2020年06月25日
WTO(世界貿易機関)のアゼベド事務局長が任期半ばで突然辞任を表明した。その背景には、WTOの機能不全がある。
WTOには、二つの柱がある。
一つは加盟国で交渉を行うことで、時代の変化に対応した新しい貿易のルールを作ることだ。これは立法的な機能だと言える。
もう一つは、加盟国間で貿易を巡る紛争が生じた場合、問題となった措置がWTOのルールにあっているかどうかを判断し、違反している国に対して是正を求めるという紛争処理手続きだ。これはいわば裁判や司法的な機能である。
この両者とも機能がストップしている。
ガットはモノの貿易について規律していた。1986年に始まり1993年に妥結したガット・ウルグアイ・ラウンド交渉は、ルールが不十分だった農業や繊維について規律を強化する一方、それまでガットがカバーしてこなかったサービスや知的財産権についても新しいルールを作った。こうしてできたのがWTOである。
WTOのもとで、2001年さらなる自由化を目指したドーハ・ラウンド交渉が開始された。しかし、先進国と途上国との対立によって、2011年この交渉は事実上の停止状態となった。
その後小さな前進はあったものの、ウルグアイ・ラウンド交渉で合意されたWTOの諸協定に変更はないと言ってよい。27年前に作られたルールが今でも変更なく適用されている。モノについての関税引下げやサービス分野の自由化も進まないままだし、電子商取引など新しい貿易の形態に適合したルールが作れなくなっている。
先進国と途上国の利益が対立するのは、ガットの時代もあった。ウルグアイ・ラウンド交渉では交渉を立ち上げること自体、競争力のないサービス分野の自由化を求められることを恐れたブラジルやインドが反対した。また、先進国も足並みはそろわなかった。EUは、そのコーナーストーンである農業を交渉の対象に含めるのに消極的だった。このため、アメリカがウルグアイ・ラウンド交渉を提案してから、4年後にようやく交渉は開始された。
アメリカがウルグアイ・ラウンド交渉を開始しようとした大きな要因は、EUの農業政策、特に過剰農産物処理のための補助金付き輸出によって、国際市場価格が低迷していることに規制を加えたかったことである。ガット時代の不十分な紛争処理手続きでは、アメリカがEUに勝訴した場合でも、それを実施することは困難だった。
ウルグアイ・ラウンド交渉全体の行方を左右したのは、アメリカとEU間の農業問題だったと言って過言ではない。1986年に開始された交渉は、農業問題にハイジャックされ、なかなか進展しなかった。当時ジュネーブでは、農業で合意できれば、サービスなど残りの交渉は1日で終了できるとまで言われていた。それほど農業交渉が重要だったのである。ようやく1992年末アメリカとEUが農業補助金について合意したことにより、翌年交渉は妥結した。
ドーハ・ラウンド交渉においても、アメリカとEUは農業問題について合意すれば、全体の交渉が妥結するはずだと考えた。交渉開始後2年を経過した2003年9月のカンクン閣僚会議の直前、両国は100%以上の農業関税は認めないとする上限関税率に合意した。しかし、これに対して、ブラジル、中国やインドを中心とした途上国は、アメリカやEUも含めた先進国の農業補助金の大幅削減を要求した。両者は激しく対立し、カンクン閣僚会議は合意文書をまとめられず、決裂した。
ウルグアイ・ラウンド交渉では、アメリカ、EU、日本およびカナダ(農業についてはカナダに代わりオーストラリア)の4か国で交渉を行い、それで合意したものを、7か国、13か国、21か国と参加国を広げていって、最終合意に至るという意思決定が行われた。実際には、ウルグアイ・ラウンド交渉でも100を超える国が参加したが、かなりの国は交渉に関与していたとは言えなかった。
ドーハ・ラウンド交渉では、少数の国が集まって合意に至るという、このような交渉方法に対しても、途上国から反対された。しかし、たくさんの国が集まる会合で意思決定を行うことは民主的ではあるが、合意形成を行うことは容易ではなかった。
ドーハ・ラウンド交渉の開始と同時に、中国がWTOに加盟した。アメリカやEUも、中国が経済大国に成長するなかで、中国が加わった途上国の意見に押されるようになった。中国の加盟によって、先進国と途上国のパワーバランスに大きな変化が生じたのである。
こうして、ドーハ・ラウンド交渉は漂流した。今のWTOで新しいルールを作ることは、ほとんど不可能となっている。
WTOの紛争処理手続きは、ガット時代に比べ格段に強化された。アメリカはEUの輸出補助金を是正できなかったことから、ウルグアイ・ラウンド交渉で紛争処理手続きの改善に努めたからである。
ガット時代は一国でも反対するとパネル(裁判のようなもの)の判断はガット加盟国によって採択されないという問題があった。このため、一国でも賛成すると採択されるという仕組みに変更した。勝訴した国は当然賛成するので、間違いなく採択されることになる。さらに、パネルの上に上級委員会を加え、二審制にした。
これによって、WTOの紛争処理手続きは、新しいルールが作られない中でも、しっかり機能してきた。WTO諸協定を解釈する国際経済法学者は、交渉は進まないが、紛争処理手続きは着実に実績を上げていると誇らしげに語っていた。
しかし、ルールが古いままなので、解釈によって、ルールが作られないことを補おうとする動きが見られるようになった。裁判所が法律を創造するような解釈を行ったのである。また、法律家による協定の文言に従った解釈と、交渉に当たった国の意図が、一致しないような場合も見られるようになった。交渉者が各国の対立する利害を調整して作った、政治的、妥協的な文言が、法律家によって交渉当事者の意図とは異なるように解釈されるのは、ある程度仕方がないことかもしれない。
アメリカは、こうした判断によって思ったような結論が出されないことに、いらだつようになった。また、最終的な判断が出されるまで時間がかかる過ぎることにもアメリカは不満をもった。こうして内容と手続きの両面で紛争処理手続きに批判的となったアメリカは、上級委員会の委員の任命を拒むようになった。現在、上級委員会には少なくとも3名の委員が必要なのに委員は1名であり、事実上裁判的な機能も停止してしまっている。日本で言うと、地方裁判所はあるのに、上級審である高裁や最高裁がないという状態である。
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