日本の農業・農政は信頼できるのか?
2020年05月26日
食品が安全であることと、それを安全と思うことは、別物である。隣の農家の作物は安全だと思うが、外国産には不安を感じる。実際には、隣の農家の方が多くの農薬を使っていてもである。
OECD(経済協力開発機構)では、日本農業は他国に比べて大量の農薬を使用することが批判され、これに日本の農水省は苦しい反論を行ってきた。しかし、国民の多くは国産農産物の方がより安全だと思っている。
食については、安全の問題とともに、生命健康の維持に必要な量を確保できるかという問題がある。食料安全保障である。
食料を供給してくれるのは、国内農業と輸入(外国農業の生産)である。安全の問題と同じく、国民は外国の農業よりも国内の農業を信頼する。食料危機が起きたときに外国の農業は頼りにならないので、国内の農業生産こそが頼りになると考えている。これは食料安全保障のためには、国内農業を保護すべきだという主張にもつながる。
食料を外国に依存したくない、国内の農業をより信頼するという気持ちは、多くの国民が共有しているところだろう。私もそうありたいと思う。
しかし、これまで日本の農業や農政は、我々国民の食料安全保障を増進し、それに貢献してきたのだろうか?
多くの納税者(財政)負担と国際価格よりも高い食料を購入するという消費者負担で農業を保護してきたが、このような農業保護は食料安全保障に役に立つものだったのだろうか?
真の食料安全保障を確立するために、我々は何をすべきなのだろうか?
新型コロナウイルスの感染拡大で食料危機が起きるかもしれないという主張があるとき、この問題を真剣に考えてみてはどうだろうか。
農家の利益と農業の利益は同じではない。日本の農業政策は農家の利益を向上させようとして、農業を衰退させ、食料安全保障を損ねてきた。
農家の利益と農業の利益を両立させることができる望ましい政策はあった。しかし、農家の利益と言いながら、実際にはそれとは別の利益団体の利益が追及された。望ましい政策を採用することは、この利益団体の利益を損ねることとなるので、採用されることはなかった。
日本人の主食は米だとされてきた。ところが農政は、1960年以降、政府が農家から米を買い入れ消費者に売り渡すという食管制度の下で、米価を大幅に上げて国産の米の需要を減少させ、さらに麦価を据え置いて輸入麦主体の麦の需要を拡大させたのだ。
米をいじめる外国品優遇政策を採れば、食料自給率が低下するのは当然だ。今では米を500万トン減産する一方、麦を800万トン輸入している。1960年当時米の消費量は小麦の3倍以上もあったのに、今では同じ量まで接近している。もはや日本は “瑞穂の国”ではない。
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