「彼は35歳を過ぎている。別の道を探してもらった方がいい」
2021年05月27日
ある日のこと。長府工産取締役の山本真吾がいつものように駅前から本社に向かうためにバスに乗ったときのこと。運転手が運転席からピンマイクをつけたままでこう話しかけてきた。
「山本さんじゃないですか。長府工産のみなさんはお元気ですか?」
車内に響くその声に山本は思わず首をすくめたというが、その声の主を確認して言葉にならない思いが込み上げたという。その時のことをこう振り返る。
「その人は何年も前に我が社の社員だった人でした。年齢的には私の上でしたが、ある時から私の部下になった。そこで問題を起こした人だったのです」―――。
彼が在籍当時、長府工産の営業部は従来の石油エネルギー商品から環境に優しい再生可能エネルギー商品への切り替えの真っ只中だった。それまで売り上げのほとんどは、石油ボイラー関連商品で占められていた。自社製造もしていたから、メーカー機能で生業を立てていたのだ。
ところが伊奈が社長に就任した2007年前後から、世の中はエコや環境問題に注目が集まり、石油エネルギー商材一本では会社の未来がないことは明確だった。
「これからは他社の再生可能エネルギー関連の商材も扱っていこう」
伊奈はそう言って「メーカー商社への脱皮」を宣言したのだ。
だがそこには大きな壁がある。それまでは自社商品のみを売っていたのだから、営業マンは市場でその特徴を語ればよかった。ところが商社機能を持てば、扱う商材は他社製品となり種類も膨大に増える。もちろんその商品を生産した会社の営業マンともライバル関係になるから、なにかインセンティブを持たなければ長府工産からは買ってもらえない。普通なら販売価格を他より下げるとか、顧客に有利になるサービス(ポイント等の特典)等をつけることになるだろう。
ところが伊奈は価格競争には一切参加しなかった。その代わり――――、
「商品知識と商品と地域の相性等は徹底的に勉強して、他社に負けない営業軍団となれ!」
そう発破をかけ、社内や各地の販売代理店を舞台に何度も何度も勉強会を開いた。商品知識やその販売エリア内での商品と環境との適合適正に関しては、他社を凌駕する営業部隊を育てる戦略をとったのだ。当時勉強会運営の先頭に立った山本が振り返る。
「勉強会を始めたころからいまも、合い言葉は『大手他社のどこにも負けない営業部隊たれ!』です。ライバル会社よりも勉強して、その商品の会社の営業マンよりもその商品について詳しい。しかも多数の会社の商品の中からその地域や現場に合った商品を推薦できる。その強みをフルに発揮して営業成果を勝ち取ってきました」
長府工産が扱う生活商材(ボイラーやキッチン周りの備品等)は、その地域の環境や生活習慣に微妙に影響を受ける。工事を担当する会社にしても、扱いやすい商品とそうでない商品がある。それらの特徴を熟知し、生活環境を詳細に理解していなければ最適な商品をお客様に推薦することはできない。
長府工産の営業マンは、各地の販売特約店に対してさまざまな勉強会を開いた。メーカー担当者のレクチャー、各地で業績を上げている営業マンの体験談、評論家やコンサルタントのセミナー等々。そこで得た知識や経験値を元に、全国各地の現場で自信を持ってセールスにあたる。
その結果、ある頃から現場で長府工産の営業マンと蜂合わせたライバル他社の営業マンから、こんな言葉が漏れ始めた。
――長府工産には叶わない。退散しよう。
のちに、「どんな商品を売ってもこの営業部隊なら日本のナンバーワンセールスを記録できる」と語られる営業力は、こうして培われたのだ。
だが、勉強会を何度も経て新しい価値観を会得していく作業は、時に社内でも激しい反発を招いたことも確かだ。それまで10数年石油ボイラーの売り上げで業績を上げてきただけに、突然「再生可能エネルギーに切り換えろ」と言われても、NOという社員もいる。それまで営業成績のよかった社員ほど、この転換は容易に馴染めないものだった。
冒頭に記した、いまはバス運転手になっている社員もその一人だった。山本が語る。
「あの方は営業部が方向転換しようとした時に、石油ボイラーメーカーのみだったころと変わらない営業スタイルを継続しようとしていました。時に若手社員が新しい再生可能エネルギー商材でミスをしたときには、『だからボイラーをやっていれば』と言い訳にも使っていた。私はその姿勢を見かねて、上司に直訴しました。」
―――あの人は何度指導してもボイラーのみの営業スタイルから離れようとしません。これ以上組織にいてもらってもお互いに不幸になるだけです。別の道を探してもらおうと思いますがいいでしょうか?
もちろんこの報告は上司から社長の伊奈へとあがった。伊奈の返答はこうだった。
「ああいいよ、そうしなさい。彼は35歳をもう過ぎている。別の道を探してもらった方がいい」
そういうプロセスを経て彼は担当課長の山本から「肩を叩かれ」、自分で退職の道を選んだ。その後何社か転々としていたようだが、ある時山本が乗ったバスの運転手として再会した。ピンマイクをつけたままで「長府工産のみなさんによろしく」と挨拶してきたということは、退社に至った経緯には納得できているということだろうと山本は感じた。
山本は、「うちの35歳ルールは厳しいですから」と言いながら苦笑する。
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