【7】ソフトバンクを脅した創価学会幹部/2004年
2021年09月24日
東京地検特捜部が今年8月、政府系金融機関の日本政策金融公庫からの融資の仲介に公明党国会議員の秘書らが関与した疑いがあるとして、貸金業法違反の疑いで議員会館の事務所などを家宅捜索した。公明党は、民主党政権時代を除き19年間も自公連立政権を組み、与党が長くなったことの「奢り」があるのかもしれない。
この捜査の報に接し、公明党の支持基盤である創価学会幹部がかかわったソフトバンクへの恐喝未遂事件を思い出した。あれも異様な展開を見せた事件だった。
この当時、ソフトバンクは2000年のITバブル崩壊によってベンチャー投資路線が行きづまり、代わって高速ネット通信に活路を見出していた。NTTが〝高速〟と触れ込んだほどISDN回線の通信速度は速くなく、その間隙を突いたソフトバンクが街頭で通信モデムを無料で配って強引に普及させようとしたのがADSLだった。
確かにADSLはそれまでよりもずっと高速だった。通信業界のガリバーNTTを新参者のソフトバンクの下克上が揺さぶった。無料配布という奇策も手伝って契約者は急増し、かくいう私もその一人だった。NTTのISDNとは大違いで、インターネットがさくさく閲覧できることに驚いた記憶がある。
しかも驚くべきことに、この不祥事を材料にソフトバンクからカネを脅し取ろうとしていた男3人を警視庁が恐喝未遂容疑で逮捕していたというのである。3人は、ヤフーBBの二次代理店を務めるコンサルティング会社エスエスティー(SST)の竹岡誠治社長、湯浅輝昭副社長、それに右翼団体の森洋・元代表だった。ヤフーBBの取引先という〝身内〟と右翼団体元代表という組み合わせには意外感があった。
広報室長だった田部康喜はこのときのことを振り返ってこう語る。「子会社の法務部長が知るところとなって孫さんや私に連絡してきたんです。相手はA4判の紙に何人かの個人情報を書いて寄越し、『買わないか』と持ち掛けてきたんです。これはおかしいと思い、早速孫さんに伝えて対策チームを設けました」。
孫は、個人情報の流出と金銭の要求を知ると即座に、「脅しには屈せず、犯人には1円たりとも払わない」「迅速に外部に公表し、嘘をつかない」「情報流出による二次災害を起こさない」の3方針を決め、1月19日には警視庁に通報した。ソフトバンクは警視庁と相談のうえ、話し合いに応じるふりをして1月21日、湯浅を招き寄せた。
法務部長が応対したが「法務部長の名刺だと相手に怪しまれると思い、急遽、別の肩書の名刺を作って持たせた」(田部)という。応接室に隠しカメラと録音機を用意し、「データ流出を抑えるにはカネを払えばいい」と湯浅が要求する一部始終を押さえた。このとき湯浅は130人分のリストを紙に印字して持ってきた。
ソフトバンクは警視庁の指示に従い、同23日にも都内のホテルで湯浅と面談し、彼が寄越したプラスチックケース状のもの(中に顧客情報を収めたDVDが入っていたと思われる)をそのまま警察に提出した。26日には湯浅から再度、カネの要求があった。ソフトバンクはすぐに警察に被害届を提出し、湯浅が真っ先に逮捕され、やがて芋づる式に竹岡や右翼の森も捕らえられた。
竹岡は創価学会副男子部長や創価班委員長、聖教新聞広告局担当部長などを経て創価学会豊島戸田分区の副区長だった。湯浅は聖教新聞の販売店主などを経て函館五稜郭圏の副圏長だった(ともに事件発覚と同時に辞任)。しかも、竹岡は共産党の宮本顕治委員長宅盗聴事件の実行犯の一人でもあったから大騒ぎになった。もはや、単純な個人情報流出という事件ではなかった。ソフトバンクの広報担当者も「政界を揺るがすかもしれません」と興奮気味に話していた。
取材中ずっとボディーガードのような屈強な男性が背後に控えているのが気になり、「秘書の方ですか」と山崎に聞くと、「四六時中、こうやって見張られているんだ。家の前にはずっと車が止まり、中から監視されている」と彼は打ち明けた。これには取材しているこっちも驚愕した。組織の報復なのだろう。
念のため、創価学会広報室に竹岡の宮本盗聴事件関与について問い合わせると、広報担当の重川利昭がわざわざ築地の朝日新聞東京本社まで説明にやってきた。重川は「共産党は、宮本盗聴事件は創価学会の組織的犯行と言っていますが、あれは組織的犯行ではなく、『創価学会幹部らによる犯行』という表現が正しい」とは言うものの、あっさり竹岡の関与を認めた。変なごまかしは通用しないと思ったのだろう。
私は当時所属していた週刊誌のアエラで「ヤフーBBと創価学会の『接点』」という記事で本件を報じたが、週刊朝日や週刊新潮、週刊文春など各週刊誌がほぼ一斉に同様の内容――ソフトバンクを恐喝しようとした男が創価学会の謀略組織の一員で、かつて宮本委員長宅盗聴事件に関与していたこと――を報じた。逆に新聞は産経が軽く言及する程度で、朝日も読売、日経も創価学会については触れなかった。週刊誌に異動して半年過ごして、新聞の事なかれ主義を痛感した。
この循環社会研究所の取締役の一人で、なおかつ「竹岡とは30年来の付き合い」という創価学会の幹部でもある人物が取材に応じてくれた。「自民党と公明党、保守党で循環型社会推進議員連盟という議連ができたんです。私たちは市町村むけに環境・エネルギー政策のコンサルタントや調査の受託をしようとしていました」。
ただし、1999年に聖教新聞社を辞めたばかりの竹岡に環境技術やノウハウがあったとは思えない。30年来の友人の取締役も「竹岡はDVDすら何のことかわかっていない」と言っていた。彼は事件を知って「竹岡は乗せられたんだよ」と漏らしていた。
確かに東京地検は2004年3月16日、竹岡を処分保留で釈放した。各紙の公判報道によると、主犯格は森で、森が竹岡に相談し、竹岡が森に「ソフトバンクに詳しい」と湯浅を紹介したというのが真相のようだ。
竹岡は自著『サンロータスの旅人』(2010年、天櫻社)で「2004年2月、謂れなき罪で二十二日間、身柄を拘束された。夜を日に継ぐ取り調べが続き、心身とも憔悴した」などと事件について触れている。なお同書には野中広務が発刊の辞を寄せている。
竹岡に事件のことを尋ねると、「あの事件は、個人情報保護法の施行を直前に控えて国策捜査的なことがありました。与野党の駆け引きが激しかったころのことですし、政治家を含めてご存命の方々も結構いらっしゃるので取材には応じられません」ということだった。ただし、「そちらでお調べになってお書き頂ければと存じます。私のことを取り上げて深く掘り下げることには異存ありません」と話した。
かくして個人情報流出の経緯が明らかになった。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください