【8】枝野幸男経産相の残念な思い出/2011~12年
2021年10月22日
立憲民主党の枝野幸男代表は旧民主党政権時代、官房長官や経済産業相など政府の要職にあった。とりわけ、野田政権発足後、1年余のあいだエネルギー政策を所管する経産相を務め、原子力政策を大きく変えることのできる地位にいた。にもかかわらず、重要な政策判断を下さねばならないときに政治的な胆力に欠けた。「決められない政治」と揶揄された民主党政権を象徴する政治家のひとりだった。
枝野は、2011年3月11日の東日本大震災発災時の菅政権の官房長官として政府の原発事故対応にかかわったが、菅直人首相が民主党の党内抗争のすえ退陣し、野田政権が発足したころは、政府のポストを離れて充電するつもりだった。それが一転して11年9月に経産相として入閣することになったのは、鉢呂吉雄経産相が「放射能つけちゃうぞ」発言などの失言によって在職わずか9日間で同相を追われたからだった。
枝野本人は当初、経産相を引き受ける気はなかった。
私の2012年12月のインタビューで彼は「野田総理に(経産相就任を)いわれたとき、福山さん(哲郎元官房副長官)を推薦した」と打ち明けた。福山も「枝野さんから『総理に福山さんの名前を出しましたよ』と聞かされましたが、私自身は野田総理から打診をうけたことはありません」と話している。
自身の代わりに福山を推挙したものの、枝野によると、野田が枝野の「早く原発をやめるべきだ」「従来型の経済成長はこれからなりたたないと思っている」といった考えをくんでくれたので就任を引き受けることになった。つまり枝野は二つ返事で経産相に就任したのではなかった。こうした経緯を本人から聞かされると、「やりたくて引き受けたわけではない」と言い訳めいて聞こえ、最初から腰がひけていたように思えた。
前任の鉢呂はこの当時、未曽有の事故をひきおこした原発には頼れないという問題意識を持っていた。
経産省は、大臣の諮問機関である総合資源エネルギー調査会傘下にある「基本問題委員会」を開き、今後の電源構成を検討する手筈だった。鉢呂は資源エネルギー庁の官僚が持ってきた委員会の人選案が原発推進派に傾いていたため、「経産省の原子力政策に批判的な人も半分程度入れてほしい」と注文をつけ、推進派と反対派がほぼ同数になるような委員会構成を考えていた。
鉢呂は失言によってあわただしく9日間で退任することになるが、「批判的な人を50%入れた名簿にメモをつけて枝野さんに渡した」という。「結局、1か月後にメンバーが決まったのですが、3分の1程度しか批判的な人は入らなかったんです」と鉢呂は打ち明ける。
「法律上、総合資源エネルギー調査会は意見を言う場であって、決める場ではないと思っていた。法律上、エネルギー基本計画は総合エネ調の意見を聞いて大臣が決める制度だとわかっていたので、両派でどんどん喧嘩してくれ、と。そこでまとまるはずもないし、まとめる気もないし」
決めるのは自分だから委員の構成はどうでもいいと言わんばかりだった。
人事権があるのに、その権限を大臣は行使しようと思わなかった。野田の前では「早く原発をやめるべきだ」と持論を開陳したのに、委員の人選をそういう方向に持っていかなかった。
飯田は基本問題委員会の議事運営にかなり失望し、「こうなってみると、果たして大臣が枝野さんで良かったのか鉢呂さんの方がよかったのか、わからないですね」とも言っていた。
民主党政権は自分たちの政策を実現するためには人事権を行使してもいいのに、官僚機構に介入したと受け取られるのが怖いのか、そうしたことをしたがらなかった。枝野もそうだった。波風を立てたがらないのだ。
枝野経産相時代にエネ庁の原子力政策課の吉野恭司課長と香山弘文原子力国際協力推進室長の2人が、原子力委員会の近藤駿介委員長らと原子力村だけからなる構成員の「秘密会合」を開催し、極秘裏に核燃料サイクル政策の堅持をしようとしていたことが明るみに出るが、枝野は吉野に口頭で注意しただけで更迭など人事上の制裁を下さなかった。枝野は「僕は大臣ですからね。そのクラスの人事には関心がない」と言った。
この当時『日本中枢の崩壊』(講談社)を出版して話題になっていた経産官僚の古賀茂明のような人材を起用してもよかったのではないかと尋ねると、「まったくそう思わない。役人である限り、本を出して表で勝手なことをやってもらっては困る。役人の肩書をもちながら外で自分勝手なことをやってもらっては困る」と答えた。そのうえで「役所の人事で無理をしようとは思わなかった。最後は大臣ですから。大臣はものすごい権限を持っていますから」と言った。
その大臣の権限行使にも枝野は躊躇した。
彼の大臣在任中、大飯原発3,4号機の再稼働問題が大きな争点となった。福島であれだけの事故が起きた後、原子力安全・保安院は電力各社に緊急安全対策を指示し、避難計画や緊急時の電源確保、水源確保などの策定を求めた。それに加えて原子力安全委員会が、想定を上回る事故時の安全性評価「ストレステスト」を実施するという二段構えの安全対策が緊急に講じられた(これらの二重チェック体制は、原子力規制委員会ができる前のあくまでも過渡的、暫定的なものという位置づけだった)。
