諏訪和仁(すわ・かずひと) 朝日新聞記者
1972年生まれ。1995年に朝日新聞社入社、東京経済部、大阪経済部などを経験。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
この本で言っているのは、資本主義を続けようとすれば、チューンアップ程度の生やさしい変え方では済まないということです。
新型コロナウイルスは、まさに、今の資本主義のもとでの社会や経済の課題を浮き彫りにしました。「格差の是正」と「国際協調の重要性」という課題です。本当に真剣に新しい資本主義を模索しなければならない時がきたのだなと思いました。
「資本主義と闘った男」、宇沢弘文さんは東京大学経済学部の教授でした。宇沢先生が東大で教鞭をとっておられたとき私は同じ経済学部に通っていましたが、宇沢先生の授業はとりませんでした。私は、宇沢先生と同じ理論経済学の根岸隆(ねぎし・たかし)教授のゼミに入ったからかもしれません。
授業はとりませんでしたが、宇沢先生のご高名はよく知っていたこともこの本を手に取った理由の一つです。難しかったら嫌だなと思って読み始めましたが、わかりやすくて一気に読了しました。その勢いで、宇沢先生が書かれた「社会的共通資本」(岩波新書)も併せて読みました。
少し話が脱線しますが、私は高校のころは理系専攻でした。同じ高校に入った弟(十倉好紀氏、理化学研究所創発物性科学研究センター長)はどちらかというと文系で、俳句で賞をもらったりしていました。私は偏っていて、数学は満点に近くて英語はそこそこで、国語は全然だめでした。成績だけ見ると私の方が研究者になっていてもおかしくなかったのですが、私は当時、自分にはそこまでの才能はない、研究者にならずに就職しようと日和ったのです。
そういう思いがあったので、文系の中でも数学を使う経済学部に入り、根岸ゼミも一般均衡論や価格理論で数学を使うからと選びました。ちなみに根岸ゼミの同期で一番の優等生は、経済学者の伊藤元重さん(元東大教授)です。私は今でも数学や宇宙などが好きなので、普段読む本はだいたい科学の分野が多いのですが、これはたぶん若い頃の夢を簡単に諦めたコンプレックスから来ていると思います。
本題に戻りますが、宇沢先生はアメリカのスタンフォード大学やシカゴ大学で理論経済学者として有名な方でした。1968年に東大の助教授として日本に帰国後、宇沢先生は水質汚染など深刻な公害が起こっていることを知ります。公害を経済学の中に位置づけようと、公害の実態を調べていた東大助手の宇井純さんと組んで熊本の水俣病の現場にも行っておられます。
私が住友化学に入った1974年は、まさに公害が社会問題になり始めた時期でした。化学メーカーを選んだのは、社名に「化学」という学問の名前が付いている産業だからです。化学プロセスで新しい材料、新しい価値を作ることができる点もおもしろいと思いました。化学に魅力を感じて入ったのですが、オイルショックも起こり、正直、大変な会社に入ったと思いました。
しかしそのうち、「私たちの使命は、化学の技術やイノベーションで公害などの社会課題を解決することだ」という意識を持つようになりました。それは、住友化学の成り立ちから学んだのかも知れません。
住友グループの祖業は、愛媛の別子銅山から銅鉱石を掘り出して銅を製錬することでした。製錬の際、亜硫酸ガスを含む煙が出て、今で言う公害が発生しました。
これを何とか解決しようと、第二代総理事の伊庭貞剛翁が売上高以上の費用を投じて製錬場を沖合の四阪(しさか)島に移しましたが、風向きの影響で逆に煙害がひどくなってしまいました。そこで、煙から亜硫酸ガスを回収して硫酸にし、肥料を作ることになり、その事業が住友肥料製造所、つまり今の住友化学の発祥です。公害を解決すると同時に肥料を製造し食料増産に役立てるという、今で言えばCSV(クリエイティング・シェアド・バリュー、共有価値の創造)です。
こういういきさつもあり、住友化学では、社会貢献とか企業の存在意義などを当たり前のように教えられます。入社当時の私には、そんな高邁な考えはありませんでしたが。社長になると、住友グループの社長会「白水会」があり、そこで「住友の事業精神」を改めて認識します。「住友の事業精神」は一言で言うと、「自利利他 公私一如」、すなわち「住友の事業は、住友自身を利するとともに、国家を利し、かつ社会を利するものでなければならない」というものです。
企業グループの特徴として、「人の三井」「組織の三菱」に対して、「結束の住友」とよく言われます。結束というのは、私たちが帰る原点が常にこの「住友の事業精神」だからなのです。「浮利を追わず」「信用を重んじ」もそうですが、企業としての社会的存在意義を重んじるグループだと思います。