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コロナ禍と米中対立で高まる「経済安全保障リスク」

ワクチンや治療薬の開発力が米中欧に引き離された日本の取るべき道

荒井寿光 知財評論家、元特許庁長官

日本が直面する5つの経済安全保障リスク

 世界のコロナ感染者数は7300万人を超え、世界人口76億人の1%に達しているが、なお感染が拡大しており収束の見込みが立っていない。1918年のスペイン風邪以来のパンデミック(世界的大流行)だ。世界経済にも大きな打撃を与え、10月発表のIMF見通しによれば2020年は△4.4%のマイナス成長だ。

 経済安全保障は、外国の政府や企業の政策・戦略や自然災害、疫病などから自国の経済と国民の生活を守ることだ。その対象や手段は時代とともに広がっている。

 日本でも2017年に自民党に「ルール形成戦略議員連盟」が設置され、2020年4月には内閣の国家安全保障局に経済班が設置され、外国からの投資をチェックするための改正外為法(外国為替及び外国貿易法)が5月から施行されるなど、経済安全保障意識が高まりつつある。

 しかし、コロナ禍により世界各国の力関係や経済システムは大きく変わり、次のように経済安全保障リスクは予想以上に高まっている。

第1 自由貿易やグローバリズムが働かないリスク

 中国は「世界の工場」と言われているが、コロナが発生した武漢市の封鎖などにより、中国からの工業製品や部品、医療物資などの供給が止まり、世界中で物資不足が生じたり、工場の生産が止まったりして大混乱した。1990年代から進められてきたグローバルサプライチェーンの弱点が明らかになった。

 このため、国内の物資確保のため、約80ヶ国で医療物資や農産物の輸出制限が行われた。各国は生産の国内回帰や中国以外の第3国への生産拠点の移転を進めている。

 さらに、世界中が歴史上例を見ない「鎖国状態」になっている。4月時点では世界の217ヶ国・地域で出入国や旅行制限が行われた。モノ、資本に続いて人の移動が進められ、2019年の国際観光客数は14.8億人にのぼり、経済規模は世界のGDPの10.4%に相当すると推計されており、世界の観光産業は主要産業の一つになっているが、国際観光はほぼ止まっている。

 従来、自由経済・自由貿易、グローバリズムは万能で、市場メカニズムと民間企業の経営判断に任せれば世界経済は発展すると考えられてきた。

 しかし自由貿易・グローバリズムだけでは不十分であり、国家が市場メカニズムを補完しなければ経済安全保障が確保されないことが明らかになった。

第2 米国の指導力が低下するリスク

 米国は世界で一番医学が進んでいるにもかかわらず、感染防止に失敗しコロナの感染者数は1600万人を超え世界一の感染大国になった。

 経済的にも2020年は△4.3%のマイナス成長の見通しだ。日本経済研究センターは12月10日、コロナ対応の違いにより、中国のGDPは2028年にも米国を抜き世界1の経済大国になり、米国は2位に転落するとの見通しを発表した。

 トランプ大統領が進めてきた中国経済とのデカップリング(引き離し)は、米国議会の超党派の意向を反映したものであり、バイデン大統領になっても変わらないと見られている。

 現在の国際経済システムは米国が盟主としてリードすることを前提にしている。日本もそれを前提に国際経済に参加している。しかし、米国はアメリカ第一主義を進め、気候変動に関するパリ協定から脱退し、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)への不参加を決め、WHO(世界保健機関)からの脱退を宣言し、WTO(世界貿易機関)の機能を止め、国際経済の盟主であることを放棄している。

 米国は人権と民主主義と言う価値観を共有しようと呼びかけることにより世界政治をリードしてきた。しかし米国では人種問題による暴動が発生し、民主主義のコアである選挙の結果をトランプ大統領が受け入れないなど、米国の価値観が世界から信頼されなくなっている。

ホワイトハウス周辺で抗議デモに集まった人たち=2020年6月6日、ワシントン

 米国には国際連盟への不参加やモンロー主義の歴史があり、国内重視の姿勢が続く可能性がある。

 このように、経済面でも政治面でも米国の信頼感は低下している。米国が国際経済の盟主でなくなることは、経済安全保障上のリスクだ。

第3 勃興する中国のリスク

 中国でコロナが発生したが、大量の軍隊を動員するなどして、1月から4月にかけて武漢市を含む湖北省を完全に封鎖し、コロナの制圧に成功した。感染者数は約9万人で、米国の約1600万人に比べて極めて少なく、日本の約18万人よりも少ない。

 コロナが収束するや、中国政府は企業に操業の再開を呼びかけ経済の回復に成功し、中国経済回復の恩恵を受けている外国企業も多い。2020年のGDPは+1.9%と世界で唯一プラス成長を実現すると見込まれ、中国は世界経済の牽引車として影響力を高めている。

 コロナ対策として健康アプリを始めスマホ、監視カメラ、ドローン、顔認証、通信システムなどデジタル技術を総動員して世界で最も大きな成果を上げた。これにより中国のデジタル革命は飛躍的に進んだ。

