高島大浩(たかしま ・ともひろ) ジェトロ香港所長
1990年、ジェトロ入構。ナイジェリア、英国、タイに駐在。対日投資部長などを経て、2019年7月から現職。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
デモ、米中貿易戦争…「アフターコロナ」の経済回復はSARSとは異なりそうだ
「負資産」という言葉を聞いたことはありますか――。
香港市民にとっては、不吉な言葉である。2003年に香港を襲ったSARS(重症急性呼吸器症候群)のアウトブレークは、1997年の香港返還、アジア通貨危機後に一本調子で上がり続けていた住宅や株式市場をのみ込んだ。感染拡大とともに、みるみるうちに3割、4割と評価額が下がり、住宅ローンを組んでいた10万世帯ともいわれる市民が「負資産」を抱えた。目減り分を含め返済を迫られた借り手である市民は、自殺に追い込まれた人もいた。実際にその年の10万人当たりの自殺者は18.8人で、過去20年の平均より5人多い。「コロナショック」は、再度この悲劇を引き起こすのだろうかと懸念されている。
今年第1四半期の香港の実質GDP(域内総生産)は前年同期比マイナス8.9%となり、リーマン・ショック後の2009年第1四半期(マイナス7.8%)を下回り、統計を取り始めた1974年以来過去最悪の数字だった。ウイルスまん延の深刻さや時間軸の違いはあるが、中国のマイナス6.8%、日本のマイナス3.4%(速報値)と比べても一段と悪い。それは、香港は観光や貿易、金融の中心地として、経済に占める外需依存度が高いからに他ならない。そのため、感染収束後も世界経済が完全に回復軌道に乗るまでは時間を要するために外需がすぐ戻らないと判断した香港政府は、今年のGDP成長率をマイナス1.5~0.5%からマイナス4~9%へと大幅に下方修正している。
香港の産業構造は、極めて特徴的で3次産業が99%を占めている。ざっくり分ければ、冒頭で紹介する不動産関連が2割、次いで卸売り・小売りに貿易と運輸・倉庫分野を加えて3割、金融・保険分野が2割を担う。いずれも外需と密接なつながりを有する。
新型コロナウイルス禍にあって、再度この「負資産」が話題になっている。ただし、いまのところ、自殺者が増加している話はあまり耳にしない。今年のGDPについては悲観的な見方をしたポール・チャン財政局長は、不動産市場のファンダメンタルズは強く、「住宅ローン借入者が、2003年のSARS危機時よりも、『負資産』を抱え債務不履行に直面するリスクが低い」と発言している。
昨年6月から始まった逃亡犯条例改正への反対を契機にした反政府抗議活動の根底には、やり場のない若者の不満や不安がある。その不満の一つが、住宅難である。米系不動産サービスCBREによる2019年4月時点の調査では、香港の住宅の平均価格は、123.5万米ドル(109円換算で1億3400万円)と世界主要35都市の中で最も高額と指摘をされている。2位のシンガポールや3位の上海を50%程度引き離す。
ホワイトカラーの平均賃金水準が日本より多少低い香港では、市民が持ち家を手に入れるのは至難の業であり、「公営住宅の入居待ちに5年かかる」、「家が持てないから、なかなか親元を離れられず結婚できない」、「医者夫婦でも家が持てない」という住宅にまつわる苦情を頻繁に耳にする。住宅難の解消という観点からすれば、新型コロナウイルスによる多少の相場下落は、市民にとっては歓迎される向きも多い。感染が沈静化してきた4月半ばより、週末になると新築や中古物件の視察がにぎわい始めており、まずは需要過多の住宅市場から不動産市況の回復が見込まれる。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?