米アカデミズムとベンチャーのダイナミズム
2021年04月29日
昨年12月、アメリカとイギリスで、2種類のmRNAワクチンが緊急使用を許可された。ひとつは、アメリカのファイザーとドイツの創薬ベンチャー、ビオンテックが共同開発したワクチン、もう一つはアメリカの創薬ベンチャー、モデルナが開発したワクチンである。
新型コロナウィルスのゲノム情報が中国人研究者により公開されたのが昨年1月11日だから、世界中の研究者がこのウィルスの詳細を知ってからワクチンが完成するまでに1年を要していない。通常、ワクチンの開発には5年はかかると言われ、これは画期的なスピードである。
しかも、いずれのワクチンも95%、94%という極めて高い発症予防効果が認められるという。我々が毎年使用しているインフルエンザワクチンの予防効果が60%程度と言われているので、これも画期的である。
mRNAワクチンは、これまでの常識を破る遺伝子工学の画期的な発明である。ワクチンの完成までには様々な技術がかかわっているが、なかでもとりわけ重要なのが「人工的なmRNA(synthetic messenger RNA)を注入することで、ウィルスの侵入がなくても、体内にウィルスに対する抗体を生じさせる」という技術である。
この技術と、これを発明したハンガリー生まれの女性研究者、ケイト・カリコ博士(Dr. Katalin Kariko)の業績については、細胞生物学の専門家であるロックフェラー大学の船引宏則先生の解説(『コロナの革命的ワクチンを導いた女性移民研究者』(2020年12月24-25日)がある。
私は細胞生物学や遺伝子工学の素人なので、この分野の研究について正確に説明する能力はない。私が本稿で検討したいのは、このカリコ博士の発見・発明を含め、どのような人々や組織がかかわることで、僅か1年足らずでこの画期的なワクチンが完成したのか、その社会・経済的な背景を探ることである。
まずは、この話の中心人物、ケイト・カリコ博士の物語である。ニューヨーク・タイムズがカリコ博士のこれまでの人生を詳細に報道している(”Kati Kariko Helped Shield the World from Coronavirus” April 8, 2021)。
カリコ博士は、ハンガリー生まれの66歳。ハンガリー南部の町、セゲド(Szeged)の大学で博士号を取り、その大学の生物学研究所で研究生活を始めたが、間もなく研究資金が底をついて彼女の研究プログラムは閉鎖される。
カリコ博士とパートナーの電気技師、ベラ・フランシア(Bela Francia)は、彼女の研究を続けるため、1985年、アメリカへの移住を決意する。当時のハンガリーは共産党独裁の政権下である。100ドル以上は合法的に持ち出せず、カップルは車を売った代金を闇市場でポンドに替えて、この900ポンドを当時2歳の一人娘、スーザンのテディベアに縫い込んで出国したのだそうだ。
家族はフィラデルフィアに移住し、カリコ博士はテンプル大学で研究職を得たものの、パートナーのベラの最初の仕事はアパートの管理人だった。移民一世が最初にアメリカで得られる仕事と言えば、そんなものである。
カリコ博士の研究は、最初からメッセンジャーRNA(mRNA)に的を絞ったものだった。細胞内でタンパク質が合成されるとき、mRNAが特定のタンパク質のDNA情報を細胞核から細胞質に運んで、同じタンパク質が形成されることが当時すでに知られていた。特定のタンパク質のDNA情報を持った人工的なmRNAを体内に注入すれば、思うがままのタンパク質が体内で形成されるのではないか。これがカリコ博士のアイデアの根幹である。
カリコ博士は1989年にペンシルベニア大学の循環器外科医の研究室の研究助手(Research Assistant Professor)となるが、研究生活は恵まれたものではなかった。そもそも将来教授になれる可能性が全くないポストで、外部からの研究費の寄付がなくなれば、そこで仕事は終わり。将来の保証も全くない、研究者としては底辺のポストである。
カリコ博士は、この循環器外科医の教授をはじめ、何人かの教授の下で研究助手を務めて来たが、研究者としての年収が6万ドルを超えたことがないそうだ。また、彼女の人工的なmRNAで思うがままのタンパク質を作るというアイデアがあまりにもファンタジーに思えたのか、なかなか研究費が集まらず、大学を追い出される瀬戸際にいつも立たされていたようだ。
ポストにも経済的にも恵まれなかったが、研究面では、1997年、免疫学者でペンシルベニア大学教授に就任したばかりのワイズマン博士(Dr. Drew Weissman)との出会いが大きな転機となる。ワイズマン博士はエイズウィルス(HIV virus)へのワクチンにカリコ博士のアイデアが使えないかと考え、二人は共同研究を始めた。
二人の試行錯誤の経緯は前述の船引先生の論考をご覧頂きたい。2005年、彼らは化学的に細工を施したmRNAが動物の体内で特定の意図したたんぱく質を安定的に生成することを発見する。彼らは、これは病気の治療にもワクチンにも使用できる潜在性の極めて大きな発見だと考えたが、彼らの論文は科学ジャーナルへの掲載を何度も拒否された。結局、論文は最終的に掲載されたものの、多くの関心を集めることはなかった。当時、mRNAに興味を持つ研究者は多くなかったのだ。
偉大な科学的発見というのは、当初は人びとから評価されないものなのかも知れない。
二人は会社を設立し、薬の共同開発と研究費の寄付を求めてアメリカ中の大手製薬会社に熱心にアプローチしたが、どこからも色よい返事が得られなかった。mRNAによる薬の開発は、大手製薬会社にとってはリスクが高過ぎたのだろう。
だが、mRNAに興味を持った創薬ベンチャーが現れた。アメリカのモデルナとドイツのビオンテックである。後に詳しく述べるが、実はこの2社は、2005年のカリコ・ワイズマン論文に触発されて設立された会社なのだ。
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