「アベノミクス」7年8カ月を総決算する
2020年08月28日
国政選挙6連勝で政界「1強」の地位を確固たるものにしていた安倍晋三首相が、連続在職日数でも佐藤栄作元首相を抜いて歴代最長政権となった。ただ同時に本人の体調不安が明らかになり、政権の寿命は時間の問題との見方も急浮上している。次期政権のあり方を考えるうえでも、安倍政権のこれまでの政策をここでいちど総括しておく必要がありそうだ。
政治ウォッチャーたちのなかには、長期政権が果たした安定や外交力を高く評価する声がある。その評価が妥当かどうかについても議論の余地があると思うが、私は政権の「功」の評価以前に、それをはるかに上回る「罪」について論じておく必要があると考えている。
なぜならこの政権が長期政権を維持するために、国家の未来や国民の将来財産を食い物にしてきたと思うからだ。
ここでは、安倍政権が政治資源を生み出す最大の原動力だった「アベノミクス」の罪について論じたい。
安倍政権のレガシー(政治的遺産)とは何だったのか。
数年前なら、多くの人がいくつかの政策の名をあげていたかもしれない。女性活躍、観光立国、地方創生、働き方改革……。だがコロナ・ショックと、政権のお粗末な対応ぶりを見たいまとなっては、冷静に評価すれば、それらでさえ大した実績をあげているわけではないと多くの人が感じていることだろう。
安倍政権について鋭く分析を続けてきた御厨貴・東大名誉教授は最近こう言っている。
「(政策の)個々の中身よりは、(政権が長く)続いたってことにレガシーがある」(朝日新聞8月24日)
私もその見立てに賛同したい。この政権のエネルギーはすべて「政権延命」に注がれてきたと思うからだ。
安倍首相に政治生命を賭してもやりたい政策など、おそらく一つもないのではないか。
第1次政権(2006~07年)を途中で放り出すことになったあの挫折の悔しさがバネとなり、こんどこそは少しでも長く権力の座に居座ろうと考えてきたのではないか。
そうでなければ、毎年、新しい「1丁目1番地の政策」を掲げては使い捨てていくことなど、ふつうの政権ではありえない。
第2次安倍政権以降は、ざっと下記の表のような「看板政策」的キャッチフレーズが打ち出されてきた。その多くはいつしか首相自身も話題にしなくなったし、国民からも忘れ去られる存在となっていった。
安倍政権が消費し続けた看板政策
2012年 アベノミクス「3本の矢」(異次元金融緩和、機動的財政運営、成長戦略)
2013年 待機児童ゼロ
2014年 女性活躍 地方創生
2015年 アベノミクス「新3本の矢」(GDP600兆円、出生率1.8、介護離職ゼロ) 1億総活躍社会
2016年 働き方改革 観光立国(訪日外国人2020年4000万人、2030年6000万人)
2017年 人づくり革命 全世代型社会保障
2018年 戦後日本外交の総決算
御厨氏は「安倍政権は『やった感』より『やってる感』を重視する」と言う。見事にこの政権の本質をついた分析だと思う。
ふつうの政権は政策を最後まで完遂させることによって国民の評価を仰ごうとする。しかし安倍政権はそうではなく、常に「いま目標めがけて努力しています」と国民にアピールすることに重きを置く。「やってる感」のほうが大切だというのだ。
目標に向かっている途上であれば、その成否も実績も問われない。それでいて国民のために一所懸命に働いている雰囲気だけはアピールできる。そう考えると、安倍政権がとっかえひっかえ新しいテーマを繰り出してきた狙いも理解できる。
そうやって実現してきた政権の長期化には重大な問題がある。
1億総活躍とか、働き方改革、女性活躍のように、一つ一つの目標には、実現できるならしたほうが望ましいテーマも少なくない。とはいえ、政権に本気で目標を完遂させようという気がなく、一時的な人気取りのためだけにテーマを消費し続けるのなら、やはりマイナスのほうが大きい。成果が出るはずはないから結局、国民の期待を裏切り、政策目標への信頼を損なうことになる。国民のあいだに政治不信を増幅する弊害が大きいのだ。
そして、もっと害が大きいのは、政策目標そのものがまちがっているケースだ。私は「アベノミクス」がそれに該当すると考えている。
長期政権のあいだに乱発された看板政策は、何でもかんでも「アベノミクス」にくくられてしまうことも多い。ほとんどは安倍政権以前から課題として掲げられ引き継がれているものばかり。実は目新しさはそれほどない。
何がこの政権ならではのオリジナルかといえば、最初の「アベノミクス3本の矢」の1、2本目、つまり異次元緩和と財政出動の組み合わせである。
