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「半沢頭取」誕生で考える銀行の現在地

ポストコロナ2021――技術革新とゼロ金利に苦しむ「冬の時代」を乗り越えられるか

原真人 朝日新聞 編集委員

金屛風を背に君臨する銀行トップ

 作品そのもののエンターテインメントの力によるものが大きいのはもちろんだ。ただ、その舞台が銀行だったこともかなり大事な要因だったのではないだろうか。陰謀や裏切りが横行するストーリーも、他の業界でなく、銀行だからこそ、読者や視聴者が「十分ありうる話だ」とリアルに感じたのではなかろうか。

 たしかにこれほど特別な地位を占めてきた業界は他にない。政官財界にきめ細かく情報網を張り巡らし、ときには政府の重要政策に、ときには取引先企業による合併・買収や巨大プロジェクトに重大な影響力を及ぼす。長らく経済分野を取材してきた私のような記者にとって、銀行は欠かせない取材対象だった。

 銀行の存在感がそれほど大きかった最大の理由は、戦後長らく資金不足の時代が続いたことだろう。高度成長期からバブル経済期まで、日本ではずっと企業の投資意欲が強く、人々の消費は旺盛だった。企業にも家計にもお金の需要はあるのに、その欲求を満たすだけの資金が不足していた。そこにどうお金を付けるのかは、貸す側の銀行の胸三寸にかかっていた。銀行は、融資先企業の生殺与奪の権利をにぎる強大な権力だったのだ。

 財界の要職も務めた、ある有力メーカーの元会長は企業と銀行との関係について、振り返りつつ、次のように解説する。

 「新年の仕事始めには、各企業のトップが東京・大手町や丸の内の大手銀行本店に新年のご挨拶に参上するのが恒例行事だった。来訪者で大混雑のなかを赤じゅうたんの上を歩いて進むと、金屏風を背にした頭取たちが待っており、彼らに丁重にご挨拶をするのが慣例になっていた。毎年、それを繰り返しながら、何かおかしいなと内心思っていた」

 「銀行は財界でも特殊な地位を占めていた。『財界総理』の異名をとった土光敏夫や稲山嘉宏、平岩外四らが会長だった絶頂期の経団連においても、金融問題は治外法権だった。金融にかかわることは議題にすることさえなく、全国銀行協会の専権事項だった」

拡大全国銀行協会連合会(全銀協)と経済団体連合会(経団連)の首脳部懇談会。挨拶に立つのは柳満珠雄・全銀協会長(三井銀行社長)=1962年2月20日、東京都千代田区の帝国ホテル

 経団連に「金融制度委員会」がようやく設立されたのは、1990年代後半に金融危機を経て、銀行の経営問題が表面化し、公的資金の注入を始めたあとだった。

 しかも長らく銀行の給料は他業種より格段に高く、大手行の就職人気ランキングは常に上位を占めていた。銀行はシステム投資が盛んになると、大卒理系の優秀な人材までさらっていくようになり、人材を奪われた電機や自動車、化学など製造業の幹部たちから恨み節をよく聞いた。

 その銀行の力が急速に低下している。

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筆者

原真人

原真人(はら・まこと) 朝日新聞 編集委員

1988年に朝日新聞社に入社。経済部デスク、論説委員、書評委員、朝刊の当番編集長などを経て、現在は経済分野を担当する編集委員。コラム「多事奏論」を執筆中。著書に『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)、『日本「一発屋」論 バブル・成長信仰・アベノミクス』(朝日新書)、『経済ニュースの裏読み深読み』(朝日新聞出版)。共著に『失われた〈20年〉』(岩波書店)、「不安大国ニッポン」(朝日新聞出版)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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