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母校・日比谷高校を凋落させた「学校群制度」という愚行

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 東京都を始め複数の都道府県は1967年、いわゆる「学校群制度」を導入し、合格者を、本人の希望に関わりなく学校群内各校に振り分ける制度を導入した。この制度は、「日比谷つぶし」ともいわれ、東大合格者数1位を記録していた日比谷高校をはじめ、西・戸山・新宿・小石川・小山台などの名門都立高校を直撃し、こうした高校から東大等の難関大学への進学実績は急速かつ極端に落ち込んだのだった。

 制度を主導したのは、当時の東京都教育長の小尾乕雄。小尾は当時の受験戦争の過熱を防ぐためとの大義名分のもとに実施したのだが、その結果、日比谷高校を始め都立名門校は凋落し、変って開成・麻布・灘のような私立校が台頭することとなったのだった。

名門都立の凋落が学生を財政負担増を招いた

 筆者は1960年に日比谷高校を卒業したが、当時、日比谷高校は東大合格者ランキングのトップで141人を東大に入学させていた。しかし、1967年の学校群制度で日比谷高校は落ち込み、1975年・1981年にはトップ20から消えてしまったのだ。日比谷同様、戸山・西・小石川等の都立高も大きくランクを落していったのだった。

 筆者は日比谷高校の卒業生なので、もちろん、バイヤスはあるのだが、教育長による事実上の都立名門校つぶしは私立高校の台頭を招き、生徒や親達の財政的負担を大きく上昇させてしまった。

 文部科学省の調査によると、全日制私立高校の授業料等学校教育費は年間75万5101円と全日制の公立高校(27万5991円)の2.7倍になっている。授業料無償化や奨学納付金等の補助制度はあるものの、所得条件が厳しく、多くの家庭がその恩恵を受けることは難しい。

 入学金等を入れなければならない初年度の負担総額は大きく、開成高校では99万6000円、青山学院高等部では87万7000円になっている。学校群制度による名門高校つぶしは結果として私立高校の台頭を招き、学生の財政負担を大きく増加させてしまったのだった。

 学校群制度は1982年に廃止になり、学区制度が設けられたが、学区制度も2003年には廃止されている。ただ、開成・麻布・灘高校等の優位はその後も変わっていない。2020年の東大合格者ランキングのトップは開成高校(181人)、これに桜蔭高校(85人)、灘高校(79人)、渋谷教育学院幕張高校(74人)、聖光学院高校(62人)、駒場東邦高校(62人)、麻布高校(60人)が続いている。

 ほとんどが私立高校だが、嬉しいことに、筆者の卒業高校である日比谷高校も13位(40人)にランクインしている。筑波大付属高校も15位(36人)。県立浦和高校も18位(33人)、県立旭丘高校も22位(30人)と公立高校もそこそこ復活をはたしているのだ。

 日比谷高校が東大合格者数トップだったのは1965年まで(66年2位、67年1位、68年2位)、その後は大きく落ち込んでいる。1968年には灘がトップに、その後開成が台頭し、1982年から2020年までトップを維持している。

 今後、公立高校がどれほどその実力を伸ばしていくかは未知数だが、都立日比谷高校や県立浦和高校(埼玉)、湘南高校(神奈川)が復活してきているのは筆者としては喜ばしいことだ。

 筆者は、鎌倉の横浜国立大学付属中学から日比谷高校に進学したが、筆者の多くの友人達で優秀な人達は湘南高校に進学していった。神奈川県の名門校で、今でも22人が東大に入学している。1970年には61人、1980年には67人が東大に合格している。筆者の親しい友人、小川忠彦さんも湘南高校から東大にストレートで入学している。

東大は学生にもっと勉強を

 別に、東京大学や京都大学に合格することがそれ程重要という訳でもないが、高等学校の評価がそれによってなされていることが多いのも事実である。

 ただ問題は、入学は難しいのだが、進学や卒業がそれ程難しくないことだ。

cdrw/Shutterstock.com

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