具体的には、政権が指名した黒田東彦総裁のもと、日本銀行に異次元の超金融緩和をやらせる。その一環として日銀に大量の国債を買ってもらう。これによって政府が借金を重ねても予算を膨張させても、国債価格が下落することを防ぐことができる(本質的にはどうなるかわからないのだが)。そうなると政府は安心して借金を重ねられるし、国民負担増や歳出削減のような不人気政策を採用しなくても何となくやっていける。
政府と日銀が協調して政策行動をとることを「ポリシー・ミックス」(財政政策と金融政策を組み合わせてより大きな政策効果を発揮し、目的を実現させること)と呼ぶことがある。政府や日銀はそう言って現行政策を自賛している。
だが、それはあまりに粉飾された表現だ。何のことはない。政府・日銀がやっていることは「財政ファイナンス」(日銀が紙幣を刷って財政を支えること)とか、「マネタイゼーション」(国債の貨幣化)と呼ばれる、先進国では「禁じ手」とされてきたやり方なのだ。
この手を使えば、政権は「魔法の杖」や「打ち出の小づち」を手に入れたかのごとく自由自在に財源が生み出せる。しかも増税や歳出カットのような不人気策をとらなくてすむのだ。
世の中は実際にはそんなに甘くはない。古今東西、財政ファイナンスを実施した国家はみな財政破綻やハイパーインフレという悲惨な帰結を迎えている。安倍政権はそんな危なっかしい手法を採用してみずからの政治的なエネルギーを蓄え、政権を延命してきた。
これはいわば、「国民生活の未来」を犠牲にして長期政権を実現してきたようなものである。
以上のようなアベノミクスの危険性を指摘すると、アベノミクス支持者たちは「アベノミクスがデフレから日本経済を救ってくれなければ、経済はもっと悪くなっていた」と反論してくる。「アベノミスク=財政ファイナンス」は本当に日本経済を救ってくれたのだろうか。
この問いに対する答えは、ごく限定的には「イエス」だが、全体としては「ノー」だ。
アベノミクスが経済界から「成功」ともてはやされてきたのは、安倍政権発足後の2012年末以降に、経済界の大勢が歓迎する円安・株高が進んだことが大きい。とりわけ輸出企業や海外事業の大きなグローバル企業にとっては、業績に与える円安のプラス効果が絶大だったからだ。
ただそこにも数字のマジックはある。企業業績も株価もドル換算してみれば、それほど好転していたわけではなかったのだ。
円安のもとでは、円換算したとたん、収益も株価も大きくなったように見える。日本の経営者たちにとってはそのほうが都合がよい。日本人株主や社員、取引銀行などに好業績をあげているところを見せれば、経営者の立場は守られる。円安・株高は多くの企業で業績が好転したように見せられ、歓迎されたので、「アベノミクス成功」を演出できたのである。
その点では株高も効いた。株価を押し上げたアベノミクス政策は他にもあった。日銀がETF(株価指数連動の上場投資信託)を大量に買い上げて株式市場そのもので買い支えをしたのだ。もちろん、長期金利をゼロ金利に抑え込む金融政策によって、投資家たちが安いコストで資金を手に入れたことも大きい。その多くが資産市場への投資に振り向けられたからだ。
こうしてみると、この間の株高は金融政策によって作られたものだったと言える。裏を返せば「株高=実体経済が良好」という〝常識〟は必ずしも当てはまらないのだ。マネーが大量に流入してきたために株式市場に人工的バブルが起きているだけで、株式市場が果たしてきた「経済の体温計」の役割はすっかり失われている。
では、「円安」そのものは本当にアベノミクスによってもたらされたのか。それも違う。
2012年に1ドル=70~80円台の円高だったところから、100円を上回る円安に転換したのは、時期的にも、マネーの世界的な動きから見ても、他に大きな要因としてあげられるものがある。米欧経済の急回復だ。それが「ドル高」と「ユーロ高」をもたらし、その反作用としての「円安」が起きた、というのが実態ではないか。
他の円安要因もある。そのころ福島第一原発事故の影響で国内のすべての原子力発電所が停止していた。電力不足を補うため、国内にある火力発電所をフル稼働しなければならず、液化天然ガスの輸入が急増した。これで輸入金額が大きく膨らみ、日本の貿易収支は黒字基調から赤字に転換した。これもまた円相場を弱含みにする大きな要因となった。
一方、雇用環境の好転をアベノミクスの功績だと主張する声もある。これも人口構造の要因を無視した見方だ。
日本の生産年齢人口は2020年までの10年間に700万人超も減少している。つまり日本全体で働き手が慢性的に不足する時代を人口構造の面から迎えていたのだ。だから失業率が低下し、有効求人倍率が上昇していったのは当たり前。安倍政権だろうとなかろうと、雇用好転は変わらなかっただろう。
