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英国のTPP参加の好機を逃すな~中国の「安易な加入」を防ぐために

加盟国がドミノのように拡大していくTPPの未来

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

 イギリスがTPP11への加盟を正式に申請した。なぜ、ヨーロッパの国であるイギリスが太平洋地域のTPP11(正式名称は「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定」)に参加するのだろうかと思われた人も多いと思われる。本稿では、イギリスのTPP11への参加が持つ意味について検討したい。

ブレグジットと日英自由貿易協定

 まず、イギリスにはどのような意味があるのだろうか?

 イギリスは2020年1月ブレグジットを達成し、移行期間が終了する2020年末、EUとの間で自由貿易協定を締結した。イギリスにとってブレグジットの大義は主権の回復だった。EUから独立して他の国や地域と通商交渉を行うことは主権回復の大きな柱と位置付けられていた。

Harvepino/Shutterstock.com

 日本との自由貿易協定締結は、その一歩だった。日本にとっては、ブレグジットでイギリスがEUから抜けるので、ブレグジットの移行期間終了後の2021年1月以降、日EU自由貿易協定を使って日本車などをイギリス市場に関税なし(一定期間は削減された関税率)で輸出することはできなくなる。イギリスにとっては、日本と自由貿易協定を締結すれば、イギリス市場では日本車には関税がかからなくなるのにEU車には10%の関税が課されEU車のイギリス市場への輸出が困難となるので、EUに対し自由貿易協定を締結するよう圧力をかけることができる。

 このように、EUとの関係で、日英の自由貿易協定は両国にとって大きな意味を持つものだった。通常自由貿易協定の交渉には数年かかるのに、日英自由貿易協定交渉は2020年6月開始、10月妥結・署名というスピード交渉だった。イギリスが日本と自由貿易協定を持つEUの加盟国だったことを考慮しても、異例の短期合意だった。

思い付きではないTPP加盟申請

 その次に、イギリスが関心を示したのがTPPだった。

 私は、トランプが勝利した2016年11月の大統領選前の2016年9月、論座『愚かなアメリカが沈めるTPP』で、アメリカ抜きの新TPP協定を妥結すべきであり、EUから離脱するイギリスにも新TPPに加入するよう声をかけるべきだと主張した。TPP拡大によりTPPから脱退しようとしているアメリカにTPPへの関心を取り戻そうと考えたからである。この記事は安倍政権の中心にいた人たちにもよく読まれ、紆余曲折はあったが、翌2017年5月のTPP11交渉開始、2018年1月の協定妥結につながった。

 私は、メイ首相がEUに離脱通知を行った2017年3月28日、まさにその日に、在日英国大使公邸に招かれ、TPPについて同じような意見を述べた。後から振り返って考えると、この直前頃、TPP11に反対していた安倍政権が方針転換を行い、それを察してイギリスはブレグジット後を見据えてTPPに関心を持ち出したのではないかと思われる。

 その後、イギリス本国から通商関係の責任者が数回来日した際にも同国大使公邸で、かれらと意見交換を行ったが、イギリス政府は、まずは日本との自由貿易協定、次にはTPP11 への参加を考えていることが、わかるようになった。今回のTPP加盟申請は急に思いついたものではない。

 この時、イギリスの交渉団のリーダーがWTOへの元ニュージーランド大使だったことには驚いた。意外なところで旧交を温めることになったが、彼はイギリスとニュージーランドの二重国籍を持っているので、英国国際貿易省の首席貿易交渉顧問に任命されていたのだ。これまで通商交渉はEUに任せてきたので、離脱後のイギリスの交渉能力を危ぶむ見方もあるが、かれはWTO農業交渉議長も務めた人なので、イギリスの交渉団をうまく率いていくだろう。

英米自由貿易協定交渉の困難さ

 ブレグジットは主権回復という大義は一応達成したが、イギリスにとって貿易額の5割を占めるEUとの貿易には大きな障害が残るものとなった。それだけではなく、2割を占めるアメリカとの自由貿易協定交渉も難航することが予想される。

 トランプ政権下では、アメリカとの交渉はほとんど進まなかった。バイデン政権になっても、バイデン大統領が「労働者や教育などへの国内投資を拡大するまで、新たな貿易協定を結ばない」としており、日英自由貿易協定のように早期に妥結することは考えられない。また、イギリスにとってアメリカは重要な通商相手であるが、逆は必ずしも真ではない。

 さらに困難な問題がある。アメリカとEUは、長年塩素消毒したアメリカ産の鶏肉の輸入を認めるかどうかで対立してきた。英米の自由貿易協定交渉では、アメリカは必ずこの問題を解決するよう、イギリス政府に要求するだろう。しかし、イギリス国内でも、このような鶏肉に対しては、消費者の反発がある。EUとの関係でも問題がある。イギリスを通じてアメリカ産鶏肉が流入することをEUは懸念するだろう。EUがイギリスに対する検疫体制を強化すると、さらに物流の停滞を招きかねない。

 この経済的に小さな問題が、なぜ通商交渉の障害になるのか、疑問に思われる人も多いだろう。しかし、経済的に小さくても政治的には大きな問題となる。これまでの日本の通商交渉で常に問題となったのはGDPの1%程度の農業だった。ブレグジットの自由貿易協定交渉で最後まで残ったのは、イギリス水域での漁業問題だった。日英の自由貿易協定交渉でも、イギリス産ブルーチーズの扱いが最終決着に持ち越された。

 アメリカとの交渉はなかなか進まないだろう。その中で、イギリスにとって貿易額としてアメリカの半分にしか過ぎないものの、TPP参加によって成長する太平洋地域の諸国との貿易を促進することは、ブレグジットや新型コロナウイルスの蔓延で影響を受けるイギリス国民に明るい話題を提供できると、イギリス政府の担当者は考えているのだろう。

TPPを通じたアメリカ市場へのアクセス

 TPPはアメリカのオバマ政権が中国を取り込もうとした仕組みだった。

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