そうした二重チェックの末、夏場の電力需給の逼迫時に関西電力の大飯原発が稼働できるかどうかが、このとき政治的に大きな焦点となった。
原発反対派は再稼働反対を主張するが、推進派は安全面の審査手続きが順調に済んだことを受けて再稼働を容認するべきだと言う。原発立地県である福井県の西川一誠知事は、政府が安全のお墨付きを与えて再稼働宣言するよう野田首相に求めさえした。このとき、大きな権限をもつはずの大臣は、ひきこもったままだった。
枝野は、こう弁明した。「政治的には動かしたくない。これは明確なんです。しかし、原子力規制委員会ができるまでは、行政指導で止めて、それでストレステストをやってクリアしたら動かしてもいいよというのを官房長官としてコミットして決めているのです。それを駄目というのは法的にはもたない。ですから、なんとか動かさないで良いという理由が出てくることを期待しました」。
でも、そんな都合のいい理屈は出てこなかった。枝野が沈思黙考するあいだ、エネ庁の今井尚哉次長が再稼働に消極的な橋本徹大阪市長ら関西の首長らを口説いて回り、再稼働容認のレールをひいていく。
それを枝野は黙認した。「そりゃそう。けしからんとも思わなかった。エネ庁の立場ではそういうもんだ」。優柔不断な枝野が判断を下さないなか、官僚の今井がリスクをとって再稼働容認に突き進んだ。
野田首相はその路線に乗せられて何ら指導力を発揮することなく、福井県知事に突き付けられた条件をのみ、「国民生活を守る」と再稼働容認を宣言した。
これによって政治的には反原発派の民主党政権への失望が急速に広まった。
「経産省が用意した文面をそのまま野田総理が読み上げさせられて。あれは最悪。福井県の西川知事に『総理から言ってくれ』と突き付けられて、経産省の作ってきた文章をそのまま読み上げさせられたんだ」と前首相の菅直人は受け止めた。
支持率が急降下するなか、代わる政権浮揚策のひとつに考えられたのが「脱原発」の明言だった。野田政権の末期、原爆の日の2012年8月6日に広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式の場で野田首相から原発ゼロを宣言してもらうという案が民主党の有力政治家の間で浮上した。
発案者の一人は枝野だった。「世の中としては核兵器と原発はつながるね、と。(私が)コミットしたのは間違いない」。
政権交代から3年が経ち、遠くないうちに総選挙になると予想されていた。枝野や福山、元国土交通副大臣の辻元清美らが鳩首協議した。「あれだけ大きな事故を官邸で経験した枝野さんは、辞表をたたきつけてでも総理に言わせるべきだ」と辻元は考えていた。
総理に進言したのは国家戦略担当相の古川元久(現国民民主党国会対策委員長)だった。「総理に話すと、すぐやめるという風ではないし、かといって私の言うことを否定する感じでもありませんでした。タイミングとしては広島でやるのがいいんじゃないか、と」(古川)。
前首相の菅直人も「自民党は原発ゼロなんて言い出せっこないんだから、野田内閣がゼロということを言い出す可能性が出てきている」と言っていた。菅は野田と会食した際に「いまや野田VS反原発団体の構図になっている。あなたが脱原発を阻止している張本人に見られていますよ」と苦言を呈していた。
大飯原発の再稼働容認に追い込まれた際には大きく報じられたが、こちらの「関係閣僚に指示」発言は、取材している記者たちの目にあまり止まらなかった。晴れ舞台の式典で発言するなら注目されるが、記者会見の中の一コマでは伝わりにくかった。
それでも、このあと民主党は原発ゼロをめざした意見集約を始めていく。
本来は経産省が所管だが、古川が国家戦略室で引き取った。だが、「こっちでまとめるといっても、結局議論は経産省でやっているわけなんですよ。そこから上がってくる選択肢は8割方固まっているので、大臣の私でもなかなかひっくり返せないんです」(古川)。
あえてトップダウンで方向性を示そうと、古川が自分でパソコンに打ち込んで、①40年廃炉、②新増設はしない、③安全性が確認されたものだけを再稼働する、④核燃料サイクルの中止、⑤もんじゅの廃止などを盛り込んだ原案を作成した。それをもとに「革新的エネルギー・環境戦略」を立案するつもりだった。
8月22日、古川の案を元官房長官の仙谷由人や枝野らに示すと、仙谷は「市民運動みたいなことをやりたいのならば菅と一緒にやれ!」と一喝。枝野も「そうとう飛んでいるな。仙谷さんが怒るのも半分は正しいな」と受け止めた。枝野はこう振り返った。「核燃をやめると言ったときに、それでは廃棄物をどうするの、と。僕はあの原案のものの言い方が甘いと最初から気づいていました」。
枝野はこのとき仙谷や古川らに「これから作る革新的エネルギー・環境戦略は閣議決定しよう」と提案し、閣議決定の方法については本文そのものを閣議決定せずに、趣旨を書いた表紙だけを閣議決定し、それに本文を添付するやり方を提案し、出席者の了承を得た。
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