こうして一つずつ分析してみると、この7年余りは世界経済や人口動態の動きのなかで日本経済はきわめて良好な環境を迎えていた。そのタイミングでたまたま誕生した安倍政権が、運良くその恩恵に預かった、ということなのである。
ならば本来なら、余計なマクロ経済政策を打つ必要などなかった。むしろ過剰な金融緩和、過剰な財政出動によって失ったもの、悪化したものがあった。いくつかの指標がそれを物語っている。
顕著なのが「実質経済成長率」だ。民主党政権(2009~12年)と安倍政権(2012~19年)の年率平均を比べると、1.8%から1.0%に落ちている。民主党政権時代のほうが経済は良好だったのだ。一般的なイメージと異なるのは、「アベノミクスは成功」と連呼し続けてきた安倍首相の印象操作の影響があるのだろう。
国民1人当たりの豊かさを示す「1人当たり名目国内総生産(GDP)」でも、民主党政権の最後の2012年には4万8600ドルだったが、安倍政権下の2018年には3万9300ドルまで減っている。世界ランキングでも2012年に15位だったが、2018年には26位まで下げている。1990年代にはトップクラスだったこともあるこのランキングの不振は、アベノミクスのもとで日本がもはや世界有数の「豊かな国」とは言えなくなっている現実を私たちにつきつけている。
円安・株高で企業経営者や投資家たちは喜んだかもしれない。ただ、円安がもたらした輸入物価の上昇によって、大多数の日本国民は相対的に貧しくなった、というのが実態なのである。
安倍政権のもとでこんな変化が……
■株価は上昇(日経平均株価)
1万円(2012年末) → 2万3000円(2019年末)
■成長率はむしろ鈍化(実質経済成長率・期間中の年率平均)
1.8%(民主党政権)→ 1.0%(安倍政権)
■国民は貧しく(1人当たりGDPと世界ランキング)
4万8600ドル(2012年、15位)→ 3万9300ドル(2018年、26位)
この7年8カ月の間、株価や地価が上がって資産家は潤った。見かけ上の好決算のおかげで、経営者たちも気分良く経営が続けられたのかもしれない。
しかし、大多数の国民の生活は相対的に割を食った。円安ドル高による輸入価格の上昇で、家計が影響を受けたからだ。
しかも、アベノミクスのコスト、負の影響はあまりに大きかった。最たるものが財政悪化である。
財政の健全度指数(政府債務の対GDP比)で日本は230%超の高水準にあり、そのランキングは世界188カ国中、188位。最下位という不名誉な状態にある。近い将来これを改善し、持続可能な財政を取り戻すことはほとんど不可能なレベルまで悪化してしまった。
安倍政権のもとでも、いちおうは財政健全化目標を掲げてはいる。2025年にプライマリー・バランス(PB=基礎的財政収支)を黒字化する、という目標だ。目標年次そのものも先送りしてきたのだが、現在の目標達成ももはや絶望的とみられている。
安倍政権は結果的に消費増税を7年8カ月の間に2回実施した。一見すると財政健全化に熱心な政権のようだが、実態は違う。民主党政権時代に与野党3党で合意した消費増税スケジュールを2回も延期し、むしろ後ズレさせてきたのが安倍政権だった。本音では消費増税をやりたくない安倍首相が渋々、増税をしてきたのだ。
しかも、この「PB目標」というのは、米欧先進国が基準としている通常の財政収支目標より甘い基準だ。借金返済と金利払いを棚上げして計算する方式なので、たとえPBで黒字になっても、それ以外に巨額の借金の元利返済分が生み出す赤字が存在している。
目標のハードルを下げ、達成時期の先送りを繰り返し、それでも実現できそうもない、という状態を安倍政権の7年8カ月でつくってしまった。
そのツケを支払わされるのは将来世代である。財政が行き詰まれば、増税か、歳出カットによる行政サービスの劣化が避けられないからだ。
そのときにあいかわらず日銀が財政ファイナンスを続けているようなら、こんどは円暴落のリスクが高まる。円が暴落すれば、輸入価格が急上昇して、いずれにしても国民生活は窮乏状態に陥る。そんな悲惨なシナリオが子や孫の世代で現実になる可能性を高めている。
いや将来世代だけではない。長寿時代を迎えたいま、私たち自身がその悲惨なシナリオに直撃されるリスクだってかなりある。
そういう国民生活のリスク膨張と引き換えに、この政権は政治資源を蓄えてきた。いわば将来世代の富を食い物にして、政権延命のエネルギーに替えてきたのだ。
それが7年8カ月という歴代最長政権を生み出した「アベノミクスの真実」ではないだろうか。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください