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堀江に襲われたラジオ局と「ロック革命」

【6】ニッポン放送とピンク・フロイド/2005年

大鹿靖明 朝日新聞経済部記者

 ニッポン放送は2005年2月8日、不意打ちを食らい、あわてふためいた。襲撃したのはライブドア。新興のIT企業だが、前年のプロ野球参入宣言によって堀江貴文社長は一躍〝時の人〟となっていた。一億総国民注視の、前代未聞の劇場型買収劇が始まった。

 私はこのとき興奮しながらこの顚末を追いかけるとともに、まったく異なるもう一つの取材をニッポン放送に申し込んでいた。1971年8月に開催された伝説的なフェスティバル「箱根アフロディーテ」についてである。

ピンク・フロイドを箱根に呼んだニッポン放送

拡大マニア心をくすぐるオマケがいっぱいつめこまれている『原子心母』(箱根アフロディーテ50周年記念盤)

 朝日新聞大阪経済部からアエラ編集部に異動して2年余り経ったころに遭遇したのがヒルズ族の乱だった。ライブドア、楽天、ヤフー、SBI、USEN、ソフトバンク、それにゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザーズ、村上ファンド……。自分がたまたま構築していた情報源のネットワークを活用しながら、めまぐるしく展開するライブドアとニッポン放送・フジテレビジョンの攻防を追いかけた。次から次へと起きる奇想天外の展開は、当事者たちを、そして取材する私たちも痺れさせた。みなが劇的展開に酔う「刺激中毒」の状態に陥っていた。

 その大騒動のさなか、別冊の「アエラ・イン・ロック」を2005年2月25日に発行したところ、これが望外の好セールスを収め、シリーズ化される運びになった。当時のアエラには私を含めてロック好きが数人いて、みんな、こういう趣味を生かした仕事をしてみたかったのだ。そこで私は1971年の箱根・芦ノ湖畔で開かれたロック・フェスティバル「アフロディーテ」を誌上で再現しようと試みた。

 お目当ては、このフェスティバル出演のために初来日したピンク・フロイドである。

 ピンク・フロイドは英国のアンダーグラウンドなサイケデリックシーンから1967年にレコードデビューした。最初期はリーダーのシド・バレットのワンマンバンドだったが、彼は薬物の過剰接種によって次第に奇行が目立ち始め、音楽活動がままならなくなった。シドの代わりにデビッド・ギルモアを入れたフロイドは、音楽的にはより前衛的に進化し、70年ごろから隆盛を極めるプログレッシブ・ロックの代表的存在になっていく。それと同時に、かつては才能あふれたシドの狂気に衝撃を受けたロジャー・ウォーターズによる「社会への違和感」や「人間の社会からの疎外」を主題とした詩の世界が、作品全体を貫く統一的なテーマとなっていった。

 彼らが来日したのは、まさにそうした方向性が萌芽した『原子心母』(1970年作)を発表した直後であった。主催したのはラジオ局のニッポン放送。会場は箱根・芦ノ湖畔に成蹊学園が持つ寮の広大なゴルフ場跡地だった。

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筆者

大鹿靖明

大鹿靖明(おおしか・やすあき) 朝日新聞経済部記者

1965年、東京生まれ。早稲田大政治経済学部卒。88年、朝日新聞社入社。アエラ編集部などを経て現在、経済部記者。著書に第34回講談社ノンフィクション賞を受賞した『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』を始め、『ヒルズ黙示録 検証・ライブドア』、『ヒルズ黙示録・最終章』、『堕ちた翼 ドキュメントJAL倒産』、『ジャーナリズムの現場から』がある。近著に『東芝の悲劇』。キング・クリムゾンに強い影響を受ける。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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