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フレディ・マーキュリーが語る親友メアリーと楽曲

クイーン・オフィシャル・アーカイヴァーのグレッグ・ブルックスさんに聞く

岩崎賢一 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー

 クイーンのボーカルだったフレディ・マーキュリーは生前、恋人だった親友のメアリー・オースティンや楽曲、クイーンの未来についてどう思っていたのだろうか――。世界各地で行われたフレディへのインタビューを収集し、その発言を自伝的にまとめた『フレディ・マーキュリー 自らが語るその人生』(日本版、シンコーミュージック・エンタテイメント)にその答えがある。

 同書の編集・構成をした一人で、クイーンのオフィシャル・アーカイヴァーでもあるグレッグ・ブルックスさんに、1985年までのフレディの発言から彼の生き様を振り返ってもらうとともに、一緒に考察してみた。

クイーンおどけるフレディ・マーキュリー © Koh Hasebe / Shinko Music Archives

日ごろのブライアンは動物の話ばかり

 「ブライアン・メイとは毎週1回は会っています。ロジャー・テイラーはほとんど会いません。ジョン・ディーコンは1回も会ったことがありません。フレディ・マーキュリーはコンサートには多く行きましたが、個人的に会ったことはありません」

 「ブライアンは会うといつも動物の話をしています。キツネだのカエルだの。仕事の話よりは個人的な話をしていることが多いです」

 1月18日、日本版の発行元であるシンコーミュージック・エンタテイメントのイベントホールに集まった日本人のクイーンファンを前に、来日したブルックスさんはこう言って場を和ませた。

 アーカイヴァーとして現在保管しているコレクション数は、現在5000点ほどだというが、友人などにプレゼントしてしまったものも含めると、これまで収集した数は15000点にのぼるという。その一部が、1月15日から始まった「クイーン展ジャパン」(https://www.queen-exhibition.jp/)で展示されている。

クイーン『フレディ・マーキュリー 自らが語るその人生』の構成・編集をしたオフィシャル・アーカイヴァーのグレッグ・ブルックスさん=2020年1月18日、朝日新聞社撮影

10歳で受けた衝撃……フレディの声、ブライアンのギター

 ブルックスさんがクイーンと出会ったのは1976年、10歳のときだった。

 以来、クイーンに魅了され続けているのはなぜなのか。当時、他のミュージシャンとクイーンはどこが違ったのか。そう彼に尋ねると、端的にこう答えてくれた。

 「一番は音。フレディの声やブライアンのギターといった音に衝撃を受けました」

 フレディが1985年までに様々なところで語ったインタビューや取材での発言を、これほどまでに集め、読み解いたアーカイヴァーは世界中にほとんどいないだろう。何度もインタビューしたことのある『MUSIC LIFE』(休刊中)の元編集長の東郷かおる子さんらは別にして。

 必ずしも史実に沿っているわけではないが、ブライアンやロジャーのお墨付きを得ている映画『ボヘミアン・ラプソディ』を見てクイーンの軌跡を知った、日本人のライト層といわれるミレニアル世代のファンは、スマートフォンを使ってインターネット上にあるクイーン情報を次々に検索した。楽曲から入ったファンが、さらなる楽曲、そしてクイーンの音を作り上げたメンバーの軌跡をもっと知りたいという欲求が増したからだ。

 ブルックスさんの著書は、そうした欲求に答えたものと言える。

クイーン荷物の山と一緒に記念写真に収まるフレディ・マーキュリー © Koh Hasebe / Shinko Music Archives

オーディエンスとの相互の信頼関係

 この本はフレディを「超人的シンガー」と表現する。どこが超人的なのか? ブルックスさんに聞いてみた。

 「音楽の歴史の中でも最高のシンガー、パフォーマーだからです。両面を持っていたからスーパーなのです。私は他のバンドも見てきましたが、それらとは100万マイルも離れた存在です」

 「フレディはコンサートを成功させるためにとても努力していました。フレディは熟達したシンガーであり、パフォーマーでしたが、それでもなお練習を重ねていました」

 では、フレディはファンのことをどう見ていたのか。第5章にフレディのこんな発言が出てくる。

 「僕らの音楽は紛れもない現実逃避だと思っている。(中略)。お客さんは会場にやってきて、演奏を聴いて、個人的な問題をしばらく忘れて、その2時間を楽しむ、それでおしまい」(P121)

 さらに、「僕の音楽はどんなジャンルにも収まらない」(P121)とし、できるだけ多くの人たちに聴いて欲しいと願い、「常に違うオーディエンスを魅了できるようにもしたい」(P122)とも語っている。

 とすれば、今、日本で世代を問わず、クイーンの楽曲が愛されているのはフレディにとって本望に違いない。

クイーンクイーン展に展示されているフレディ・マーキュリーの衣装=2020年1月15日、朝日新聞社撮影

クイーンもオーディエンスをリスペクト

 ライト層のクイーンファンを取材していると、コンサートでのファンとの一体感に、憧れのようなものを感じている人が少なくない。簡単な言葉で言い表すと、「AY-OH」とコールアンドレスポンスをしたり、両手を挙げて左右に揺らしながら『We Are The Champions』を一緒に歌ったりして、クイーンと一体化したいという欲求だ。

 この人と人とが「つながりたい」という部分について、アーカイヴァーとしてどう見ているのか? ブルックスさんはこう答えた。

 「オーディエンスとのつながりで一番重要視していたのがコンサートで、ファンもそれを喜んでくれていた。だからコンサートに入念に準備をして備えていた」

 「演出や衣装などアートワークにも非常にこだわったのは、ファンとのつながりを重視したから」

 「オーディエンスもフレディやクイーンをリスペクトしていたし、クイーンもオーディエンスをリスペクトしていました。相互の信頼関係があったということです」

クイーンシンコーミュージックの資料室に残る貴重なファンとの交流写真 © Koh Hasebe / Shinko Music Archives

「いくつかのブライアンの曲を除けば」メッセージ性のある曲はない

 フレディは楽曲づくりについて、どう考えていたのか。同書の第5章にある彼の発言は示唆に富む。

 「僕が書く曲は、思うに、基本的に……消耗品」、「僕らの楽曲は紛れもない現実逃避だと思っている」、「自分の曲をすべてに分析しようとするのは大嫌いだね」など、意義づけを嫌う発言が目立つ。

 「クイーンの音楽で世界を変えたいとは思わない。僕らの曲に隠れたメッセージなんてない――いくつかのブライアンの曲を除けばね。僕はBICカミソリの刃みたいなもの。娯楽用、現代人の消費用なんだ。使用済みのティッシュみたいに捨てていい。聴いて、気に入って、捨てて、また次のを聴く。使い捨てのポップ。メッセージソングはかきたくない。政治的なモチベーションは僕にはないからね。ジョン・レノンやスティービー・ワンダーとは違うんだよ。政治は僕の思考には入ってくる、もちろんそれはある、でもそれは捨てる、僕らはミュージシャンだからね。政治的にはなりたくない、深いメッセージをかく才能が自分にあるとも思えないから」(P116)

 さらに、こう続ける。

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