対立する先進国と途上国
先進国と途上国の利益が対立するのは、ガットの時代もあった。ウルグアイ・ラウンド交渉では交渉を立ち上げること自体、競争力のないサービス分野の自由化を求められることを恐れたブラジルやインドが反対した。また、先進国も足並みはそろわなかった。EUは、そのコーナーストーンである農業を交渉の対象に含めるのに消極的だった。このため、アメリカがウルグアイ・ラウンド交渉を提案してから、4年後にようやく交渉は開始された。
アメリカがウルグアイ・ラウンド交渉を開始しようとした大きな要因は、EUの農業政策、特に過剰農産物処理のための補助金付き輸出によって、国際市場価格が低迷していることに規制を加えたかったことである。ガット時代の不十分な紛争処理手続きでは、アメリカがEUに勝訴した場合でも、それを実施することは困難だった。
ウルグアイ・ラウンド交渉全体の行方を左右したのは、アメリカとEU間の農業問題だったと言って過言ではない。1986年に開始された交渉は、農業問題にハイジャックされ、なかなか進展しなかった。当時ジュネーブでは、農業で合意できれば、サービスなど残りの交渉は1日で終了できるとまで言われていた。それほど農業交渉が重要だったのである。ようやく1992年末アメリカとEUが農業補助金について合意したことにより、翌年交渉は妥結した。
ドーハ・ラウンド交渉においても、アメリカとEUは農業問題について合意すれば、全体の交渉が妥結するはずだと考えた。交渉開始後2年を経過した2003年9月のカンクン閣僚会議の直前、両国は100%以上の農業関税は認めないとする上限関税率に合意した。しかし、これに対して、ブラジル、中国やインドを中心とした途上国は、アメリカやEUも含めた先進国の農業補助金の大幅削減を要求した。両者は激しく対立し、カンクン閣僚会議は合意文書をまとめられず、決裂した。
ウルグアイ・ラウンド交渉では、アメリカ、EU、日本およびカナダ(農業についてはカナダに代わりオーストラリア)の4か国で交渉を行い、それで合意したものを、7か国、13か国、21か国と参加国を広げていって、最終合意に至るという意思決定が行われた。実際には、ウルグアイ・ラウンド交渉でも100を超える国が参加したが、かなりの国は交渉に関与していたとは言えなかった。
ドーハ・ラウンド交渉では、少数の国が集まって合意に至るという、このような交渉方法に対しても、途上国から反対された。しかし、たくさんの国が集まる会合で意思決定を行うことは民主的ではあるが、合意形成を行うことは容易ではなかった。
ドーハ・ラウンド交渉の開始と同時に、中国がWTOに加盟した。アメリカやEUも、中国が経済大国に成長するなかで、中国が加わった途上国の意見に押されるようになった。中国の加盟によって、先進国と途上国のパワーバランスに大きな変化が生じたのである。
こうして、ドーハ・ラウンド交渉は漂流した。今のWTOで新しいルールを作ることは、ほとんど不可能となっている。

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