国債は債券ではなく株である
2021年10月30日
矢野康治財務次官が『文芸春秋』11月号に発表した「財務次官、モノ申す」は、誕生したばかりの岸田政権の意向とは齟齬をきたしているようにもみえ、次官更迭論まで出るなど、波紋を呼んでいる。公文書改竄問題に関し、「世にも恥ずべき不祥事」と認めるなど、個人的に存じ上げないけれど、矢野氏は真面目な人なのであろう。確かに、この論文を読めば、矢野氏の憂国の情は十分伝わってくる。しかし、そこで繰り広げられている議論では、財政拡大論者を理論的に説得できるとは言い難い。
以下、矢野論文を補完する意味で、財政再建論と拡大論者の間で建設的な意見交換ができるよう、理論的土台を提供したい。カギとなるのは「国債は株」という理解である。
まず、矢野氏の必ずしも正確ではない記述に関して、簡単に触れておきたい。それは、「定額給付金のような形でお金をばらまいても、日本経済全体としては、死蔵されるだけ」という主張である。国債をめぐっても繰り返されている、個々の家計や企業といったミクロレベルでの類推で国の財政金融といったマクロレベルの議論を行う危険性を示す一例でもある。
ここでは、給付金の原資を国債で調達し、市中銀行が国債を購入した場合で考える。給付後の政府のバランスシート変化は、給付金支給に伴う支出により純資産(資本)が減少し、国債が増加するので、左側を借方、右側を貸方として記せば、
政府: 純資産/国債
となる。一方、給付金は市中銀行口座に振り込まれるので、家計のバランスシート変化は、
家計: 預金/純資産
となり、市中銀行のバランスシート変化は、
市中銀行: 国債/預金
となる。なお、政府取引を仲介する日銀のバランスシートは、取引が相殺されるので変化しない(日銀が市中銀行からこの国債を買い入れた場合も以下の結論は変わらない)。
この後、給付金を得た個々の家計が消費を増やしても、マクロでは民間同士の預金の流れは相殺されるので、家計と民間企業を合わせた預金合計は増えも減りもしない。支給時の預金増加分は、銀行借入れ返済に充てられるか、政府が税金で吸い上げない限り、民間に残る。したがって、民間の貯蓄増だけをもって、「日本経済全体としては、死蔵される」と主張することは正しくない。活用されようが死蔵されようが、給付金支給によって預金は増えるのである。
また、誤りとはいえないけれど、「企業では、内部留保や自己資本が膨れ上がっており」という否定的ニュアンスの表現は誤解を招きかねない。企業の配当性向(自社株買いを含む配当と純利益の比率)が100パーセントを超えない限り、内部留保は増加する。実際、日本企業の配当性向は米国企業よりも低い。しかし、内部留保増は企業の資産増(投資)を意味するので、必ずしも(資産の一部に過ぎない)現金預金として「死蔵」されているとは限らない。民間投資の増加が望ましいと考えるのであれば、内部留保増は一概に悪いとはいえないのだ。
今回の論文の副題は「このままでは国家財政は破綻する」となっている。しかし、国家財政が破綻するというのはどういう事態なのか、矢野氏の主張はあいまいである。「タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなもの」というのは具体的にどういうことなのか、浪費による借金で破産した個人や、放漫経営で借入れが返済できず倒産した企業のようになるということであろうか。論文の最後で、「将来必ず、財政が破綻するか、大きな負担が国民にのしかかってきます」とあるけれども、国民はどのような負担をしなければならないのであろうか。
一方で、MMT(現代貨幣理論)に依拠する在野の一部エコノミストは自国通貨建てで(固定利付)国債が発行できる日本では財政は破綻しないと主張している。理論としてのMMTは、日本に限らず、世界的に学界では主流派から相手にされておらず、矢野論文も言及していない。しかし、MMTに基づく財政拡大論は、現実政治の世界では無視できない存在となっている。にもかかわらず、無視し続けることは、反論できないからとみなされ、かえってMMT論者やこれを奇貨として財政支出増を推進する政治家を勢いづかせることになってしまう。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください