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コロナで見えた医療の弱点 普遍性の高い基本的な感染対策が普及していなかった

日米英3カ国の専門医資格を持つ矢野晴美医師に聞く

岩崎賢一 朝日新聞社 メディアデザインセンター エディター兼プランナー

 ロックダウンのような強制的な手段を使わず、欧米より少ない感染者数に抑え込んだ日本の新型コロナウイルス感染症対策を国際的に評価をする声がありました。しかし、1年が経過した今、ワクチン接種の遅れ、病床の確保難という点などから「不思議な国」と見る向きが出ています。日本でも同じことを感じている人は少なくないでしょう。

 感染症が専門で、日本、アメリカ、イギリスの専門医資格を持つ国際医療福祉大学医学部医学教育統括センター・感染症学の矢野晴美教授に昨年に引き続きインタビューしました。

矢野晴美さんインタビュー政府が北海道を緊急事態宣言の対象に決めた14日、札幌市の商店街にある民間の「新型コロナPCR総合検査センター」では、自費で検査をする人が列をつくっていた=2021年5月14日午前10時28分、札幌市中央区

アメリカと違う日本の医療従事者のスキル

 日本では、1年経ってもテレビ番組は朝から夜までニュースや情報番組でコロナの情報があふれています。インターネットのニュースサイトや新聞も同じです。現在の制限された生活からの「出口」を求め、市民も引き続き関心を寄せています。一方で、情報格差や倫理観に訴える手法の効果といった課題も明らかになってきました。

――日本が目指すべきコロナ対策のゴールラインをどのように考えていますか?

 コロナに限らず、感染症の終息は、ペストが世界中で猛威を振るっていた時期も含めて、「日常生活を取り戻すこと」がゴールラインでした。現在、世界各国も同じだと思いますし、私もそう思います。

 具体的に説明すると、まず人の行き来が戻ることです。当初はソーシャルディスタンスといわれていましたが、現在はフィジカルディスタンスに変わっています。人と人がつながれない状況から、フィジカル的にも以前のようにつながれる状況に戻れるレベルが目標だと思います。幸い有効なワクチンが開発されて世界中で使われ始めているので、国内でもワクチン接種率を上げることに尽きると思います。

――ワクチン接種率の目標をどれぐらいに設定すればいいと思いますか?

 イスラエルではワクチン接種が最低1回済んでいる人が60%を超えていますし、アメリカでも1回接種した人が50%です。接種率が上がると新規感染者数がどう変化するかを見ていくと、国内で集団免疫を獲得するために何%の接種率が必要か見えてくると思います。その状況を見ながら規制緩和をしていくべきでしょう。それが最良のシナリオです。

矢野晴美さんインタビュー大学のキャンパスを使って、高齢者への新型コロナワクチンの個別接種が行われた=2021年5月13日、東京都墨田区

――日本ではワクチン接種が始まったばかりで、多くの一般国民はこれからです。年内早い時期にどこまで接種率を上げていくかが当面の目標でしょうか?

 諸外国のワクチン接種率の推移をみると、アメリカでは昨年秋にワクチン接種が始まりました。すでに国民の約半数が最低1回の接種をしているので、年内には8割を超えてくるでしょう。そうなると、日常生活がかなり戻ってくると思います。

 日本の場合、ワクチンが輸入できるとすれば、残る課題はロジスティックスの問題になります。東京、大阪では、大規模なワクチン接種会場を自衛隊の力を借りて運営することになりました。そこでどこまで接種のスピードを上げられるかだと思います。

 ただ、ワクチン接種は、コロナ以外のワクチンでも同じですが、安全を確保して行うために労力がかかります。具体的に説明すると、「外国で行っているように薬剤師もワクチン接種できるようにすればどうか」という主張もあり、国内でのワクチン接種の推進に画期的な提案だと思いますが、前提としての安全管理のインフラが違います。

 少なくともアメリカの病院では、医師以外の医療従事者、看護師、薬剤師などは、院内で誰が倒れても蘇生できるように、ACLS(Advanced Cardiovascular Life Support)といった二次救命処置の訓練を受け、2年ごとの研修も受けています。つまり、医療従事者としての最低限の救命の訓練が日常的に行われている前提があるので、ワクチン接種ができるのだと思います。イギリスも緊急時の安全管理を整えてのうえでだと思います。

 接種そのものは難しくありませんが、最悪のことが起きたときのための安全管理が大切なのです。

終息には3年か4年かかるというのが現場の肌感覚

――東京や大阪といった大都市圏でのコロナ対策のボトルネックや課題は、何だと思いますか?

