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2020年東京五輪は「成熟」をキーワードに

榊原英資 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

廃墟から復活した日本を見せた1964年東京五輪

 2020年はアメリカの大統領選挙、立皇嗣の礼(日本の皇嗣である秋篠宮文仁親王が自らの立皇嗣を国の内外に宣明する一連の国事行事)等様々なイベントがあるが、やはり、最大のものは7月24日~8月9日の東京オリンピック開催と8月25日~9月6日の東京パラリンピックの開催であろう。

 前回の東京オリンピックは1964年、56年前だった。ウェイト・リフティングの三宅義行選手、柔道(重量級)の猪熊功選手、体操の遠藤幸雄選手、そして日本バレーボール女子等が金メダルを取り、日本はアメリカ(金メダル36個)、ソ連(金メダル30個)に次ぐ金メダル16個を取り、金メダル数では世界第3位になった。金・銀・銅の総メダル数ではアメリカ・ソ連・東西統一ドイツに次ぐ29個を獲得し、世界第4位になっている。

 筆者は東京大学の4年生だったが、特に、川西昌枝や宮本恵美子が活躍した女子バレーの勝利はよく覚えている。「鬼の大松」といわれた大松博文監督のもとでの「回転レシーブ」等が強く印象に残っている。監督は「鬼」と言われたが、その厳しい練習に耐え優勝したチームは「東洋の魔女」と呼ばれたのだった。

拡大東京オリンピックの女子バレーボール決勝戦日本対ソ連。第1セット、日本チームの河西選手のフェイントが決まる=1964年10月23日、東京都世田谷区、駒沢屋内球技場

 1964年はまさに日本の高度成長の最中、年平均で10%前後の成長率を達成している時だった(1956~73年の年平均成長率は9.1%)。「所得倍増論」を打ち出した池田勇人内閣の最後の年。オリンピックは敗戦から立ち直り、見事に復興した日本を世界に見せる大イベントだったのだ。

 オリンピックの2年前、1962年には首都高速道路も開通された。制約の多い都市部に建設するため、首都高速には最先端の道路技術が導入されたのだった。

 東海道新幹線も十河信二国鉄総裁と技師長の島秀雄の下で1959年4月2日に、新丹那トンネル熱海口で起工式を行って着工し、東京オリンピック開会直前の1964年10月1日に開業した。

 首都高、そして新幹線と1964年の東京オリンピックは、まさに復興した日本を世界に示す絶好の機会だったのだ。

 1964年の経済成長率は10.4%。その後も10%を超える成長率をしばしば達成し、前述したように、1956~73年度の年平均成長率は9.1%に達した。まさに、日本はフルスピードで成長し、池田勇人が目指した10年での所得倍増を上回るパフォーマンスを実現したのだった。

 日本のGDPは、10年どころか、約6年で倍増。池田のもとで所得倍増計画を作成した下村治は「日本経済自身は、私よりも、もっと驚くべき楽観論者」だと述べたのだ。(下村治著、「日本経済成長論」、金融財政事情研究会、1962年)

 1964年の東京オリンピックは敗戦の廃墟から見事に立ち直った新生日本を世界に見せることに成功したと言えるのだろう。

 1964年日本のGDPはまだアメリカやイギリス、フランス。ドイツ等のGDPを下回っていたが、その後急速に上昇し、1970年代にはイタリアを80年代末から90年代にはアメリカに次ぐGDPを達成することになったのだった。

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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) 青山学院大学特別招聘教授、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

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