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米の先物取引はなぜ認められないのか〜本上場できるかどうか、最後のチャンス

農家にとってはプラス、JAの反対に理はあるか

山下一仁 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

先物取引は日本人の発明

 江戸時代の経済は米本位制と言ってもよいものでした。米は農業の中心というより、経済の中心でした。今では、先物取引は、商品から金融・為替まで広い範囲で行われていますが、世界で初めての先物市場は、江戸時代の1730年に開設された、大坂堂島の米市場でした。先物取引は、日本人の発明です。

江戸中期の1730年に始まった大阪・堂島での米先物取引(国会図書館ウェブサイトから)江戸中期の1730年に始まった大阪・堂島での米先物取引(国会図書館ウェブサイトから)
 先物取引とは、商品を将来の時点である価格で売買することを現時点で約束する取引のことです。約束期日前であれば、いつでも反対売買して差額を清算して取引を終了できます。

 先物取引は、生産者にとって、将来の価格変動へのリスク回避を行い、経営を安定させるための手段です。これをリスクヘッジと言います。具体的に言うと、作付け前に、1俵1万5千円で売る先物契約をすれば、豊作や消費の減少で出来秋の価格が1万円となっても、1万5千円の収入を得ることができます。先物契約をした時の価格が保証されるのです。これは保険のようなものです。

 戦前、米の需給がひっ迫すると、政府が市場に介入するようになり、自由な市場経済は否定されました。2百年以上続いた堂島米市場は1939年に閉鎖され、1942年には政府が市場を全面的・直接的に統制する “食糧管理法”が制定されました。

米の先物取引のいきさつ

 制度的に米の価格や流通を統制していた食糧管理法が1995年廃止され、米の先物市場を認める可能性が出てきました。2005年に東西の商品取引所が米の先物市場を農水省に申請しましたが、JA(農協)の意向を受けた自民党政権は認めませんでした。このときJAは、先物価格が高くなると、農家が米を作る意欲が出て、減反に協力しなくなるとして、反対しました。しかし、先物取引を行っているアメリカでは、1995年まで減反政策がとられていました。JAの主張には根拠がありませんでした。

 民主党に政権が移った2011年、JAは反対の全国運動を展開しましたが、農水省は試験上場の申請を認可しました。72年ぶりの先物市場の復活でした。しかし、以来自民党政権下で4回も期限が到来しましたが、取引低迷を理由に、本上場への移行が見送られ続けています。試験上場自体も何度も延長するようなものではなく、前回の延長に当たっては、農水省はこれ以上の延長は認められないとしています。今回本上場できるかどうかが、最後のチャンスとなります。

米を投機の対象としてはならないのか?

国内で唯一、米の先物取引を扱う大阪堂島商品取引所(大阪市西区)国内で唯一、米の先物取引を扱う大阪堂島商品取引所(大阪市西区)
 JAは、米が投機の対象となり、価格が乱高下することは望ましくないと主張します。しかし、投機資金で先物価格が2万円に上昇するなら、それは、農家にとっては良いことです。先物価格が上がり、農家が減反に参加しないで米を作り、出来秋に実現した米価が下がっても、農家が受け取る米価は先物価格であって出来秋の米価ではありません。先物価格が上昇すれば、生産者は生産を増やそうとするので、将来の現物価格は低下します。これは市場を安定させます。流通業者も不作で出来秋の価格が高騰しそうなときには、低い先物価格で契約をすれば、リスクを回避できます。

 今や先物取引は、農産物だけでなく金、原油、通貨、指数まで広範な商品について認められています。我々が国際的な穀物相場としているのは、シカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade)の先物価格です。これは、世界の穀物生産者の指標となっています。価格が変動する一次産品では、先物取引が当たり前なのです。

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