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学校給食で余剰農産物を処理するな!~「高級和牛を給食に」が映し出すもの

国民全体の利益から農業政策を考えようとしない「オール与党」の国会

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

米国産小麦・脱脂粉乳→牛乳→コメ→和牛

 それを議論する前に、学校給食について、コメントしよう。

 児童が和牛を食べられるのなら良いことだと思われるかもしれない。しかし、国会でのやりとりを読んで、私は「また学校給食か」と思った。学校給食は、これまで過剰となった農産物処理のために利用されてきたからである。

 戦後、学校給食は、小麦から作られるコッペパンと脱脂粉乳を水で溶かしたミルクで始まった。小麦や脱脂粉乳はアメリカの余剰農産物だった。

拡大昭和22年の給食の見本。脱脂粉乳とみそ汁(大根、にんじん、缶詰の肉)=2007年6月26日、京都市学校歴史博物館で

 農産物の過剰に悩まされていたアメリカにとって日本は有望な市場だった。アメリカはパン食普及の大キャンペーンを行い、1958年には米を食べると頭が悪くなるという大学教授の本まで現れた。中でも学校給食は、児童のころから日本人をパン食になじませることに成功した。

 次に、学校給食に導入されたのは牛乳だった。当時生乳生産は過剰基調だったため、酪農家は乳業メーカーからたびたび乳代の引き下げを求められ、乳価紛争が絶えなかった。1964年以降、生乳過剰を緩和するために、学校給食が活用された。脱脂粉乳は児童から評判が悪かったので、牛乳は歓迎された。しかし、父兄の給食費が増加しないよう、国からの補助金による牛乳の値引きが必要だった。

 さらに、1970年に米が過剰となってからは、学校給食向けの米の値引き売却や炊飯施設の補助も試験的に始まった。信じられないかもしれないが、それまで学校給食には一切米飯は使われていなかったのである。

 しかし、パン食が定着している中で、最初のころ米飯の導入は困難だった。今では普及したが、1976年学校給食に正式に米飯が導入された時でも、月数回、週一回程度がせいぜいだった。

 そして今回は和牛である。

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筆者

山下一仁

山下一仁(やました・かずひと) キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年岡山県笠岡市生まれ。77年東京大学法学部卒業、農林省入省。82年ミシガン大学にて応用経済学修士、行政学修士。2005年東京大学農学博士。農林水産省ガット室長、欧州連合日本政府代表部参事官、農林水産省地域振興課長、農村振興局整備部長、農村振興局次長などを歴任。08年農林水産省退職。同年経済産業研究所上席研究員。10年キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。20年東京大学公共政策大学院客員教授。「いま蘇る柳田國男の農政改革」「フードセキュリティ」「農協の大罪」「農業ビッグバンの経済学」「企業の知恵が農業革新に挑む」「亡国農政の終焉」など著書多数。

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