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「叩き上げ」はプラスかマイナスか~田中角栄と菅義偉

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

 叩き上げの総理として、多く人がまず思い浮かべるのは、おそらく田中角栄だろう。

 二田高等小学校(現在、柏崎市立二田小学校)を卒業しただけで高校や大学には行っていない。ただ、勉学には優れていたようで、ずっと級長をしていたという。高等小学校の卒業式では総代として答辞を読んでいる。旧制中学校への進学は、家の貧困と母の苦労から「気が進まなかった」という。

 田中は1954年には自由党副幹事長に就任、「吉田13人衆」と呼ばれる側近の一人と目されるようになっていく。1957年(昭和32年)には第一次岸内閣で郵政大臣に就任、戦後初めて30歳代で国務大臣に就任している。

拡大1974年、私邸で取材に応じる田中角栄首相

 田中角栄は1962年~65年の3年間大蔵大臣をしているが大蔵大臣当時、次官、局長クラスの部下たちにそれぞれ100万円ずつ配ったという噂があった。筆者は1965年に大蔵省に入省しているが、大蔵省の高官達は返すべきか、受け取るべきか大変悩んだという話を聞いたことがある。受け取らないと言えば、大臣に逆らう事になるし、受け取れば別に「収賄」ではないものの、それに近いものとして扱われる危険もない訳ではないというのだ。

 後にいわれる「田中金脈問題~田中の錬金術、信濃川河川敷買収による資産形成・建設省の工事によって地価が跳ね上がった~」で総理大臣を辞職するが、其の資金力で政界へのし上がったのは事実であろう。いずれにせよ、巧みに金を作り、それをばらまくことによって角栄が政界でのし上がったことは事実なのだ。

 1964年から72歳まで8年の長きに渡って総理大臣を務めた佐藤栄作はその後継者として福田赳夫を考えていたのだが、1972年7月の自民党総裁選挙では田中角栄が福田赳夫を破り、総理に就任した。しかし、前述したように田中内閣は「田中金脈問題」で、2年強で崩壊、首相在職通算日数は886日だった。そして、田中角栄はロッキード事件で逮捕されるが、その後も田中は確然たる実力を持ち続け、1982年に発足した中曽根内閣を全面的に支持、内閣は「田中曽根内閣」と称された。

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筆者

榊原英資

榊原英資(さかきばら・えいすけ) (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

1941年生まれ。東京大学経済学部卒、1965年に大蔵省に入省。ミシガン大学に留学し、経済学博士号取得。1994年に財政金融研究所所長、1995年に国際金融局長を経て1997年に財務官に就任。1999年に大蔵省退官、慶応義塾大学教授、早稲田大学教授を経て、2010年4月から青山学院大学教授。近著に「フレンチ・パラドックス」(文藝春秋社)、「ドル漂流」「龍馬伝説の虚実」(朝日新聞出版) 「世界同時不況がすでに始まっている!」(アスコム)、「『日本脳』改造講座」(祥伝社)など。

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