【2】東日本大震災とLINEの誕生/2011年
2021年04月23日
朝日新聞のスクープによって、メッセージアプリ「LINE」の個人情報が業務委託先の中国企業からアクセスできる状態になっていることが明るみに出た。中国には国民や企業に諜報活動の協力を義務づける国家情報法がある。日本国憲法は「通信の秘密」を保障しているのに、隣国の中国には丸見えになっているのかもしれない。
今回の問題発覚後、LINEの日本人幹部だった人の中から「セキュリティーやデータのところは韓国側が所管していてブラックボックスになっていた。会社の中にもう一つの会社があるような感じなんです」という声を耳にした。突きつめていくと、LINEという会社の「企業統治」の仕組みに原因があるように思える。
東日本大震災のおきた2011年、LINEは生まれた。開発チームのリーダーとして紹介されたのが稲垣あゆみだった。彼女によれば、社内では10年暮れから何か新しいサービスを開発しようとしていて、候補に挙がったのが写真アプリとメッセージアプリだったという。
そんなときに震災が起きた。彼女はこのとき高層ビルの23階で仕事をしていたが、ビルがきしむのではないかと思われるほど、長く大きな揺れが続いた。しばらくすると、窓から遠くで煙が立ち上るのが見えた。エレベーターは止まり、非常階段で駆け下りた。家族の安否が気になったが、電話もメールも通じない。両親の安否を確認できたのは、発災から5時間近く経った午後8時過ぎ、両親と同居していた兄からのツイッターかフェイスブックだった。「こういうメッセージアプリを私たちがもっと早く作っておけばよかった」と稲垣。連絡を取りたい人と、いざというときに取れないことを解消したいという気持ちが、LINE開発の動機にあったという。
大震災をきっかけに生まれた新しいサービスの誕生を、私は延べ12人に取材して「LINE物語」として朝日新聞経済面に連載した。まだ産声を上げてそれほどたっていないLINEの成り立ちを初めて掘り下げた企画だったと思う。
このときの取材で気になったのは、想像以上の韓国とのつながりの深さだった。LINEの親会社は韓国大手IT企業のネイバーという会社なので、当たり前と言えば当たり前なのだが、それでも至るところに「韓国」の影を感じたのは驚きだった。稲垣の話によれば、きわめて初期段階の企画をリードしていたのは、日本語に堪能な2人の韓国人女性だったという。稲垣は東電の福島第一原発事故後、「東京は危ない」と言われて夫を東京に残したままソウルに避難して、そこで2カ月間滞在し、開発に関わっている。韓国ではライバルのメッセージアプリ「カカオトーク」が先行して人気になり、自分たちは後発と認識していた。本格的な開発チーム10人のうち2人は韓国人だった……。
LINEの親会社ネイバーは、サムスン電子グループにいた李海珍(イ・ヘジン)が1999年に起業し、韓国におけるヤフーのような検索サービスの大手として成長した。LINEはそんなネイバーの日本拠点として設立され、証券取引法違反事件を起こしたライブドアを買収して飲み込んだ。
ところが、連載記事の中で親会社について触れるため、LINEの広報担当者にネイバーに関して何点か問い合わせをすると、血相を変えて「韓国」に触れないでほしいという。「そういうわけにはいかないよ」と拒否したが、その要求は執拗で次第に喧嘩腰になった。先方に韓国を隠したい強い意思があることがうかがえた。
このころLINEの戦略や事業をマスコミに対して話す「語り部」は、戦略担当の舛田淳執行役員だった。彼は生い立ちを含めて興味深い「ストーリー」をもった人物だった。
川崎市出身で地元の小中学校を卒業した後、私立の進学校に入ったものの1年生の終わりには退学した。本人いわく「自分が学校にいると、みんなを扇動して困る、ということだった。それで先生に辞めるように促された」。1年生で中退というのは、この年頃にあっては相当のショックだったろう。「無意識のうちに敷かれているレールというのがありますよね。それがある日突然なくなるんです。あれ、これから先、レールがないや、って」。ガソリンスタンドや工場などでバイト生活をして暮らしたが、大学に進学しようと考え直して大検を受けて、早大社会科学部に進学。サークルの放送研究会の代表を務め、学生時代からテレビ番組や雑誌の企画づくりにかかわっていくうちに、そっちの方が楽しくなり、中退してフリーの企画屋になった。だから最終学歴は中卒だ。小は商店街のお祭りから大はアイドル番組の制作まで携わっていくうち、2000年ごろから産声を上げたばかりのネットビジネスの企画に参画するようになってネット業界に転じ、LINEが4社目だった。
放送作家という前歴も手伝い、彼はLINEの物語を創作する作家だった。東日本大震災によって生まれた日本発の新しいサービスというストーリーは、彼によって仕立てられ、代わりにLINEの出自の「韓国」は封印されていった。彼は「日本には嫌韓のムードがある」「ことさら韓国に注目しないでほしい」と、韓国のカの字でも言及されるのを嫌がった。社内のあちこちにハングル表記の案内板があり、LINEを訪れた人が「この会社は韓国系の会社なんだな」と思うのが当たり前であるにもかかわらず、である。それでも彼は韓国にスポットライトが当たるのをそらし、カムフラージュした。戦略担当という自身の位置づけを、「自分はモノの創造者ではなくて、ストーリーテラー」と言っていた。
それから3年後、LINEが東証に
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