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「キッズライン問題」とジャーナリズムの役割①

経済ジャーナリズムは必要か

中野円佳 フリージャーナリスト

 先日、ある経済メディアを名乗る媒体の元編集長が退任インタビューでこのような発言をしていた。

 「最近『経済ジャーナリズムはどこまで必要なのか?』と考えるんです」

 「政治などの公権力や社会問題はメディアによる監視が必須ですが、企業の場合は、株主や消費者や従業員などいろいろ角度からすでにチェックされています。メディアがビジネス面で評論をする正当性がどこにあるのか?と考えているんです」

 つまり、ジャーナリズムというのは、公権力や社会問題を監視するが、企業への監視は必要ないのではないかと自問していると。

 企業に対するジャーナリズムは必要ないのだろうか。私が2020年春から報じてきたベビーシッターマッチング事業者であるキッズラインの不祥事問題を事例に検討していきたい。

「安心安全のサービス」で起きた事件

 2020年4月、1人のベビーシッターの男が、預かっていた男児へのわいせつ容疑で逮捕された。当初社名は報道されていなかったが、同5月3日、AERAdot.がこのシッターはマッチング型ベビーシッターとして最大手であるキッズラインの登録シッターであったことを報じた。

 ベビーシッターを巡っては、2014年に埼玉県で、掲示板を通じて子どもを預かった自称シッターの男が男児を殺害するという痛ましい事件があった。その事件を受けて、女性最年少(当時)の上場経験を持つトレンダーズの元社長、経沢香保子氏が「本人確認をする」「安心安全のサービス」を提供すると立ち上げたのが、キッズラインだった。

 従来型のベビーシッター事業者は、従業員や業務委託のシッターと契約した上で家庭に自社の責任で派遣する。これに対し、キッズラインはマッチング型と呼ばれる事業者だ。働き手と顧客をマッチングするだけの役割を担う。

「マッチング型」ベビーシッター事業とは

 2014年の事件が起きた掲示板と異なるのは予定の管理や決済などもアプリで完結できる点。このような枠組みはシェアリングエコノミー、あるいはCtoC(Consumer to Consumer)と呼ばれ、現在の日本ではおそらくUber Eatsがもっとも身近な事例であるだろうが、家事代行などの領域でも2014年前後に多様な企業が立ち上がった。

 それぞれに手数料や価格決定の仕組みなどは異なる。キッズラインの場合は身分確認や審査をしたうえでサポーターと呼ばれるシッターを登録し、シッティングにかかる費用はシッター自身が決めることができる。

 利用者は、シッティングにかかった値段の20%(定期利用の場合10%)分を仲介料としてキッズライン側に支払うが、更にキッズラインはそのシッターの売り上げから10%を徴収する。つまり、合計20~30%を手数料として徴収している。

 シェアリングエコノミーは一般的に大人同士の取引で、たとえばメルカリでは売った側と買った側が対等の立場で相互に評価をし合い、評価の蓄積で相手の信用を測る仕組みになっている。しかし、ベビーシッターに関しては被害を訴えにくい子どもが対象になるため、より慎重さが求められる領域であることは2014年当初から議論があった。

 しかし、待機児童が抜本的には解消できない中で、政府そのものも幼保無償化など、質の確保や配慮が細かくされているとは言い難い、子育て分野へのある意味での「バラマキ」を始める。ベビーシッターについても厚生労働省はガイドラインを整え、2019年10月からはキッズラインも含むマッチング型シッターも国や自治体の補助金事業の対象にもなっていった。

キッズラインのホームページからキッズラインのホームページから

 2020年春に話を戻そう。行政のお墨付きも得ているように見え、依頼件数は累計100万件を突破したと自称し、飛ぶ鳥を落とす勢いだったキッズラインでわいせつ事件があったということで、シッター利用家庭の間には衝撃が走った。

だれかが書かないといけない

 私自身は埼玉県での殺害事件が起こった2014年当時、日本経済新聞社の記者であり、子育てやシェアリングエコノミーの取材をしていた。2015年3月で新聞社を退社してからも、フリージャーナリストとして近しい領域の記事や書籍を執筆する中で、たびたびキッズラインの広報姿勢に危うさを感じることはあった。

 補助金利用時の税処理など、自分たちの都合のいいことは派手に宣伝をするのだが利用者にとって大事な情報が欠けていることもあったし、シッター募集の方法等も、前のめりすぎないかと危惧していた。

 ただ、私自身は2017年からシンガポールに夫の転勤で帯同しており、2020年春のわいせつ事件発生時は、自分の子どもたちもコロナ禍での休校だったこともあり、逮捕者が出たというニュースにしばらく気づかなかった。

 病児保育等を手掛けるフローレンスの駒崎弘樹氏らがnote記事等で事件の発生について発信をはじめたことで、ようやく5月中旬に事件のことを知った私は、日本にいる信頼できるジャーナリスト数人に聞いて回った。

 「この件、もっと追ったほうがいいと思いますけれど、動かれていますか?」

 大手メディアは軒並み社名を載せておらず、キッズライン側も静かにホームページ上にお知らせを載せたのみ。利用者にこのようなことが起こり得るというリスクが周知されていないのではないかと感じたためだ。

 密室で第三者の目が入りにくい形態で、しかも被害に遭うのは子ども。性被害は長期的に影響を及ぼすこともあるし、命すら脅かされ得る。

 この時点では悪質な加害者がたまたま1人キッズラインに紛れ込んでしまった可能性も考えていたが、いずれにせよ利用者も、このようなことが起こったということを知っておけば、それで100%防げないにせよカメラの設置や録音をする、在宅時に利用するなどの対処もできるだろうと感じていた。

 自分がシンガポール在住で警察などへの取材ができないため、誰かが書いてくれればそれでいいし、あるいは協力して問題提起できないかと思った。しかし、それぞれジャーナリストには得意分野もあり、またコロナ対応の別の記事を書いていたりして、このことを主導してやっていこうという方を見つけることができなかった。

 次に知り合いの編集者数人に「媒体として取り上げる予定はありますか」と聞くが、これまた「コロナで自分の子どもも休校で、フォローできていません」という状況だった。プラットフォームやシッター業界の仕組みを一番理解しているはずの子育て中の記者は今、動きづらい。そう感じて、某週刊誌に話を持ち込んだ。女性記者の方は関心をもってくれていたが、編集会議で通らなかった。

シンガポールからの提案

 自分でやるしかないと感じた私は、まずは記事を書く時間がないので、以前出演したモーニングクロスで問題点を整理して提起させてほしいと連絡をし、5月29日の出演が決まった。同時にBusiness Insider JapanとBuzzFeedでモーニングクロスでの主張をまとめた記事と専門家と対談する記事をそれぞれ提案した。

 この時には、キッズライン個社の問題を取り上げるというよりは、他国に比べ子どもにかかる大人たちへの犯罪歴チェックができず、わいせつ事件が繰り返される可能性がある日本の現状を訴えるつもりだった。しかし、その後、本件は思いもよらぬ展開になっていく。

 モーニングクロスとの出演を調整しているまさにその時に、のちに2人目の逮捕者となる別の加害者が、キッズラインを通じて預かった女児に繰り返しわいせつを働いていたのだ——。