 ワクチンの開発にも成功しつつある。

 科学技術分野でも日本やヨーロッパを抜き、米国と並んで世界のリーダーとなっている。文部科学省科学技術・学術政策研究所調べでは、自然科学の論文数(2016~18年平均)は、中国が30.6万本で1位となり、2位米国の28.1万本を上回った。(日本は4位で、6.5万件)。また2019年の国際特許出願件数(PCT)は1位中国5.9万件、2位米国5.8万件、3位日本5.3万件となり、国際知財戦略を急速に進めている。

中国建国70周年の祝賀式典の冒頭、あいさつする習近平国家主席の姿が映し出された=2019年10月1日、北京

 このように中国は世界のリーダーになりつつあるが、中国には次のリスクがある。

① 秘密主義
 外国には中国の政策の内容や運用が分からないことが多い。
② 一帯一路の進展
 中国主導のブロック経済が出来上がる恐れ。
③ 強圧的な外交
 歴史的に全ての大国は強圧的であるが、中国も外国に強圧的になっていて、戦狼(せんろう)外交と言われる好戦的な外交を始めている。例えば、4月豪州のモリソン首相が中国に対し、コロナに関する国際調査を求める発言をしたところ、中国は豪州産の食肉、大麦、石炭、綿花、ワインなどを対象に輸入停止、関税引上げ等の報復措置を講じている。中国は10月に輸出管理法を制定したので、外国の政府や企業に中国と米国の選択を迫る可能性がある。

第4 医療が戦略物資化するリスク

 コロナの発生により、世界中でマスクなどの医療物資が不足し、国際的に取り合いが行われた。

 多くの国で医療物資、医薬品、医療機器などを外国に依存していることが明らかになり、国内生産の重要性が認識された。そのため、ワクチンや治療薬の国家間の開発競争が加速している。

 各国政府にとって国民の生命や健康を守ることが最大の任務であり、医療物資、医薬品、医療機器などの確保に力を入れている。このため、医療は戦略物資となっており、次のリスクが生じている。

① ワクチン、治療薬など新薬の開発が特定国に集中するリスク
② マスクなど医療物資の生産が特定国に集中するリスク
③ マスク外交、ワクチン外交など医療外交が行われるリスク

第5 デジタル革命により国家間の格差が拡大するリスク

 コロナ禍により、在宅勤務やテレワークが進められ、ZOOM会議などの米国の会議システムが世界中で普及した。これにより、デジタル分野の米国への依存がさらに高まった。

 一方、中国は健康アプリ、監視カメラ、顔認識、ドローン、通信システムなどを統合運用し、米国のGPS衛星に対抗する衛星測位システム「北斗」は世界をカバーする55基体制を完成した。これによりデジタル分野でも中国は米国と並び世界一のレベルになった。

 コロナ禍に対処するデジタル技術開発は世界中で進められたが、米中の発展は飛び抜けている。

 この結果、次のリスクが生じている。

① デジタル分野が米中に独占され世界が分割されるリスク
 8月米国ポンペイオ国務長官が発表したクリーンネットワーク構想は同盟国に中国企業の排除を呼び掛けている。
② 米国や中国から”デジタル制裁”を受けるリスク
 今や社会はコンピュータシステムの上に成り立っており、米国や中国から通信衛星や位置衛星の利用を止められれば、経済のみならず、社会、国家機能が止まる。米国や中国の意向に反すれば、”デジタル制裁”を受ける可能性が生じている。
③ サイバー攻撃が拡大するリスク
 急速なテレワークや会議システムの導入により、セキュリテイ対策が追いつかず、サイバー攻撃のリスクが高まっている。

日本を取り巻く国際政治環境の長期見通し

 経済安全保障は軍事安全保障と裏腹の関係にある。

 中国は建国100年にあたる2049年までに「中華民族の復興」をすると言う長期国家目標を立てており、今後30年間の間には日本を取り巻く国際政治環境は大きく変化することが予想される。

 米中関係については、米国は世界覇権を維持しようとし、中国は米国に代わって世界覇権を握るために全力を挙げると見られるので、①米国が覇権を維持するケース、②中国が覇権を握るケース、③米中の覇権争いが続くケースが考えられる。

 日米関係については、①現在の日米同盟が維持されるケース、②米国が日米同盟を維持しないケースが考えられる。日本は日米同盟の維持を希望しているが、トランプ大統領は、「自分の国は自分で守れ」と言っている。宇宙戦やサイバー戦の比重が高まるにつれ、米国から見て日本の戦略的重要性が低くなる場合には、米国が日米同盟を維持しないことも理論的な可能性としてはありうる。その場合には日本が独力で中国に対峙することになる。

 日中関係については、①現在の関係が維持されるケース、②現在より関係が改善するケース、③現在より関係が悪化するケースが考えられる。尖閣諸島を巡る争い、経済や技術の競争などにより決まる。

経済安全保障強化のための当面の対策

 日本は、このような国際政治環境の変化について、あらゆるシナリオを想定し、好ましくない事態にも対応できるように経済安全保障を強化することが必要だ。

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