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政府もメディアも実は見通していた「人口減少社会」

成長幻想から脱皮し世界最先端の「超高齢社会」を目指せ

原真人 朝日新聞 編集委員

人口減少問題の転機は「2010年ショック」

 そのローマクラブの提言が次第に人々から忘れ去られていった原因はいくつか考えられる。一つは、食料やエネルギーの供給力が当時の想定より大きくなったことである。

 食料をめぐっては1960年代にかけて「緑の革命」と呼ばれる農業革命が起きた。高収量品種の開発、化学肥料や除草剤の大量導入、遺伝子組み換えなどによって農業の生産性は飛躍的に増えた。そのおかげで1950~2010年の間に世界人口は2倍以上に増えたが、食料供給は3倍以上になり、先進国は食料不安から解放された。

 また、数十年で枯渇するとも心配されていた原油も、石油メジャーなどの採掘技術の向上によって可採埋蔵量が年々増え続け、安定供給の見通しがついた。原子力発電所の建設も進み、先進国では2度のオイルショックのあとは、エネルギーの供給不安もなくなっていった。

 さらにグローバリズムが急速に進んで、ヒト、モノ、カネの国際的な往来が著しく増えた。それが新興国の勃興を生み、世界的な経済成長ブームを形成していく。いつしか先進国だけでなく、新興国や途上国にも「成長信仰」が広がり、人口増加とセットで国力を増していくことが目標となった。

 2000年代になると、中国の国際市場への本格参入によってそうした傾向はより強まり、ローマクラブの精神はすっかり色あせ、忘れ去られていった。

 日本で人口減少問題が意識されるようになったのはいつからだろうか。1990年代はバブル崩壊と、その後遺症である金融危機や不良債権問題に苦しみ、2000年代に入っても経済停滞は続いた。次第に日本だけがデフレや低成長から抜け出せない何か特別な理由があるのだろうという見方が強まった。しかし、当時の私の取材経験、朝日新聞の報道ぶりを見る限り、そのころ人口問題に原因を見いだす主張がとくに高まったわけではない。

 2008年をピークにいよいよ人口減少に転じたころ、メディアでは特集が組まれるなど一定の関心は向けられたが、大きな社会的課題として強い関心が集まったわけではなかった。

 いま振り返ると、「人口減少」が国民的テーマとして意識されるようになったきっかけは二つあった。

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筆者

原真人

原真人(はら・まこと) 朝日新聞 編集委員

1988年に朝日新聞社に入社。経済部デスク、論説委員、書評委員、朝刊の当番編集長などを経て、現在は経済分野を担当する編集委員。コラム「多事奏論」を執筆中。著書に『日本銀行「失敗の本質」』(小学館新書)、『日本「一発屋」論 バブル・成長信仰・アベノミクス』(朝日新書)、『経済ニュースの裏読み深読み』(朝日新聞出版)。共著に『失われた〈20年〉』(岩波書店)、「不安大国ニッポン」(朝日新聞出版)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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