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今も昔も「平等国家日本」

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 実は、日本が世界で最も平等な国だということに気が付いている人はそれ程多くないのではないだろうか。

 国連がトップ20%とボトム20%の所得比を調査した推計によると、日本は3.4倍と国連加盟国の中で最も低い(アメリカは8.4倍、ドイツは4.3倍、フランスは5.6倍、イタリアは6.5倍、イギリスは7.2倍)。北欧の比較的平等な国であるスウェーデンでも4.0倍、スイスでも5.5倍、フィンランドでは3.8倍になっている(統計は国際連合=UNのもの)。

 トップ10%とボトム10%の比較でも同様。日本は4.5倍とフィンランド5.6倍、スイス9.0倍、スウェーデン6.2倍より低くなっているのだ。

かなり平等だった江戸時代の日本

 日本の1人当りGDPはほぼ4万USドル(2019年40.847USドル=IMFによる2019年10月時点の統計)。フランス・ドイツ・イタリア等とほぼ同様の値だ。

 アメリカは65.112USドルと日本やヨーロッパ諸国より高いが、所得分配の平等性ということを考慮すると、おそらく、平均的日本人は平均的アメリカ人より豊かだといえるのだろう。

 アメリカは自由競争を国是とする国。前述したように、トップとボトムの所得比は先進国中最も大きくなっている。

 この日本の平等は最近のことというだけではなく、歴史的なものだと言えるのだという。歴史家の渡辺京二は名著「逝きし世の面影」(葦書房・1998年)で次のように、江戸時代の社会について述べている。

 当時の欧米人の著述のうちで私たちが最も驚かされるのは、民衆の生活の豊かさについての証言である。その豊かさとはまさに最も基本的な衣食住に関する豊かさであって幕藩体制下の民衆生活について、悲惨きわまりのないイメージを長年叩きこまれてきた私たちは、両者間に存するあまりの落差にしばし茫然たらざるをえない。

 1856年に来日して、伊豆下田のアメリカ領事館に「最初の領事旗」をあげたタウンゼント・ハリスの「日本滞在記」(坂田精一訳・岩波書店・1953年)を引用しながら、渡辺は次のようにも述べている。

 この一連のハリスの記述の含意は何だろう。彼は日本には悲惨な貧は存在せず、民衆は幸せで満足そうだと言っている。しかもそれとともに彼が言いたいのは、日本人の生活は上は将軍から下は庶民まで質素でシンプルだということである。『富者も貧者もいない』というのはそういう意味だ。そして、衣食を保障されたそういう簡素な生活こそ、『人民の本当の幸福の姿』だというところに彼の言わんとする核心があったのだし、それゆえにこそ彼は、己の使命がその幸福を破滅することにあるのを思って、しばし暗然たらざるをえなかったのである。

 つまり、江戸時代の日本は、庶民が豊かだったばかりでなく、富が権力者に集中して
おらず、経済や日常生活から見て、かなり平等な生活だったということなのだ。

 欧米の権力者への富の集中と、華美できんきらきんの王官や私邸に比べると、日本の権力者たちの生活はかなり簡素だったというのだ。

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平等がもたらす「平和と安全」

 そして江戸時代といえば、元禄時代、あるいは文化文政時代に庶民文化が花開き、歌舞伎や相撲、人形浄瑠璃、仮名草子、浮世草子、そして浮世絵等が隆盛を極めたのだった。確かに、17世紀から19世紀、ヨーロッパもまた、豊かな文化を花開かせたのだが、それは貴族階級等支配階級の繁栄であり、庶民は決して豊かではなかったのだ。

 アメリカのジャパノロジスト、スーザン・ハンレーは日本の庶民文化を高く評価し(スーザン・B・ハンレー著・指昭博訳・「江戸時代の遺産~庶民の生活文化」中央公論社・1990年)次のように述べている。

 ……1850年の時点で住む場所を選ばなくてはならないなら、私が裕福であるならイギリスに、労働者階級であれば日本に住みたいと思う」と述べている。
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