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プライドを持てる故郷に変える挑戦はエゴとの葛藤から始まった

「ワインツーリズム」発起人の笹本貴之さんの挫折とリスタート

岩崎賢一 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー

「東京では自分が地域に参加している当事者意識が持てなかった」

――そもそもプライドを持てない山梨になぜ戻ったのですか。

 私の矛盾がそこにあるんです。山梨はつまらないと思って東京に出て行きましたが、東京の方がもっと嫌でした。ここ、自分のいる場所じゃないなと思いました。自分が所属する「地域」がなかったからです。自分が「地域」に参加しているという当事者意識が持てませんでした。

 会社の仲間や上司とはしょっちゅうゴルフして楽しんでいましたが、その人間関係しかありませんでした。マンション暮らしで、妻と会社の人ぐらいしか「世間」がありませんでした。夜10時、11時に帰ってきて、朝7時に家を出て行く生活です。給料は良かったし、うまいモノも食べられましたが、何か足りなさを感じていました。

 地域を動かすとか、地域に影響を与えるとか、地域に学ぶとか、会社の上司部下同僚でないところで社会との関係が欲しかったわけです。多種多様な人がいる地域で、行動し、発言し、一緒に変えていくようなことをしたかったのです。

ライフシフト・笹本貴之さん拡大AIU時代、会社の先輩や取引先のみなさんと一緒に行ったカラオケ(上段右から2番目)=提供写真

――人間、人生の中では妥協もあります。ピュアに生きてきたようですが、嫌な山梨に帰ってきた本当の理由は何ですか。

 当時、「地方の時代」といわれていました。地方が盛り上がっていると思っていましたから「俺が帰って一発デカいことをしてみせる」という気位がありました。実家も当時は、車の板金塗装工場として県内で一番大きな会社でしたので、それを大きくしてやろうということもありました。しかし、同級生からは「何しに帰ってきたんだ」「そんな大きな会社辞めてもったいない」といわれました。全く盛り上がっていませんでした。

 妻に仕事を辞めさせて、山梨に戻りましたが、当初は後悔というか、やっちゃったなという感じはしていました。

交通事故減少で家業がピンチに

――家業での新規事業はうまくいかなかったのですか。

 最初は「営業部長」です。喫煙所の分煙機、空気清浄機、脱臭機など環境関連の新規事業を始めました。しかし、本業が右肩下がりになってくることがわかってきました。潮目は、飲酒運転に対する厳罰化で事故が減ってきたころかもしれません。自動車の安全装備も充実してきて、社会にとっては非常に良いことですが、会社にとっては意外に影響が大きかったです。

――部長として戻り、役員、社長になりましたね。また、従業員のほか、経営者として地域への責任も出てきますね。

 すごくつらかったです。都銀系のシンクタンクに何百万円も払って事業立て直しのコンサルタントを頼みましたが、落ちていく流れは変えられず、そんなときに土屋さんに出会ったのです。

 「こんなわけない」「俺は山梨を良くするために帰って来たのに」「何かしなくては」。こんなふうにもがいていました。

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筆者

岩崎賢一

岩崎賢一(いわさき けんいち) 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー

1990年朝日新聞社入社。くらし編集部、政治部、社会部、生活部、医療グループ、科学医療部などで医療や暮らしを中心に様々なテーマを生活者の視点から取材。テレビ局ディレクター、アピタル編集、連載「患者を生きる」担当、オピニオン編集部「論座」編集を担当を経て、2020年4月からメディアデザインセンターのバーティカルメディア・エディター、2022年4月からweb「なかまぁる」編集部。『プロメテウスの罠~病院、奮戦す』『地域医療ビジョン/地域医療計画ガイドライン』(分担執筆)。 withnewsにも執筆中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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