メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

わたしたちは何に根ざしているのか

今考えたい、これからの生き方・働き方

中川晃輔 求人サイト「日本仕事百貨」編集長

「日本仕事百貨」提供「日本仕事百貨」提供

 「生きるように働く」

 これは、筆者が運営に携わる求人サイト「日本仕事百貨」が掲げてきた言葉だ。人生の多くを占める「働く」時間と、そうでない時間。両者の割合を適切にコントロールするのが「ワークライフバランス」の考え方だとすれば、どちらも連続した“生きている時間”と捉えるのが「生きるように働く」という考え方。「ワークライフインテグレーション」や「ワークアズライフ」などの言葉で表される概念とも近いと思う。

 これまでわたしたちは、会社に出勤したり、それぞれの現場に出向いたりすることで、「暮らし」と「仕事」を意識的に分けていた。ところがコロナ禍によって、それが難しくなった。「リモートワークの導入が多くの企業で進んだ」と言えば、働く場所も時間も自由になったような、前向きな感じがする。けれども実際には、プライベートな「暮らし」の空間に「仕事」が食い込んできた、というほうが、多くの人の実感に近いように思える。

 歓迎されない形で、コロナ禍はやってきた。ただ、その外圧を受けたことで、潜在的な感覚や思考が露わになってきたという側面もある。

 人と出会って関わることや、自由に移動できることの価値。潜在化していた「暮らし」と「仕事」のズレや矛盾。本当は、こんなふうに働いていきたいという想い。当たり前に続いてきた日常がストップしてみて、あらためて顧みることがたくさんあった。結果として今、多くの人が自分の生き方や働き方を見つめ直すタイミングにあるんじゃないだろうか。

 どのような変化に対しても、人はいずれ適応していく。ワクチンが開発されるか、時間が経って慣れていくのか、なんなのか。何が契機で、どんな形に変わるかはわからないけれど、新しい日常のあり方を見いだし、そのなかで生きていくことになる。移動や交流の機会はなくならないだろうし、バーチャルな世界がより発展していくかもしれない。リモートワークが当たり前になって、これまで以上に“自由に”働く人が増えていくかもしれない。

 望むと望まざるとにかかわらず、世の中は変化していく。そのなかで「どうありたいか?」。今問われているのは、そういうことのような気がする。

安心して語れる場を

「日本仕事百貨」提供「日本仕事百貨」提供

 答えは必ずしも「生きるように働く」でなくてもいい。なぜ働くのか。誰と、どこで、何をしていたいか。「暮らし」と「仕事」が重なる今だからこそ、立ち上がる問いがあると思う。それら一つひとつに対して、自分なりの答えを出していく。その積み重ねが、先の見えない状況下での支えになる。

 なおかつそれを、頭のなかで自問自答せずに、アウトプットしたほうがいい。日本仕事百貨では、今年の6月に「今考えたい就活のこと」と題して、就活生対象のオンライン座談会を開催した。出口の見えない、長いトンネルのなかを進むような感覚は、就職活動のときに感じたそれとよく似ている。また、マイナビの調査によれば、今年は6月末までの時点で、内定者の4割以上がオンライン上の選考のみで内定を得ているそうだ(参考:朝日新聞デジタル「内定者の4割以上、オンライン選考だけで マイナビ発表」)。学生のリアルな声を聞いて、できれば力になりたい。そんな想いで参加者を募った。

 すると、30名×3回の参加枠が3日ほどで埋まってしまった。日本仕事百貨で新卒採用の求人情報を掲載することは少ないので、思わぬ反響に驚いた。

 座談会がはじまると、最初は毎回緊張感が漂った。けれども次第に、一人、また一人と、語りはじめる。気づけば予定の2時間を超え、夜深くまで話し込んでもまだまだ尽きなかった。そしていつも、Zoomの画面を切る直前まで名残惜しそうにしている人が必ずいて、もうひと語りするのが恒例になっていった。

 みんな語りたいんだ、と気づいた。それは就活生に限った話ではない。新型コロナウィルスに関する情報は、常に正誤の判断を迫られる。もちろん、正しい情報にもとづいて行動し、誤った情報は広めないことが大事なのだけど、それゆえうかつにアウトプットできない空気感もあるような気がする。

 やっかいなのは、このウィルス感染症がさまざまな分野に影響を与えていることだ。「コロナ禍」を踏まえて語ろうとすると、つい正しいか否かの話になるか、先の見えなさから迷宮入りしてしまいやすくなる。就活をはじめ、「これからどう働いて生きていこうか?」という問いに対して、本当は正解も不正解もないはずなのに。

 わたしたちはきっと、安心して語れる場を求めている。目先の対策や、つかみどころのない未来像についてではなく、自分の本音について。この機会に自分の「暮らし」や「仕事」を棚卸して、再構築したいと願っている人、じつは結構いるんじゃないだろうか。

自分の根っこを育てる

「日本仕事百貨」提供「日本仕事百貨」提供

 ある珈琲店のマスターから、「この6、7月の売り上げが前年に比べて上がっている」という話を聞いた。周辺に住宅が多く、息抜きに利用する在宅勤務の人が増えたことや、オンライン展開がうまくいっていることなど、さまざまな要因が重なった結果だろうという。

 そのなかでも、「座席の配置はほとんど変えていない」という話が印象に残った。以前から居心地のいい距離感を考えていたら、自然とソーシャルディスタンスの確保につながっていたそうだ。

 “密な”距離感に個性や価値を見出してきたお店を否定するつもりはまったくない。綺麗事だけでは、商売は成り立たない。それでもわたしは、あの珈琲店のマスターがコロナ禍の前後で変わらず追い求めてきたことが、この状況下でも価値を生んでいるという点に、なんだか希望を感じた。

 何のための仕事か。誰の喜びにつながっているのか。自分や会社の本質的な価値について、明確な解は出なくても、問い続けている。そんな人たちは、逆境にも強い。

 日本仕事百貨は求人サイトだが、給与や福利厚生、勤務地といった「条件」で絞り込む機能がない。その代わり、全国津々浦々の職場に足を運び、その地で働く人の想いや会社のストーリーを直接聞いて、4,000字ほどの文章と写真で紹介している。

 たくさんの出会いを重ねるなかで、人も会社も「木のようなもの」だと感じるようになった。表向きの肩書があり、働く場としての条件があり、今こんな事業を展開している。それらは枝葉だ。そしてストーリーを紐解くと、この会社は、自分は、こういうものですという幹もあることがわかってくる。ここまででも、ある程度のことは理解できる。

 でもじつは、その下には根っこが広がっている。その人は、その会社は、何に根ざしているのか。これこそが、先ほどの話でいうところの「本質」であり、わたしたちが日本仕事百貨を通じて伝えたいと思い続けてきたものだ。さらに言うならば、木の周りに広がる景観や大地は「暮らし」や「生活」にあたる。それらすべてが、その人や会社を形づくっている。

 コロナ禍という風が強く吹いたことで、枝葉が落ち、幹からぽっきり折れてしまった人もいるかもしれない。ただ、根っこさえ残っていれば、きっとまたいつか幹を伸ばし、枝葉を茂らせることもできる。普段は地面の下に隠れているけれど、今だから気付けることもあるはずだ。

 より深く、広く。自分たちの足元に目を向けて、根っこを育てるような時間が今必要なんじゃないかと思う。