較することは適当ではないかもしれない(ただし、酪農(100頭以上)や養豚(2000頭以上)の大規模農家は家族3人が働いている(生産費調査)ので、4200万の農業所得の場合一人当たりは1400万円となる。一家のうち3人もこのような所得を挙げている家計は、東京でも極めて少ないだろう)。

 このため、個別経営(法人経営を除く)の家族労働一時間当たり農業所得を他産業の単位時間当たりの給与(時給)と比較してみよう。

 酪農では、全国平均2509円(3007円)、北海道では平均3050円(3778円)、100頭以上層4647円(5256円)、都府県では平均2069円(2488円)、100頭以上層5763円(7540円)である。

 肉牛では、繁殖牛1457円(1982円)、肥育牛2517円(2628円)、養豚では、平均2554円(4326円)、2000頭以上層5531円(1万2804円)となっている。いずれもカッコ内は前年2017年の数値である。

 養豚農家の2017年の数値は異常に高い。これは上述のとおり、豚肉や飼料の価格変動に影響を受けやすいことを示している。また、稲作では、20~30ヘクタール層では3194円、30ヘクタール以上層では4330円となっている。

 他産業はどうだろうか?

 農業県の最低賃金(時給)は、北海道が861円と比較的高いものの、東北(宮城、福島を除く)、九州(福岡を除く)は790円である。派遣社員の平均時給は1500円とされる。また、2019年の民間平均年収を平均勤務時間2000時間で除すると、時間あたり2205円である。

 畜産農家の時給は、繁殖牛を除いて、民間平均と同程度か、それを上回っている。大規模の酪農や養豚では、民間平均の倍以上だ。最低賃金を下回るというのであれば、何らかの農家救済対策が必要だろうが、繁殖牛ですらこれを大きく上回っている。

 つまり、所得の観点からは、農家保護政策は必要ないのだ。

Kiyota/Shutterstock.com

飛躍的な規模拡大

 古い農業しか知らない人は、間違いではないかと思われるかもしれない。

 しかし、畜産は農業の中では、最も工業に近い分野である。工業と同様、技術進化や投資によって、畜産は過去半世紀ほどの間に目覚ましい変貌を遂げている。10年前の知識でさえ、今では時代遅れになっているのだ。

 畜産については、規模拡大が順調に進展した。1965年養豚農家戸数は70万戸、飼養頭数398万頭、一戸当たり平均飼養頭数は5.7頭に過ぎなかった。

 今では全国にわずか4000戸しかいない養豚農家が900万頭の豚を肥育している。160万戸程度いると思われる稲作農家に比べると、きわめて少数の農家である。

 しかも、この4000戸が183万トンの豚肉消費量のうち90万トンを生産している。自給率は49.2%である。一戸当たりの平均飼養頭数は、1965年の372倍、2119頭にも達する(いずれも2019年2月現在)。一農家が2000頭以上の豚を肥育している姿は、容易には想像できないだろう。

 酪農でも、わずか1万5000戸の農家が133万頭を飼養し700万トンを超える生乳を生産している。一戸当たり平均飼養頭数は1965年3.4頭から2019年88.8頭へ拡大した。この50年ほどで酪農家戸数は25分の1に減少し、生乳生産は4倍ほど増加した。

農業基本法の選択的拡大

 この半世紀ほどの間に、なにが起こったのか、特に変化が激しい酪農を中心に説明しよう。

 1950年代までの畜産は有畜複合経営と言って、農家が稲作の傍ら乳を搾ったりするものが多かった。私が子供のころ親戚の農家に行くとヤギの乳を飲ませてくれた。普段飲んでいる牛乳よりずいぶん甘かった。

 大々的に畜産を振興しようというエポックメイキングな動きは、1961年の農業基本法である。

 農業基本法の最大のテーマは農工間の所得格差是正だった。米の凶作により食糧難となった終戦直後は、農産物価格の高騰により、農家経済は大いに潤った。このとき農家は豊かだった。逆に、非農家は、食料と交換するために、タンスの着物がひとつづつなくなる“タケノコ生活”を強いられた。しかし、工業を中心に経済が復興するにつれ、農家所得は勤労世帯の所得を下回るようになった。