 全般的には、日本は他の国のように法的なロックダウンをとらなくても、相対的に少ない感染者数に抑えられてきていると思います。ワクチン接種が進んでいるアメリカでも、まだ1日4万人ほどの新規感染者数がいます。日本はその10分の1です。

 日本の専門医仲間と話をしていて共通するのは、医療供給体制の弱い部分がコロナで浮き彫りになったという点です。日本は国民皆保険制度なのでどこの病院に行くこともできます。そうすると、どこの病院も一定レベルで診られる体制が必要になります。ところが、今回浮き彫りになったのは、普遍性の高い基本的な感染対策が、日本の医療現場に必ずしも普及していなかったという実態でした。だから、コロナを「診られる」という医療機関と「診られない」という医療機関がでてきてしまうのだと思います。

 加えて、人員が不足しながらなんとか診療を維持してきた病院が、経営面だけでなくスキル面でも不安を抱え、新型コロナに感染した患者のような総合的な対応が必要な場合は対応ができないケースが多いのかなとも感じました。現場からの声として、将来再び起こることが想定されるパンデミックに備え、今後、病床の運用方法、医療供給体制を抜本的に見直す必要性を感じています。

 感染症の診断がつくまでに一定の時間がかかりますので、初期対応を多くの病院でできるようにしておくことは、他の感染症も含めて大切なのです。

 日本感染症学会の専門医は約1600名です。アメリカは人口3億人で専門医は約9000名です。日本は、専門的に診られる医師が少ないので、多くの病院が苦戦を強いられている可能性があります。

矢野晴美さんインタビュー防護服を着た矢野教授(提供写真)

――日本の現状について、想定内でしたか?

 昨年の今頃、世界のアカデミアは、2~3年は持続するだろうと予測していましたので、予想通り2年目に突入し、来年も続き、終息には3年か4年かかるというのが現場の肌感覚でした。想定内で進行していると思います。新規感染者数がアップダウンを繰り返すのも、規制を緩めれば当たり前のこととして想定していましたし、変異株の流行を含めて仕方がないことだと思います。

現場から見えないコロナ対策の司令塔

――日本は、アメリカやヨーロッパに比べると死亡者数は少ないですし、国民の倫理観や医療現場のがんばりで、このような状態を1年保ってこられたのだと思います。

 日本の課題の一つに、臨床現場にリアルタイムでの疫学データが還元されることが少ない点が挙げられます。医師にも患者の内訳などが十分に公表されていません。都道府県によって差があるのかもしれませんが、速やかに週単位や数日単位でのリポートが欲しいのです。

 加えて、最新の知見です。医学論文レベルで共有されるには時間がかかります。国内の重要な疫学情報を共有するプラットフォームが未確立な点が課題だと思います。先日、日本感染症学会・日本化学療法学会があり、学会に参加することで国内の現場の情報を得ることができました。

 国内での感染対策ついては、どこで誰がどのような理由で決めているのか見えにくく、司令塔がはっきりしないという専門家の指摘もあります。ブラックボックスになっているという印象を多くの人が持っていると思います。

矢野晴美さんインタビュー到着したモデルナ製ワクチン=2021年5月13日午前8時54分、関西空港

――ワクチン接種のロジスティックスの問題は1年間の準備期間がありました。現在、どこに課題があるのでしょうか?

