日本列島にまき散らされた飛ばし隠蔽デリバティブ
【3】クレディ・スイスの亡霊/1999年
大鹿靖明 ジャーナリスト・ノンフィクション作家(朝日新聞編集委員)
金融立国スイスの名門銀行、クレディ・スイスの評判に久しぶりに傷がついた。4月に発表された2021年第1四半期決算によると、米資産運用会社アルケゴス・キャピタル・マネジメントとの取引によって44億スイスフラン(約5300億円)の損失を蒙り、経営破綻した英金融ベンチャーのグリーンシル・キャピタルとクレディが組んだ100億ドル(約1兆800億円)規模のファンドは閉鎖することになった。お堅い銀行の中でも、とりわけ守秘義務を厳守する銀行として知られるクレディ・スイスは、そんな表の謹厳な顔とは別に、普通の銀行が手を出さない〝きわどい〟金融取引を繰り返してきたことで、我が国では有名である。
私がクレディ・スイスを知ったのは1997年11月、山一證券が経営破綻したときだった。山一は2600億円の損失を海外に「飛ばし」ていた。隠し通そうとした債務(簿外債務)が重荷になって破綻することになったが、死期の迫った山一が土壇場で助けを求めた相手がクレディだった。市場で信用を失いつつあった山一が、クレディとの提携を実現することによって延命を図ろうとした。だが、藁をもつかむ気持ちの山一に対して、クレディの回答は「ノー」だった。
それもそうだろう。山一が破綻した後で明らかになったのは、山一の「飛ばし」を引き受けていたのが、そもそも当のクレディ・スイスだったからである。クレディは、他の誰よりも山一に巨額の穴が開いていることを知っていた。その「穴」を隠す仕事を引き受けいていたのだから当然だ。よりによってその相手に山一は助けを求めていたことになる。山一の経営陣の愚かさに暗澹たる気分になった。

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不良債権という死肉にたかるハイエナたち
同じような気持ちを抱いたのが、大蔵省から独立して98年7月に発足したばかりの金融監督庁の検査部の面々だった。
「ノーパンしゃぶしゃぶ」に代表される異常な接待と、その見返りとして銀行や証券会社の検査に手心を加える大蔵省の金融行政の堕落に世の中が呆れ果てていたころである。その腐敗は遂に東京地検特捜部の強制捜査を招き、キャリア官僚も、検査一筋のノンキャリも逮捕され、自殺者も相次いだ。
職場の空気が荒む中、金融監督庁検査部の検査官たちが驚いたのは、不良債権という死肉にたかるハイエナのごとき外資系金融機関の姿だった。モルガン・スタンレー、リーマン・ブラザーズ、メリル・リンチ……。華やかな海外の金融機関が皆、手を染めていた。山一に限らず、北海道拓殖銀行も日本債券信用銀行も彼らを頼っていた。外資系金融機関は、デリバティブなど金融ハイテク商品や海外のタックスヘイブンを巧みに使い、日本の銀行や企業の不良資産を隠蔽する「飛ばし」の幇助をしてきた。そんな「飛ばし」隠蔽商品の最大手が、実はクレディ・スイスだったのである。
その顧客は金融機関だけにとどまらず、日本テレビや山万、ぎょうせい、鬼怒川ゴムなど60社になり、隠蔽した金額は簿価で5700億円にも達した。
金融監督庁の初代検査部長になった五味廣文(後に金融庁長官)は、こう回顧する。
「監督庁の発足後いろんな銀行に検査に入ると、損失の先送りや利益の先取りをするような取引が結構見えてきたんです。そういうのを請け負っているのは全部、外国の金融機関で、日本の金融機関にはそういう知恵も技術もないんだ。『債権流動化』と称して、含み損を抱えた有価証券を切り離す商品を作って、それが海外に次から次へと移転して、最後は、切り離したはずの最初のところに戻ってくる。そういう商品でした」。商品の性格がわかるにつれて、五味はとても許す気にはなれなかった。「粗悪な金融商品でむしばんでいる連中を、一度バサッとやらないといけないと思いました」

五味廣文・元金融庁長官=2019年2月8日
といっても金融監督庁に立ち向かうノウハウはなかった。むこうは徒手空拳で戦える相手ではない。検査官たちは英語が苦手で、クレディの使う専門用語の意味が分からなかった。だから旧大蔵省時代の金融検査部は、外資系金融機関に検査に行っても、たった1日、型通りの検査をするだけで、そそくさと霞が関に逃げ帰ってきた。当然、外資系金融機関は舐めてかかる。
そこで金融監督庁は98年秋からデリバティブ取引や外資系金融機関のビジネスに詳しい外部人材を続々、中途採用で集めた。現場指揮官は、五味の腹心で、しかも英仏両国語に堪能な佐々木清隆だった。