 農村から選出された国会議員は、戦後しばらくの間食料増産を旗印に財政当局から予算を獲得し、地元にその業績を喧伝することができた。しかし、もはや戦後ではないと言われ、食料生産が拡大していくにつれ、農業予算を獲得することが難しくなった。

 そこで彼らは、農家所得を工場の勤労者並みに引き上げることを名目に、予算を引き出そうとした。当時ドイツで農業基本法が制定され、農業予算が増加したことに注目した彼らは、農林省に農業基本法を作ることを要請した。

 動機はよこしまだったが、農林省では著名な経済学者シュンペーターの高弟の東畑精一東大教授と後に16年もの間政府税調会長を務めることになる小倉武一を中心に真剣な議論が交わされることになった。

 当時ほとんどの農家は稲作で生計を立てていた。農家所得向上の一つとして考えられるのは、稲作の規模を拡大してコストを低下させることである。

 しかし、一戸あたりの規模拡大のためには、稲作農家の退出による農家戸数の減少がなければならない。

 その稲作から退出する農家の転業先として考えられたのが、国民所得の向上に伴い需要が増加すると考えられた果樹や畜産だった。これは当時“選択的拡大”と呼ばれた。

 ここから農林省は本腰を入れて畜産振興に乗り出す。

 ただし、畜産の飼料となるトウモロコシについて、この時輸入関税をゼロにした。この結果、畜産は、国内の穀物生産によらず、輸入穀物に依存する加工畜産として発展することになってしまった。

 デンマークは豚肉の輸出国であるが、その養豚農家は豚舎周辺の広大な農地で穀物生産を行い、飼料として活用している。日本のデンマークと呼ばれた愛知県安城市の農業のように、デンマークは選択的拡大の手本ともいえる国だったが、畜産の場合、重要なところは参考にしなかった。

Syda Productions/Shutterstock.com

1965年の“不足払い法”

 大きく酪農を振興させたのは、1965年の加工原料乳生産者補給金等暫定措置法(いわゆる“不足払い法”)だった。

 法案の立役者は、のちに参議院議員となって中曽根派の重鎮となる桧垣徳太郎農林省畜産局長だった。それを酪農界で支えたのが、これも畜産局長経験者で全国酪農業協同組合連合会会長だった大坪藤市だった。

 酒豪だった大坪には、面白い話がある。彼が現役時代、農林大臣は河野一郎だった。下戸だった河野は大坪の酒の匂いが我慢ならなかった。国会に行く狭い車中で大坪と乗り合わせた河野は怒りを爆発させた。「大坪君、また昨晩飲んだだろう。酒はいい加減にしろ」。大坪は平然として答えた。「いや、大臣。これは朝の分です」。国会で答弁する当日の朝から酒を飲んでいたのだ。平和な時代だった。

 その大坪は“不足払い法”の成立のため、大蔵大臣だった田中角栄のところに陳情した。父親が博労だった角栄は、酪農家戸数を聞いた。大坪は「申し訳ありません、どんどん減って今は36万戸しかいません」と言った。角栄は「すごいじゃないか。かける25で900万票だ。ヨッシャ。わかった。認めてやる」と言ったという。私が大坪から直接聞いた話である。

 酪農家は朝と夕方は搾乳で忙しいが、昼間は暇にしている。だから消防などの地元の役職に就いている農家が多い。地方の名士だ。つまり酪農家1戸が選挙の時に周りに声をかけると25票を集められるということである。大坪は、角栄の慧眼に驚いた。

 “不足払い法”はバター、脱脂粉乳などに向けられる生乳(加工原料乳という)について、農家の再生産が可能となる保証価格と乳業メーカーの支払い可能価格との差を国が補給金(不足払い)として支払う仕組みだった。加工原料乳地域とは消費地から離れた北海道である。

 “不足払い法”以前は、低コストで作られる北海道の生乳が都府県に輸送され、都府県の乳価を低下させる恐れがあった。ところが、北海道の乳価が保証されれば、飲用牛乳に仕向けられる都府県の乳価は、北海道の乳価に北海道から都府県への輸送費を加えた額以下には下がらない。加工原料乳の乳価を保証することで、都府県の飲用牛乳向けの乳価を保証してしまうという絶妙の制度だった。

 これ以降酪農家と乳業メーカーの激しい乳価争議は起こらなくなり、酪農は安定的に発展した。

グローバル化に対応した革新的な技術

 酪農界を襲ったのはグローバル化だった。

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