「小さな国」ではなかった日本
2021年05月07日
司馬遼太郎の数多くの作品の中で、最も読まれているのは、おそらく「坂の上の雲」だろう。この小説の主人公は実在の人物、秋山好古、秋山真之兄弟と真之の親友正岡子規である。司馬はこの作品で、明治維新から日露戦争迄の30余年を「これほど楽天的な時代は無い」と評している。
タイトルの「坂の上の雲」とは、坂の上の天に輝く一朶の雲を目指して一心に歩むがごとき当時の時代的高揚感を表したものだった。日露戦争とは官から民までが「国家が至上の正義でありロマンティシズムの源泉であった時代」の情熱の下に一体となって遂行された国民戦争であり、「国家の重さに対する無邪気な随従心の上にのみ成立した」としているのだ。又、日清、日露戦争期は戦争が多分に愛国的感情の発露として考えられており、『帝国主義』が悪であるという国家常識が無く、そうした価値観が後世とは全く異なっていたことに留意するよう繰り返し述べている。
つまり、司馬は日露開戦に踏み切った日本を擁護し、「追い詰められたものが、生きる力のギリギリの物を振り絞ろうとした防衛戦であったことはまぎれもない」としているのである。そして、「弱小国」の日本が陸海空軍力ともに世界最高水準を誘った大国ロシアに勝利できた理由については、一国が国民国家として固く結束しこの戦いに国の存亡がかかっていると強い切迫感を抱いていた事、経済を限界まで切り詰めて殆ど飲まず食わずといった様相で艦隊を整えて海軍力において奇跡的な飛躍を成し遂げたこと、指導層が後の太平洋戦争期と異なり、いたずらに精神主義に陥らず合理主義に徹して戦争を遂行したことなどを挙げている。
司馬のこの作品は、「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている」との言葉から始まり、明治の日本を賛美している。そして、秋山好古、秋山真之兄弟がいかにこの戦争で活躍したのかを軸に物語が展開される。司馬は「名将」とされた乃木希典を評価せず、満州司令部から駆けつけた児玉源太郎が乃木に代わって指揮を執り、日露戦争を勝利に導いたとしている。そして、「日本海海戦」では東郷平八郎がいわゆる「丁子戦法」でバルチック船体を壊滅させたのだった。この海戦について、「世界の海戦史上かつてなかった完全勝利を成し遂げた」と述べている。つまり、司馬遼太郎は日露戦争を肯定的にとらえ、日本の勝利は、「明治という国家」のすばらしさの一つだとしているのだ。
そして、司馬は、日本は昭和に入って堕落したと説くのである。彼は昭和の歴史について、著書「この国のかたち」のなかで、「明治の夏目漱石が、もし昭和初年から敗戦までの『日本』に出会うことになれば、相手の形相のあまりの違いに人違いするに違いない」と述べている。しかし、明治という時代が素晴らしく、昭和に入って時代が暗転していったという見方は歴史の継続性という点を過小評価しているのではないだろうか。確かに、5.15事件、2.26事件を経て、陸軍の力が無視できないものになっていったのは間違いないだろう。しかし、陸海軍の力は日清、日露戦争を契機に明治時代でも大きなものだったし、それが昭和に入って急変したと考えるのはかなり無理があるように思えるのだ。
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