 私の両親は2人とも80歳です。ゴールデンウィーク明けの予約開始日の夜にインターネットで予約をしましたが、ワクチン接種ができるのは6月の末ごろでした。

 4月末、ニュースで「東京と大阪に大規模接種会場を設置して来月から対応します」と報じていました。「来月」はいつかというと、5月末だったので、「1カ月先か」とがっかりした気分になりました。

 日本のこの弱さは何なのか。欧米の先進国では高齢者でもパソコンやスマートフォンを使いこなしている人が比較的多いと思います。日々使っているから、コロナでITを活用した予約システムが入ってきても苦にならないのだと思います。しかし、日本は、スマホやパソコンを使いこなす高齢者は少ないと思いますし、自治体でもオンラインでの予約や対応をあまりしてこなかった。弱いところが重なってしまったのだと思います。

モチベーション維持のため、みんなで共有できるわかりやすい数値目標が必要

――市民の中には「1回がまんすれば収束するんじゃなかったのか」という印象を抱いている人たちがいます。2回目の波や3回目の波になると、倫理的な訴えによる行動自粛の限界もでてきました。身近なところでクラスターが起きていなかったり、亡くなる人がいなかったりする環境にいると、「自分はマスクをしているからいいだろう」という感覚になってしまう人も出てくるのだと思います。どのようにして行動を抑制してもらえばいいのか、どう考えますか?

 正確な情報をわかりやすく共有することです。コロナの流行がそんなにすぐには終わらないということ、長丁場で数年かかるということは、私たち専門家の間では認識されていました。しかし、一般の人には伝わっていないのだと思います。そこはリスクコミュニケーションで一番難しいところです。ただ、あまり長くなると経済的ダメージが大きくなると思いますし、一般の人はモチベーションが何年も続かないと思います。

 イギリスのように、みんなで共有できるわかりやすい数値目標や指標を出していくことが一つの手法だと思います。先が見えなくても、現段階では感染対策をやめる状況ではないということを、誰が見てもわかるように繰り返し、わかりやすく、粘り強く、伝える戦略と、国民全体で共有する明確な指標が必要でしょう。

矢野晴美さんインタビュー衆院内閣委で、北海道などに緊急事態宣言を出すことを質問され、答弁する西村康稔経済再生担当相=2021年5月14日午前9時45分、国会内

――感染対策における医療のリソースの使い方で、イギリスやアメリカと日本の違いはありますか?

 医療専門職の医療現場での職務権限は、国によって違います。そこで生じるリソースの分配の違いがあると思います。

 加えて、医療安全対策のインフラがある環境なのかという点です。先ほども申し上げましたが、日本は、医師以外の医療従事者が、心肺蘇生を行い倒れている患者をすぐ蘇生できるかというと、法的な制限もあり、そういう状況にはなっていないのです。法的な職務権限をすぐ広げることができない側面があると思います。

 医療現場では、頭でわかっていても、患者が急変したときに即座に行動できるかというと、いつもやっている状況でないとできません。蘇生用の器具を準備していても、日々使いこなしている医療従事者がいないと緊急時には使いこなせません。

 医療従事者の日ごろからのスキルアップ、スキル維持の仕組みが必要だと思います。こういったことは、コロナがなかったらわからなかった日本の医療現場の弱さで、コロナに関係なく改善しなくていかなくてはいけない点と認識しております。

――欧米では早い時期から医学部生の一部を現場に動員するなどしていました。この点について、日本と何が違うのでしょうか?

 例えば、アメリカは3、4年生でも指導医やレジデントの監督のもとで、日本の初期研修医のようなことができます。日本は各大学で、医学部生の臨床実習の質の向上に取り組んできています。これまで見学型だった臨床実習をできる限り参加型に移行する途上にいます。

 また、6年制の医学部の途中段階で、臨床実習に出る前に「共用試験」というものがあります。今後、この「共用試験」について法整備がなされ、これに合格した医学生は「スチューデント・ドクター」として、医師国家試験合格後に行われている初期研修のようなイメージで医療行為の一部ができる見込みです。そのことで医学部での臨床実習をこれまで以上に充実させ、卒業後の臨床研修にシームレスにつなげていくことが構想されています。それにより、診療の質の向上につながることが望まれます。

アメリカでは新型コロナ以前から学校入学時に予防接種の確認

――ワクチン接種を個人の選択の自由と考える人たちがいます。集団免疫を考えたとき、高い接種率を達成しないといけない現実があります。丁寧な説明で達成可能なのでしょうか?

 国によって制度が違います。アメリカは幼稚園から大学まで、各学校に入学する前に決められたワクチン接種をしているのかを確認しています。そのため、その対象になる予防接種の接種率は高く維持されています。

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